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小料理屋《三》

 決行日当日の夜、黒の長着に同色の馬乗り袴、黒の足袋、同色の羽織を身に着ける。隠し棚から黒刀を取り出して腰に帯びる。黒の布を首に巻いて、顎から鼻まで引き上げる。草履を履いた霊斬は、店を出た。



 依頼人と待ち合わせた場所で、物陰に隠れて待ち構えていた。

「こんなところに連れてきて、いったいなんなんだ」

 不満そうな男の声が、続いて女の声が、聞こえてきた。

「ちょっと待っていて」

 その言葉に従った男から女は距離をとるとそのまま逃げ出した。

 女がいっこうに戻らないことを不思議に思いつつも、男はその場に突っ立っていた。

「なにしているんだ、あいつは……」

 男が溜息を吐く。

 霊斬がちらりと上を見ると、見下ろしている忍び装束姿の千砂と目が合った。

 それをなにごともなかったかのように無視し、霊斬は声を出した。

「人を待っているのか?」

「……ああ」

 驚いたふうの男の前に、霊斬は姿を見せるも、真っ黒のため、目しか分からない。

「実は俺も、人を待っている」

「そ、そうなのか。あんたは誰だ?」

 怪しいと思ったのか、男が警戒する。

「答える必要はない。貴様にひとつ、聞きたい」

 霊斬は冷ややかな声で吐き捨てた。

「答えられることなら」

「徳助、か?」

「どうして名を……」

 その言葉を遮って、霊斬は声を出した。

「答えろ」

「そうだ」

 霊斬はそれだけ聞くと、ゆっくりと刀を抜き、背に隠す。

「それからもうひとつ。どうして貴様は暴行をやめない?」

「……あれは僕のものになる、女だ。どう扱おうと僕の自由だろう」

 なぜそれを知っているのかと怪しみながらも、徳助は答えた。

「貴様は勘違いをしている」

「勘違い?」

 徳助が首をかしげる。

「それがいいことではない、ということだ。人を奴隷のように扱おうものなら、少なくとも、声のひとつやふたつ、上がるものだ。だから、こうして俺がいる」

「……自分がいた種、とでも言うのか?」

「そうだ。そしてその行為には必ず報いがある。貴様だけが許されることではない」

「僕を殺すのか?」

 その問いに霊斬は首を振った。

「いいや、違う」

 霊斬は話に付き合うのに疲れたのか、背に隠していた刀をずるり、と出す。

 徳助の怯えた表情を見た瞬間、霊斬はあっという間の距離を詰め、徳助の右肩を刺し貫いた。

「あああ!? い、痛い……」

 悲鳴を上げた男に対し、霊斬は大きな溜息を吐いた。

 徳助の胸倉をつかんで、壁に叩きつけ、右肩を抉る。

 大いに叫んだが、霊斬の動きは止まらない。

 刀をそのままに、腹や頬を殴り始めた。その動きはどれも隙がなかった。霊斬の繰り出す一撃はどれも重く、男が情けない声を出すのは一分もかからなかった。

「もう……やめてくれ」

「いいだろう、だがな、貴様はその発言すらも許さなかった。貴様が自分のものだと言った女の気持ちが、いくらか分かっただろう。改めなければ……命はないと思え」

 霊斬は冷ややかな声で言った。

「……ああ。あいつには、ちゃんと、謝るから、もうやめてくれ……!」

 懇願する男から刀を抜いて、鮮血を振り落とし、鞘に仕舞うと店に戻った。


 千砂は徳助がふらふらしながら、通りを歩いていくのを見送ってから、その場を去った。



 翌日の昼間、依頼人が顔を見せた。

「ありがとうございました」

 依頼人は床に腰を下ろすや、礼を口にした。

「あの後、どうでしたか?」

 霊斬が尋ねると、女が少し安心したように答えた。

「傷の手当てもせずに、土下座をして謝ってきました。どうやら心を入れ替えたようです」

「そうですか」

「本当に、ありがとうございました」

 依頼人は言いながら、銭五枚を差し出した。

 霊斬は苦笑しながら銭を受け取り、袖に仕舞った。

「またのお越しをお待ちしております」

 霊斬は頭を下げた。

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