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酒屋《一》

「ごめんください」

 霊斬が店番をしていると、女の声が聞こえてきた。

「いらっしゃいませ。どのようなご用でしょうか?」

「ここでは話せません」

 女は冷ややかな声で告げた。女の歳は霊斬と同じのようだった。

「では、奥に」

 霊斬は女を招き入れ、商い中の看板をひっくり返し、戸を静かに閉めた。

 奥の部屋に女を通し、彼女の正面に正座をした。

「では、内容を」

「私は酒屋の娘でございます。〝因縁いんねん引受人ひきうけにん〟あるいは霊斬という人を、ご存知ですか?」

 それは霊斬の裏の顔。この世のありとあらゆる闇を、人を殺めないことを条件に引き受ける。刀の修理と依頼者が金を持っているのなら、前金、報酬金として受け取る。なければ、刀の修理のみ。ただし、依頼人に二度と後悔しないと約束させる。

「はい。その名をどこでお聞きになりましたか?」

「お客のお侍さんからです」

「まず、なにか修理が必要な刀はお持ちですか?」

「はい」

 女は懐から短刀を出し、霊斬に差し出した。

うけたまわりました」

 霊斬は刀の状態を見もせず、言った。短刀を自分の隣に置くと、口を開いた。

「因縁引受人、またの名を霊斬と申します。本日はどのようなご依頼でしょうか?」

 女は驚いた表情をした後、顔を引き締めて、言葉を発した。

「妹の仇討ちをお願いしたく、参りました。今から五年前、酔っぱらった武士に妹が斬られたのです」

「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」

「はい」

「では、その方の名を」

伊佐木いさき史郎しろうという者です」

「承知いたしました。七日後にまたお越しください」

 霊斬が頭を下げると、女は店を後にした。



 女が帰った後、霊斬は預かった短刀に目を通した。何度か使われたようで、少し切れ味が落ちている。

 霊斬は砥石を持ってきて研ぎ始めた。


 それからしばらくして、霊斬はそば屋に顔を出した。

 そば屋の裏で、千砂と霊斬は話をしていた。

「それで、今回は誰だい?」

 千砂は開口一番に聞いた。

 彼女は霊斬と同じように、別の顔を持っている。こっちの世界で〝烏揚羽からすあげは〟と呼ばれる情報屋だ。

「伊佐木家だ」

「割と小さな武家じゃないか」

 霊斬は千砂の言葉に、目を丸くする。

「そうなのか」

「あと、依頼内容は?」

「妹の仇討ちだ」

 霊斬が静かな声で告げた。

「よく引き受けたじゃないか」

「命を奪うことだけが、仇討ちじゃあない」

「そうだね」

「どれくらいかかる?」

「一日」

「任せる」

 霊斬はそれだけ告げると、その場を去った。



 それからだいぶ経った、夜も更けたころ、千砂はそば屋から離れた場所にある、一軒の家に足を踏み入れた。ここは千砂が情報収集をするときに使う、拠点だ。千砂と霊斬の間では隠れ家と呼ばれている。

 普段の小袖から動きやすい忍び装束に着替え、頭巾をかぶると、伊佐木家に向かった。



 千砂は伊佐木家に辿り着くと、屋根裏から侵入し、聞こえてきた声に足を止めた。天井の板を少しずらして、様子を盗み見た。部屋の中には二人の武士がいた。一人は若く、もう一人は中年くらいに見えた。


「史郎様、ひとつお耳に入れておきたいことがございます」

 書物に目を通しながら、その声を聞いた史郎は、顔を向けもせず声を出した。

「なんだ?」

「酒屋の娘が、幻鷲のところに出入りしていたようでございます」

「酒屋の娘だと?」

 史郎は書物から目を離し、家臣を凝視した。

「霊斬に会った、とでも?」

「分かりません。ですが、可能性はあります」

「なぜ、そんなところにいったんだ?」

「あなた様は覚えていらっしゃらないようですが、酒に酔った勢いで、店の者を斬ってしまったのですよ」

「そんなことがあったのか。いつだ?」

 自分でやったことなのに一切覚えていないため、他人事のような口調で史郎は尋ねた。

「今から五年前です」

「あれは事故だ」

「そうでございますか」

 そう答える家臣の声は冷たかった。家臣はただの事故だとは思っていないようだ。


 千砂はそこまでの会話を聞くと、屋敷を去った。



 翌日、霊斬は隠れ家を訪れた。

「きたかい」

「ああ」

 顔を出した千砂に、霊斬はうなずいて見せた。

「首尾は?」

 霊斬は部屋に上がると胡坐をかいて、本題を切り出した。

「五年前に起きた刃傷沙汰だけど、伊佐木史郎は否定している。自分は覚えていないとの一点張りさ」

 霊斬は溜息ためいきいた。

「どうしようもないな」

「本当にね。自分で斬ったのに、事故だと言っていた」

「事故であるはずなかろうが」

 霊斬は冷ややかに吐き捨てた。

「そうだね」

 千砂は同意した。

 霊斬はそれだけ聞くと、無言で隠れ家を後にした。



 それから数日後、依頼人の女が再び姿を見せた。

 女を中に招き入れると、口を開いた。

「それで、どうでしたか?」

「伊佐木は、あの出来事は事故だ、と言い張っています」

「人を亡き者にしたというのに事故? そんなの、違います!」

 女は怒りをあらわにする。

「でしたら、当時の状況をお話し願えますか?」

「はい」

 女は遠い目をした。



 今から五年前の冬、一人の客が店を訪れた。酒が欲しいというのでためしに呑んでもらったところ、美味いと喜んで何度も呑んだ。この店の酒は度数が高く、少量呑んだだけでも酒が弱い人なら酔ってしまう。

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