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鞘師《二》

「大した息子じゃないか」

「小さい声だったけどね」

「それでもいい」

 霊斬が苦笑する。

「問題は父親だな。鞘をそんなふうに扱うことも許せんが、父親自身の認識を変えなければ」

 霊斬が先ほどの表情を一瞬で消して、告げた。

「そうだね」

 千砂はただ同意した。

「情報、感謝する」

 霊斬はそれだけ告げると、隠れ家を去った。



 霊斬は店に戻り、短刀の修理に入った。

 細かい瑕がついている程度だったので、目の細かい砥石で研ぐことにした。



 それから六日後の決行日前日。鞘師が再び店を訪れた。

「それで、どうでしたか?」

 座るやいなや身を乗り出してきた。

「仁部陽一は、鞘を自身の感情のけ口として使っているようです」

「つまり……?」

「失礼。鞘を畳に叩きつけています」

「……そうでしたか」

 鞘師は沈んだ声で言った。

「心当たりがあるのですか?」

「昨日仁部様がいらっしゃいまして、強引に曲げた状態の鞘を持ってきたのです」

「それはまた酷いですね」

「ええ、新しい鞘を受け取られてお帰りになりました」

「厄介でしたね」

 霊斬の言葉に鞘師はうなずいた。

「決行は明日です。それまでの辛抱です」

「分かりました。よろしくお願いします」

 鞘師が頭を下げると、霊斬はすっと、修理した短刀を差し出した。

「ありがとうございます」

 鞘師はそう言いながら、短刀を受け取り、店を後にした。



 決行日当日の夜、霊斬は黒の長着に同色の馬乗り袴、黒の足袋、同色の羽織を身に着ける。隠し棚から黒刀を取り出して腰に帯びる。黒の布を首に巻いて、顎から鼻まで引き上げる。草履を履いて、仁部家へ向かった。

 屋敷内に静かに侵入し、中庭の植木に隠れて、様子を探る。

「きなさい」

 中庭に面した部屋の障子を開け、陽一が言い放った。

 物音がして部屋から出てきたのは、まだ幼さの残る少年だった。

 二人はその部屋を離れ、屋敷の奥へと歩いていく。

 霊斬は彼らの後を追った。


 屋根から様子を見ていた千砂も、三人の後を追った。


 霊斬は二人が入っていった部屋の前で聞き耳を立てている。

 千砂は屋根裏から様子を見ていた。

 すると怒号が聞こえてきた。


「何度怒らせる気だ!」

「……すみません」

 少年は正座をしたまま、深く頭を下げた。

 陽一は頭を上げた少年を睨みつけながら、刀を鞘ごと腰から外す。

 刀を鞘から抜き、抜き身の刀を横へ置く。鞘を握りしめ、畳に叩きつけ始めた。

 少年は抜き身の刀に釘付けになり、身体を強張らせる。

「息子が勉学しか取り柄がないなど、認めんぞ!」

 鞘を畳に叩きつける音がやむ。

 鞘を息子に向けて振り上げた瞬間――障子が一気に開いた。

「邪魔するぞ」

 霊斬は冷ややかな声で言いながら、土足で部屋に入った。

「なに奴!」

 鞘を下ろして、陽一が叫ぶ。

「おい、坊主」

 霊斬はその声を無視して、少年に声をかけた。

「振り返らず、自分の部屋に戻れ。俺のことは誰にも言うな、分かったか?」

 少年はひとつうなずくと、部屋を去った。

「なんのつもりじゃ?」

「貴様には関係なかろう。息子を殴ろうとしたな?」

「言うことを聞かない奴には、そうするしかあるまい」

「なにを馬鹿なことを」

 霊斬は鼻で嗤って、吐き捨てた。

「邪魔をするな!」

 鞘を捨て、抜き身の刀をつかむと、霊斬に斬りかかった。

 霊斬は素早く刀を抜いて、これを防ぐ。

「もう鞘を乱暴に扱うのはやめろ」

 互いに鬩ぎ合いながら、霊斬が言った。

「あれはわしの物だ。どう使おうが、お主には関係ない」

 霊斬は溜息を吐く。刀を押し返すと、陽一が体勢を崩す。

 それをいいことに、霊斬は陽一の左肩を刺し貫いた。

「ぐあああっ!」

 突如襲った痛みに、陽一は悲鳴を上げた。

「うるさい。あれは確かに貴様の物だが、それを作った人がいる。物を作る者なら誰でも、大事に使ってほしいと願う。貴様は、そんなことにも気づかない、愚か者なのか?」

 陽一は言葉を無くす。

 霊斬の話はまだ続く。

「息子のことだがな、勉学だけでもできるならいいと、なぜ思えない? 武士には確かにどちらも必要だが、揃わなくても武士としてやっていく道はあるはずだ。それを模索しようともせず、息子に当たるとはなんと馬鹿な奴」

「うっ……ぐうう!」

 陽一は叫ぼうとして、刺されている左肩を動かしたために、痛みに苦しむ。

 霊斬は黙って、刀を肩から引き抜くと、陽一は深く息を吐く。

「お主なんぞに、とやかく言われる筋合いはない……ううっ!」

 霊斬は突っぱねたことを不愉快に思い、右脚を刺し貫いた。

「貴様が息子への文武両道と、鞘を雑に扱うことをやめてくれれば、俺だってすぐに帰れるんだがな」

 敵相手に愚痴り出す霊斬。

「断る」

 右脚から刀が抜けたと分かると、痛む身体を無視して立ち上がり、斬りかかってきた。左腕を斜めに斬られるも、霊斬は顔をしかめただけだった。

「なら、仕方ない」

 霊斬は斬られたとは思えないほど静かな声で呟き、左腕をだらりと下げたまま、刀を振り上げた。

 無抵抗な相手を傷つけるのは、性に合わんが仕方がないと諦め、四肢に狙いを定めた。

「やめろ!」

 霊斬はその声を無視して、四肢を斬り刻んだ。

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