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岡っ引き《五》

「ついでだ。……背中も見てみろ」

 千砂は霊斬の言葉に驚き、彼の顔を凝視する。

「どんな状態か、知りたいだけさ」

 霊斬は力のない笑みを浮かべた。

 千砂は涙を拭きながら、ひとつうなずくと、霊斬の背後に回る。

「……っ!」

 目の前に広がる光景に、千砂は言葉を飲み込んだ。

 かつて拷問を受けたという火傷の痕は霊斬の背中、ちょうど前から見ると左肩あたり。かいそくしゅになっており、皮膚が引きっている。全身を覆う傷よりも痛々しく見えた。それにこれほどの時が経っても、まだ赤みが引いていない。

「……皮膚が赤くて、引き攣っているところがあるよ」

「……そうか。……酷いか?」

 霊斬の静かな声が千砂の耳朶を打つ。

「……酷い、酷すぎる」

 千砂はその言葉を聞いて、元いた場所に座り直す。

「そうか……。悪かったな、酷なことをさせた。……このままでもいいか?」

 霊斬は静かな声で尋ねた。

 千砂のことを気遣っている、その優しさに彼女の涙は余計に止まらなくなった。

 千砂は何度もうなずき、声を必死で押し殺した。

 ――霊斬はやっぱり、誰よりも人の痛みが分かる、優しい人だ。

 千砂は内心で思いながら、音もなく泣いた。

 その様子を見ていた霊斬は、思わず目を逸らしたくなった。

 誰かが、泣いてくれる。

 そんな経験、したことがない。

 どうしたらいいのか分からなかった。ただ、傍にいることくらいしか思いつかなかった。だから――。

 霊斬は背中に手を伸ばし、不器用な手つきで、ぽんぽんと叩いた。

「泣いていいぞ。お前まで俺みたいになってもらっても困る」

 千砂の耳許で、霊斬が囁いた。

「うるさいかもしれないよ?」

「構うものか」

 霊斬が微笑し、不器用な手つきで千砂の涙をそうっと拭う。

「ありがとう」

 千砂はそれだけ告げると、泣き出した。

 その絞り出すような泣き方に、霊斬の心はきつく締め上げられたかのように感じた。

 ――そんな泣き方があるか。子どものように大声で泣かず、必死に声を押し殺そうとして、それでもできない。

 千砂の泣き方からして、そう思った霊斬は、痛む左腕を動かし、そうっと背中に置いた。

 彼女が泣きやむまで、ずっとそうしていた。


 それから少し過ぎた後――四柳が部屋の様子を見にいくと、霊斬の隣に疲れ切って眠る千砂の姿があった。

「落ち着いたか」

「ああ。ちょうどいいところにきた、毛布かなにかあるか?」

「ここは宿屋じゃねぇんだよ」

 四柳が毒づく。

「心が少し、疲れたんだろう。患者だろ?」

「おれは診ていない。腕は? 痛まないのか?」

 四柳が即答し、尋ねてきた。

「……痛む」

 霊斬が顔をしかめて言った。

「素直に言え、馬鹿」

 四柳は突っ込むと、部屋を去る。

 どうしたのかと思い待っていると、しばらくして、毛布を持った四柳が顔を出す。

「風邪でもひかれたら困るからな」

「悪いな」

「お前からの謝罪はいらん」

 四柳はその発言をばっさりと切り捨てた。

 霊斬は右手で千砂の肩まで毛布を引っ張り上げると、静かに布団の中に身体を滑り込ませる。

「お前も、もう寝ろ」

「ああ」

 その言葉を聞いた四柳は、部屋を後にした。



 翌日、千砂は畳の上で目を覚ました。

「あの後……寝ちまったのかい」

 千砂は苦笑して起き上がると、肩にかかっていた毛布が落ちた。

 霊斬はまだ眠っているようで、千砂は昨日見たことを思い出しながら、仕事に向かうため診療所を後にした。


 それから大分過ぎたころ、霊斬は目を覚ました。

 隣に視線を向けると、きれいに畳まれた毛布が目に入る。

 ――丁寧なところがあるんだな。

 霊斬は苦笑して、ゆっくり身体を起こす。それでも左腕が痛んだ。

「起きたか」

 顔を出した四柳にうなずく霊斬。

「この時刻だと目立つか……」

 霊斬が難しい顔をしていると、四柳が言った。

「今日はいても大丈夫だぞ」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおう。傷はどれくらいで治る?」

「三日。仕事はするなよ」

「分かった」

 霊斬はうなずくと、四柳は部屋を去った。



 それから数日後、岡っ引きが店を訪ねてきた。

「ありがとうな。刀屋!」

「いえ、私は依頼を達成したまでにございます」

 霊斬は苦笑して言った。

「礼をしないとな」

 岡っ引きは懐に手を突っ込んで、小判一両を差し出してきた。

 それを受け取った霊斬は、こう言った。

「なにかありましたら、またお越しください」

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