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米問屋《二》

 米問屋が見える斜向かいの店の間、物置と化した場所に身を滑り込ませた。壁に寄りかかり、様子をうかがう。

 多くの人が出入りする米問屋の客の中で、一人、僅かながら雰囲気の違う若い男を見つける。

 見た目では静かな印象を受ける男だが、その裏に殺気という刃を持っていそうな……。

 勘でしかないが、無視できない。

 霊斬は男の後に続いて、店に入った。

 その直後、悲鳴が上がる。

「きゃー!」

 慌てて視線を走らせる。と、小太刀の刀身をこの店の主の首に突きつけている若い男と、先ほど叫んだであろう、主と同い年くらいの女。数名の客と、手代達が動きを止めていた。

 ――真昼間からとはな。普通、夜だろうに。

 霊斬は内心で溜息を吐きながらも、念のためにひとつ策を考える。大したものではないが、この状況を変えられる。

「おい、用があるのは主だけだろう? 他の奴らは外に出してやったらどうだ?」

「うるさい!」

 若い男は、主でなく霊斬に刃を向ける。その隙に主が拘束を脱する。

 忌々しげに舌打ちをした若い男は、霊斬に向かって小太刀を振りかざし、突進してくる。

 それをひらりと躱すと、置いてあった米俵に激突した若い男はそのまま気絶してしまう。

 ――馬鹿にもほどがある。

 霊斬は盛大な溜息を吐く。すると岡っ引きが顔を出す。

「あれ? 刀を振り回している奴がいるって言うんできたんだが、遅かったか?」

「むしろ、ちょうどいいです、親分。米俵に激突して気絶している男ですよ」

「そうかい。あんた、怪我、してないか?」

 岡っ引きはその男を縄で縛りながら聞いた。

「私を含め、怪我人はいません」

「そりゃなによりだ」

 岡っ引きは男を半ば引きるようにしながら、店を後にした。

 霊斬は店の者達に一礼すると、店を去った。



 その様子を物陰から顔を覗かせる千砂に気づいた霊斬だったが、気づかないふりをして米問屋を去った。



 店の床に寝転んで考え事をしていると、戸を叩く音が聞こえてくる。

「開いている」

 霊斬が低い声で応じると、千砂が店の中に入ってきた。

「昼間の騒ぎ、見させてもらったよ」

「そうか」

「素人相手だったから、あんたには楽だったかい?」

 千砂がにやりと笑いながら尋ねた。

「まさか。素人相手が一番面倒だ。今回は自滅してくれたが」

「あれには笑ったよ」

 千砂が笑みを深くする。

「俺は呆れた」

 笑う千砂に対し、霊斬は溜息を吐いた。

「とにかく、依頼人は守れたわけだね?」

「そうだな。今夜、桐野家にいってくれるか?」

「分かったよ」

 千砂はそれだけ告げると店を後にした。



 それからだいぶ経った夜中、千砂は忍び装束に身を包み、桐野家へ向かった。

「なんじゃと! しくじった?」

 そんな大声に導かれ、千砂は主の部屋へ足を向けた。天井の板を外し、覗き見る。

 若い男と老年の男が、向かい合って座っていた。

「……はい」

「小判を惜しみなく払えば、良かったか……」

おそれながら……問題はそこではないかと」

「なら、なんだというのだ?」

「手練れの人斬りを引き入れれば良かったように思います。そのような者、幻鷲をいて他にいませんが」

「あやつはもう人斬りから身を引いた男だ。かつてどれだけ殺めたかとて、今人斬りでなければ使い物にならん」

「そうかもしれませんね……」

 若い男はそう言うしかなかった。

「誰が邪魔をした?」

「幻鷲にございます」

「なぜだ? あやつにはなにも関係がないはずでは?」

「はい。幻鷲の動きだけが気がかりでございます。しばらく見張りますか?」

「そうだな」

「かしこまりました」

 若い男は頭を下げると、部屋を出ていった。



 千砂はしばらくその場に留まったが、早く霊斬に知らせなければと思い、そのまま店へ向かった。


 日付が変わる時刻、千砂は霊斬の店の戸を叩いた。

「どうした?」

 戸の隙間から、霊斬が顔を覗かせる。

「遅くに悪いね。すぐに知らせなきゃいけないことがある」

 千砂が口早に告げると、霊斬は戸をさらに開け、身を引く。

 千砂は周囲に一度視線を走らせると、店に足を踏み入れた。

 彼女がなにかを警戒しているのを悟った霊斬は、周辺に視線を走らせて、戸を素早く閉めた。


「それで?」

 霊斬は空の徳利二本を持って、そこから退かすと、千砂に座るように促した。

「ずいぶん呑んでるじゃないか」

「それよりなんだ?」

 霊斬が急かす。

「あんたが元人斬りであること、桐野光郎は知ってたよ。それと、あんたのところにしばらく見張りがつくことになった」

「そうか、分かった。その間はそば屋にいかないことにする」

 千砂はうなずくと、静かに店を去った。



 千砂が去ってから、霊斬は一人、酒を呑みながら呟いた。

「しばらく、息が詰まりそうだ」

 それから空が少し明るくなってくるまで呑み続けた霊斬は、寝床へ向かった。



 翌朝、二日酔いで頭の痛い霊斬は、店を出て伸びをする。

 そして、普段ない気配を感じて、溜息を吐いた。

 店の近くに一人、店の斜向かいに一人、見張りとおぼしき気配を感じた。

 ――もうきていたのか。

 霊斬は内心でそう思いながら、店の中へと戻っていった。

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