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鞘師《一》

 それから五日後、仕事を再開した霊斬の許に、一人の男が訪ねてきた。

「この鍛冶屋町の外れで、鞘師をしている者ですが、少し時をもらえませんか?」

 霊斬は無言のまま身を引き、鞘師を招き入れた。

 案内し、互いに正座で腰を下ろし、鞘師が口を開いた。

「突然すみません。ここにくれば、会えると聞きました。〝因縁引受人〟に」

「その話は誰から?」

 霊斬が静かな声で尋ねた。

「お得意様の武士から、何度もその話を聞きました」

「そうですか。人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」

「はい、そのためにきたんです」

 鞘師の決意に満ちた表情を見て、霊斬は口を開いた。

「修理前の武器はお持ちですか?」

「これを」

 鞘師はそう言うと、短刀と銀十枚を、差し出した。

「確かに」

 短刀は受け取ると脇に置き、銀はそのまま袖に仕舞う。

「では、本日はどのようなご依頼でしょうか?」

「さまざまなお客を相手に商売をしておりますが、一人だけ、面倒……というか、厄介な方がいまして」

 霊斬は首をかしげる。

「厄介な客?」

「お得意様の中で、鞘をしょっちゅう壊す方がいるのです。新しいものをお渡ししても、半月も経たずに、また修理の依頼を受けます」

「その方に商品を売らない、ということにすればよろしいのでは?」

 鞘師は首を横に振る。

「他の鞘師にも嫌われておりまして、たらい回しにされたあげく、私の店にきたのです」

「下手に追い出して、店に危害があると困るということですかな?」

 鞘師は霊斬の言葉にうなずく。

「では、その方の名をお願いできますか?」

仁部にべ陽一よういちというお方です」

「こちらでも調べてみますので、七日後、またお越しください」

「よろしくお願いします」

 鞘師は頭を下げると、店を去った。



 ――俺だったら、商品を売らず、なにを言われても、聞き流すだろうな。

 依頼人のことを自身に置き換えて考えた結果である。それに霊斬は思わず苦笑する。

 ――そこが俺と、あの鞘師との違いか。

 霊斬は冷静に分析しながら、溜息を吐いた。

 考えていても仕方ないと思い、霊斬は隠れ家へと足を向けた。



 霊斬が隠れ家の戸を叩くとすぐに応答があった。

「誰だい?」

「俺だ」

 短く告げると、千砂が顔を覗かせる。周囲を確認した千砂は、黙って霊斬を招き入れた。

 戸が閉まるのを待ってから、霊斬は口を開いた。

「どうした?」

「昼間だと、どうしても人の目が気になってね」

「今度からは夕方か夜にくることにする」

「助かるよ」

 千砂は言いながら床に正座する。

 霊斬は無言で、壁に寄りかかり、片膝を立てて座る。

「それで、今回は?」

「仁部陽一。鞘をしょっちゅう壊して、依頼人を悩ませている。冷たく接することもできないらしい」

「人がいいんだね」

「そうかもしれんな」

 ふっと笑う千砂に対し、霊斬の声は冷ややかだった。

「それで? 調べてくれるのか?」

 先ほどの態度はどこへやら、普段通りに尋ねる霊斬。

 その豹変ひょうへんぶりに驚きながらも、口には出さず、千砂は答えた。

「一日、おくれ」

「分かった」

 霊斬は短く答えると、隠れ家を去った。



 その日の夜、千砂は忍び装束を身に纏うと、仁部家へ向かった。

 屋根裏から、聞こえてくる音に耳を澄ませる。

 なにかを殴っているような音が聞こえた。千砂はその音が聞こえてきた方へ駆け出した。

 音が聞こえる部屋の真上までいくと、千砂は静かに天井の板を外して、様子を見た。


「何度言ったら分かる? この出来損ないが!」

 仁王立ちで畳を鞘で叩く男と、正座をしている少年がいる。

 男の傍らには抜き身の刀が置かれている。

「勉学ができて、なぜ武術はできんのだ! 勉学では誰よりも優れているというのに!」

 不甲斐ない……失礼。少し出来の悪い息子に説教をしているようだ。

 少年はなにも言わずにうつむいている。

「武士は勉学だけでなく、武術もできなければならんのだ。それは何度も言っている。そうだよな?」

「……はい」

 少年は小さな声で答えた。

「なぜ、できない?」

「苦手なものは……苦手です。どう工夫しても、うまくいきません」

 小さな声で、しかし、はっきりと少年は口にした。

「そんなわけがないだろう! 努力が足らんのだ!」

 男は怒りだし、鞘を振り上げては畳に叩きつける。

 少年はその様子と、抜き身の刀に釘付けになっている。

 いつ、刀を取るか分からない。その恐怖で、少年は硬直していた。



 その様子を見ていた千砂は、少年が可哀そうだと思いながら、屋敷を後にした。



 翌日の夜、霊斬は隠れ家を訪れた。

「入ってもいいか?」

「どうぞ」

 千砂が言いながら戸を開け、霊斬を招き入れた。

「どうだった?」

 霊斬は床に胡坐をかいて座ると、口を開いた。

 千砂は彼と向かい合う位置で正座をし、話し始めた。

「説教をしながら、鞘を畳に叩きつけているから、壊れるんだ。それに抜き身の刀も近くに置いていたからね、息子にしてはとても怖かったはずさ」

「鞘はそんなふうに使うもんじゃない。そうだろうな」

 霊斬は冷ややかな声で応じた。

「そうだね。説教の原因は、息子が文武両道じゃないことが許せない。苦手なものは誰だってあるだろ?」

「ああ、それを息子が言ったのか?」

「そうさ」

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