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酒屋《二》

 酔っぱらった客に帰るように告げたのは、気丈にも店番をしていた十代後半の妹だった。

「無理に今日、お買い上げなさらなくても構いません。今日のところは、これでお帰りください」

「断る! この店にある酒を全部、ためしに飲んでから帰る!」

 酔っているのに、舌を噛まないことが不思議だ。駄々っ子のように言い張る。

 それをなんとか抑えようとしていた若い武士が何度も謝りながら、主の手からさかずきを取り上げようと試みる。しかし、本人が離そうとしない。

 その場にいた誰もが困り果てていると、若い武士からの拘束を振りほどこうと、男は小太刀を抜いて、めちゃくちゃに振り始めた。

 慌てて周囲の者が離れたが、店番をしていた妹だけが、離れる瞬間を逃し、斬りつけられてしまった。運が悪く、胸を斬られてしまい、妹は即死だった。

 先ほどまで騒がしかった店が、一瞬にして静まり返る。

 それでも酒に呑まれている男は、なにごとかを叫びながら、店を出ていった。



「話は以上になります」

 女は固い声で告げた。

「ありがとうございます」

「それから、これを」

 女は懐から、小判十両を差し出した。

 霊斬はその代わりに、修理した短刀を差し出した。

 霊斬は頭を下げて金を受け取ると、袖に仕舞った。

「では、決行後にお会いしましょう」

 女はそれを聞くと、短刀を大事そうに仕舞い、店を後にした。



 決行日当日、霊斬はいつもの着物から、黒の長着に同色の馬乗り袴、黒の足袋、同色の羽織はおりを身に着ける。隠し棚から黒い刀を取り出して腰に帯びる。霊斬はこれを黒刀こくとうと呼んでいる。黒の布を首に巻いて、顎から鼻まで引き上げる。草履を履いて伊佐木家に向かった。

 その道中で、忍び装束姿の千砂に会い、一緒に伊佐木家へ向かった。


 到着すると、霊斬は正面から、千砂は屋根裏から侵入する。

「曲者だ~!」

 という大声を聞きながら、霊斬は動じることなく倒す。五人ほどの敵が姿を見せる。全員刀を抜き、腕を斬られた仲間を横目に、徐々に距離を詰めてくる。自分もこんな目に遭うのかという思いがあるからか、誰も斬りかかってこようとしなかった。

 霊斬は素早く動いて距離を詰めると、全員の右腕に狙いを定め、次々に斬りつける。

「ぐあっ!」

 予想していなかった痛みに呻き、五人は動きを止める。

 その間を縫うように駆け抜け、霊斬は奥の部屋を目指した。



 奥の部屋へ続く襖に手をかけた瞬間、首に冷たい感触があり、霊斬は動きを止めた。視線を動かすと、霊斬と同い年くらいの男に刀を突きつけられていた。

「簡単にはいかせん」

 男は言いながら、刀を引いた。

 霊斬は黒刀を持ち直し、男の右腕を狙って振り下ろした。しかし、その攻撃は男の刀に阻まれる。

 霊斬は忌々しげに舌打ちをしながら、距離を取り、再度突っ込んでいく。阻まれるも、強引に黒刀を振り下ろした。壁となっていた刀は男の手を離れる。無防備になった右腕をざっくりと斬り裂いた。鮮血が飛び散る。

「ぐうっ!」

「これ以上貴様に、構っている時はない」

 霊斬は冷ややかに吐き捨てると、襖に手をかけた。



 霊斬がちらりと天井に視線を投げると、様子を見ている千砂と目が合う。それを無視し、言葉を発した。

「待たせたな」

「全員、倒したのか」

 尋ねる史郎の声は元気がなかった。まるで、置き去りにされた子どもだ。

「ああ」

 霊斬はうなずく。

「あれは事故だ。あれは、事故だ」

 と史郎は何度も口にした。

 その様子を見ていた霊斬は、溜息を吐いた。

「貴様がどんな思いでいるのかは知らん。だがな、人が一人、死んだ。その事実から目を背けるな!」

 霊斬は怒鳴った。

「この家を壊しに、きたのか?」

「まあ、そんなところだ」

 霊斬は答えた。

「なら、もう、どうでもいいな」

 史郎は上着を脱ぐ。

 その様子を見ていた霊斬は、ゆっくりと歩き出す。

 史郎が最期に見たのは、霊斬の背中だった。

 鈍い音が聞こえ、どさっと重いものが倒れる音がした。

 霊斬はそれらの音を聞くと、屋敷を後にした。

 史郎の最期を見届けた千砂は、複雑な思いを抱えたまま、後に続いた。



 それから三日後、依頼人の女が店に姿を見せた。

「伊佐木史郎はどうなりましたか?」

「自害いたしました」

 霊斬は静かな声で告げた。

「あなたがなにか、そうさせるような言葉を言ったのですか?」

「いいえ。私はただ、ひとつの命が失われたことから、目を逸らすなと、告げたまでにございます」

 霊斬は即座に否定した。

「そうですか」

 女は懐から小判十両を取り出すと、静かに差し出した。

 霊斬は無言でそれを袖に仕舞う。

「では、またのお越しを、お待ちしております」

 その言葉を最後に、女は一礼して、店を去った。



 それからしばらくして、霊斬は隠れ家に足を運んだ。

「千砂、いるか?」

「いるよ」

 千砂は霊斬を見ると、中に招き入れた。

「……対象者が自害するとはね」

 千砂が重い口を開いた。

「ああ、俺も驚いた」

 霊斬が同意する。

「もう、人が死ぬところなんて見たくないよ」

「嫌な思いをさせたな。悪かった」

「気にしないでおくれ」

 霊斬は無言で隠れ家を去った。

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