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団子屋《四》

「懲りないのかい? こんなに怪我して」

「ああ。……ったく」

 痛みに顔をしかめた霊斬が、忌々しげに呟いた。

 千砂はそんな霊斬を見て溜息を零す。

「傷つくあんたを見ていると、哀しくなる」

「哀しい?」

 霊斬は首をかしげる。

「他人のために命を懸けて、こんなことまでしているのに、金を受け取るだけでなんて。依頼人の覚悟ひとつで、あんたはいくさに出ていく。なんの躊躇いもなく」

「そうだな」

 霊斬はうなずく。

「あんたには、恐怖って感情がないのかい!?」

 千砂は言いながら、霊斬に詰め寄る。

「恐怖か……。ほとんど感じていない」

 目に涙を溜めている千砂に対し、霊斬はいつもと変わらぬ口調で告げた。

「感じていないって……。もしかして、怖いって、一度も思ったこと、ないのかい?」

 千砂は愕然としながら、言葉を紡ぐ。

「……そうかもしれない」

 霊斬はしばし考えるように、視線を彷徨さまよわせた後言った。

「一番苦しんで、悩んで、怖がっているのは、依頼人だ。それに比べたら、俺の恐怖くらい簡単に乗り切れる」

「違う! 依頼人なんかじゃない。あんたが一番傷ついているじゃないか!」

 千砂が涙ながらに怒鳴る。

「どうしてそうなる」

 霊斬の怒気を含んだ声が響く。

「あんたはいつだって、依頼人に代わって〝痛み〟を引き受けてきた!」

「ああ、それはこれからも、ずっと変わらない」

「あんたのそういうところが、哀しいんだよ! どうしてそこまでして、一人で抱え込もうとするのさ?」

「誰かに頼ったところで解決するわけじゃない。俺が感じている〝痛み〟を他者に少しでも背負わせるなど、そんな真似はできない」

 霊斬は冷ややかな声で言った。

「あんたの心と身体は、あんたの物だ。依頼人の物じゃない。なのに、どうしてそこまで……!」

「犠牲にする道を辞めない、か?」

 彼女の言わんとしていたことを汲み取った霊斬は、言葉を続けた。

 千砂は涙を拭いながらうなずく。

「自分のために生きようとしたこともあったが、それはつまらなかった。面白くないんだよ、なにもなく平和な時代は」

「つまらないって……」

 千砂は思わず溜息を吐く。

「少しくらいの危険もあったほうが面白い。俺はな、今、充実しているんだ」

「あんたの侵す危険は少しなんてもんじゃない!」

 千砂が苛立ちをあらわにする。

「そうだな。だが、これでいいんだ」

「これでいい……?」

 霊斬の静かな声に、千砂が首をかしげる。

「俺が決めて、始めたことだからだ」

 霊斬は氷のように冷たい声で言った。

 ――霊斬は覚悟を決めている。最初から。周りがなんと言おうと、そこだけは決して折れない。変わらない。自身が苦しむという事実を捻じ曲げても、霊斬は生きようとしている。その生きる執念には頭が上がらないが、もっと他に、方法はあるはずだ。それを言ったところで、霊斬は聞く耳を持たない。

「……そうかい」


 四柳が部屋に入ってきた。

「ずいぶん騒いだようだが、女を泣かせるのは感心しないぞ、霊斬よ」

 霊斬は苦笑するしかない。

「そうだな」

「嬢ちゃんはお前が心配なんだよ。なぜそれが分からない?」

「心配など、されたことがない」

 霊斬の静かな声に、四柳は溜息を吐く。

「心配なら、おれだってしてるぞ」

「お前もか?」

 霊斬は驚いたように目をる。

「いつ死んじまうか分からないんだ。致命傷を負ったことも少なからずあるだろう。それに加えてお前は治りきっていない傷が多すぎる。いつ古傷が開いてもおかしくない。そんな身体だから、心配するんだよ。お前が心配ないと言ったところで、説得力はない」

 四柳は、はっきりと告げた。その後、二人を一瞥した後、部屋を去った。

「……そうかもしれないな」

 四柳に言われて、霊斬は苦笑するしかない。

「千砂」

 霊斬が声をかけた。

「なんだい?」

「もう泣くな。俺は変われないが、ひとつ、約束してくれ」

 千砂は首をかしげる。

「約束?」

 霊斬はひとつうなずくと、言葉を続けた。

「俺のように、感情をすべて抑え込むような人間にはなるな。哀しいなら哀しい、痛いなら痛いと、正直な人間であってくれ。……俺はもう、そんな人間にはなれない」

 霊斬は遣る瀬無い声で言った。

「分かった」

 千砂は再び目に涙を溜めて、うなずいた。

「ならいい」

 霊斬は安堵したように笑ってみせると、痛みに顔をしかめた。

「お大事に」

 千砂はそう告げると、席を立った。

「……ありがとう」

 霊斬はぽつりと告げると、眠りについた。



 それから数日後、まだ左腕の晒し木綿が取れない霊斬は、床に寝転んでいた。

 すると、戸を叩く音が聞こえてくる。

「開いておりますよ」

 霊斬が身を起こし、そう声をかける。

 戸が開き、団子屋の親父が顔を見せた。

「どうぞ」

 霊斬はそう言って、姿勢を正す。

「娘になにかあった?」

 団子屋の親父は、開口一番に言った。

「なぜ?」

 霊斬が静かな声で告げる。

「娘が夜中、うなされている。殺さないでくれ! と叫んで目が覚めることもある」

「実は、今から五日前の夜、みたきさんを訪ねた者がいた。その者は彼女を殺めようとしていたから、それを俺が止めた」

 淡々と霊斬が告げると、親父は納得したようにうなずいた。

「そうか。……これを」

 親父は言いながら、銀五枚を差し出した。

「感謝する」

 霊斬は礼を言いながら、それを袖に仕舞った。

「またのお越しをお待ちしております」

「また、団子、食べにおいで」

「近いうちに、また」

 霊斬は苦笑した。



 その日の夜、突然、傷跡が熱を帯び始めた。

 霊斬は身支度をなんとか整えると、四柳の診療所へ向かった。

「なんだ!」

「俺だ」

 そう言うと怒りを引っ込めた四柳は、戸を大きく開いた。

 四柳の後に続いて入ると、歩きながら問いかけられた。

「それで、どうした?」

「傷が熱を持っている。少し、気になってな」

 奥の部屋へ着くと、四柳が言った。

「診せろ」

 霊斬は上着を脱ぎ、左腕を突き出す。

 腕に手を当て、熱があるのを理解する。

 四柳は晒し木綿を外して、薬草を塗った布をめくる。

 初日ほどではないにしろ、まだ出血は収まっていなかった。

 四柳は薬研の中に複数の薬草を放り込み、混ぜ始める。

 手を動かしたまま、口を開いた。

「他は痛まないか?」

「ああ」

 霊斬はうなずく。古傷だらけの上半身を晒しながら。

 四柳は内心で言葉を続ける。

 ――嘘だろうに。それだけの傷を負って、心が痛まないわけがないだろう。少なくとも、おれだったら、精神的苦痛に耐えられる自信はない。こいつは、拷問にすら耐えて見せた男だ。もしかしたら、自身の痛みを他人事のように捉えているのか? 霊斬ならやりかねない。診ていて、どこか他人事のようだと、常々感じていた。

「霊斬よ、お前、精神的な苦痛を味わったことはあるか?」

「拷問以外でなら、もう思い出せない」

 霊斬はなんでそんなことを聞くんだと、顔に書いてあったが、静かな声で答えた。

「最近、過去のことを思い出して、苦しんだりはしないか?」

 「昔に比べたら、まだましだ」

 霊斬はぼそっと告げる。

「そうか」

 ――まるで、身体が見えない心の傷をあらわしている。そんな気がする。

 四柳はそう思いながら、混ぜ合わせた薬草を布に塗った。

 手当てを進めながら、霊斬の身体を労わる四柳だった。

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