愕然とする一同の瞳に映るもの。
それは、雄叫びをあげる石の巨像だった。
直立する姿はとてつもなく巨大で、その背丈は森の木々を遥かに超えていた。
(あ、あの像は!)
シェイルは、その石像に見覚えがあった。
全身鎧を
フルフェイス型の兜の額から伸びた一本角は陽差しを浴びて眩しく輝き、後頭部では白いたてがみが風に揺れている。
それは、例の遺跡の中で見た巨像に間違いなかった。
「フハハハハ! 恐ろしすぎて声も出ないようだな! 貴様の
高らかに笑うレスタト。
「うはは、何言ってるかわかんねーけど、そういうことだ!」
レスタトの言葉の意味が理解できないアバレールであったが……。
勢いに流されて一緒に胸を張る。
「……あれはもしや、
長老が言う。
ゴーレムとは、古代の
主人と定められた者の命令に、盲目的に従う忠実な家来となる。
「じゃが……あんな大きさのものは見たことがない!」
長老は、青ざめた顔で首を横に振った。
一般的なストーンゴーレムの大きさは、五メートルから十メートル程。
だが、目の前の巨兵は、ゆうに三十メートルを越えているだろう。
「フハハ、ストーンゴーレムよ、あいつらを叩き潰せ!」
レスタトの言葉を受け、関節部分に赤い光が走ってゆく。
それはまるで、乾いた体に血液が巡り渡っているかのようだ。
うつむいていた顔が前を向く。
次いで甲高い音が響き、フルフェイスの目の部分に赤い光が灯った。
ゆっくりと右足が持ち上がり、木々をなぎ倒しながら一歩を踏み出す。
落雷のような、大地を揺るがす音が響き渡った。
* * *
「何あれ……」
ナーイは驚き、口に手を当てた。
ここはライナの村の裏山。
村の住人を先導し、攻めてきたゴブリンの大群から避難したところだった。
ナーイ、そして村人たちの視線の先には、先ほどまで高い山があった。
だが、今はもう跡形もなく、そこには石の巨兵が立っている。
大きな一本角と、長いたてがみを持つ巨兵の横顔。
その目に赤い光が灯る。
その光景に、村人の一人が頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「もうダメだ! あんな化け物、いくらレオンさんたちでも敵いっこない!」
「村はもう終わりね……」
一人、また一人と、まるで糸が切れた操り人形のように力なく膝をつく。
その中には、ナーイの姿もあった。
「こんなことって……」
思わず涙がにじむ。
そのとき、不意に袖を引かれたナーイは、そちらに目を向けた。
「ナーイお姉ちゃん、泣いてるの?」
それは、ルチーナだった。
その腕の中には子犬のルナルナもいる。
「泣かないで、お姉ちゃん」
そう言うルチーナの瞳にも、涙が浮かんでいる。
だが、それを必死にこらえながらも、ナーイの頭を優しくなでてくれた。
「ありがとう、ルチーナ……」
ナーイは、ルチーナを強く抱きしめる。
腕の中のルナルナが、ナーイの頬を舐めた。
そのくすぐったさに、少しだけ笑みがこぼれた。
(こんな小さな子だって涙をこらえて頑張ってる……。なのに、私が下を向いてどうするの!)
ナーイは顔を上げ、石の巨兵を見た。
巨兵は一歩目を踏み出したところだった。
その振動で裏山全体が大きく揺れる。
(前を向け、ナーイ! どんな結果になってもシェイルたちを信じて祈る。今の私には、それしかできないんだから)
ナーイの隣には、同じように巨兵をにらむ男がいた。
一緒に避難していた、雑貨屋のダナンだ。
「ダークエルフめ……。ゴブリンの大群と戦い、消耗させたところで石の巨兵を投入とは!」
ダナンは険しい顔でうなる。
「え? 消耗……?」
「一戦交えたあとだからね。体力も精神力もかなりすり減らしているだろう。せめて魔法を使う精神力が残っていれば……」
ナーイに答えたダナンは、無念そうに首を横に振る。
その瞬間、ナーイは勢いよく立ち上がった。
「それよ!」
周囲の人々が驚きの視線を向けるが、そんなことは気にも留めない。
瞳を輝かせたナーイは、胸の前で両の掌を合わせた。
「あったよシェイル! 今の私にできることが!」
* * *
深緑の木々をなぎ倒しながら、ストーンゴーレムはシェイルたちの方へと向かう。
その姿は、少し背の高い草を無造作に踏み倒しているかのようだ。
歩みは決して早くはないが、一歩一歩と大地を踏み締めて歩く。
その度に地響きが起こり、木々や大地が悲鳴のような音を立てていた。
「あ、あんな化け物を相手にしないといけないんですか!?」
「やるしかないだろう!」
泣き言をいうナイジェルを、レオンは鋭い眼光で睨む。
「ゴブリンたちとの戦いで消耗させて、そこに本命のストーンゴーレムを出す。……ずいぶんと用意周到なことね」
マチルダは息を吐いた。
その間にも、ストーンゴーレムは迫ってきている。
一同は、深まってゆく緊迫感に呼吸することすら忘れそうだった。
その空気を切り裂いて、レスタトの嘲笑う声が辺りに響く。
「フハハハ、行け、ストーンゴーレムよ!」
「オオオオオオオオオオオオオ――――――――ン!!!!!!」
レスタトの言葉に応えるように、ストーンゴーレムの目が更に赤く輝いた。
「フハハ、可愛いやつめ! ……よし、お前に名前を付けてやろう」
森を突き進むストーンゴーレムを眺め、レスタトはあごに手を当てる。
しばしの後……。
「よし、決めたぞ! 全てを破壊するという意味を込めて『ドゴーン』というのはどうだ?」
「……え!?」
一同は唖然とし――、
やがてそれは失笑に変わる。
「な……貴様ら、なぜ笑う!? 俺の感性が理解できぬというか!」
「残念なことにね」
シェイルは笑いながら言う。
「くっ……この魅力がわからんというのか!」
「幸いなことにね」
シェイルは笑いながら再び答えた。
「ぐううう! くそっ、アバレールよ、何か言い返してやれ!」
振り返るレスタト。
そして……。
「……おい、なぜ頬をかいている?」
「いやぁ、レスタト様。いくらなんでも、この状況で名前が擬音語っていうのは……安直というか、短絡的というか。もう少し考えた方がい……」
次の瞬間、鳴り響く鈍い音。
「うおお! 行けドゴーン! やっちまえー!!」
そこには、顔にアザを作って応援するアバレールと、不機嫌な表情を浮かべたレスタトの姿があった。
不毛なやり取りを繰り広げているうちに、ストーンゴーレム・ドゴーンはシェイルたちの眼前にまで迫っている。
その足が、行く手を阻む大木を蹴り上げた。
「こちらに飛んで来るぞ! よけろ!」
蹴り飛ばされた大木を、飛びのいて避ける一同。
地を揺らす轟音。
逃げ遅れたゴブリンが、その下敷きとなり断末魔の悲鳴を上げた。
「このーっ!」
シェイルは光の精霊を呼び出し、ドゴーンにぶつける。
そこにマチルダの〈
「オオオオオオオオオオ――――ン!!!!!!」
巨大な両の掌が、五人を押し潰そうと上空から迫る。
「うわわわわー!」
慌てて回避し距離を取る。
激しい地響きと共に、それまでいた場所には巨大な手形ができていた。
「くそっ! あいつらちょこまかと逃げやがる!」
「ククク……。ならばドゴーンよ、拳を使え!」
命を受けたドゴーンは足を止めると、右拳をシェイルたちの方向へと突き出した。
左手は右の上腕部分に添え、両足を肩幅よりも大きく開く。
「な……何をする気!?」
五人の背中に冷たい戦慄が走る。
ドゴーンの体を走る赤い光は突き出された右拳に収束し、やがて眩い輝きを放ちだした。
「魔力が圧縮されてる!?」
「フハハハ、俺に逆らう愚か者どもよ、泣け! わめけ! 己の無力を思い知れ――――っ!!!!」
レスタトが叫んだ瞬間、ドゴーンの拳が轟然たる爆音と共に発射された。
耳をつんざく轟音と、迫りくる巨大な拳。
「シェイル! もう一度〈
「『シルフ、お願いっ!!』」
シェイルとマチルダは素早く前に出ると、〈
空中に翡翠色に輝く風の盾が現れた。
風の盾を操り、高速で迫りくる拳を受け止める。
そのぶつかり合いは衝撃波となり、周りの木々を激しく揺れ動かす。
レオンと長老は膝をつきなんとか衝撃に耐えるが、体の丸いナイジェルは吹き飛ばされて後ろに転がった。
だが、風の盾で受け止めても、巨大な拳の勢いはいまだ衰えない。
今は均衡を保ってはいるが、少しでも気を抜くと一気に突き破られてしまうだろう。
「くうううううううううっ!!!!」
シェイルとマチルダは、歯を食いしばって〈
「ほほう、やるではないか! ……だが、それもいつまでもつかな?」
意外そうに笑うレスタト。
その隣では、アバレールが目を輝かせている。
「うっはぁ、こんなものを作れるなんて、古代の魔法文明ってスゲェんすね!」
「ククク……。そして、それを使いこなせる我々もまた凄いのだ!」
「ううう、古代人めーっ! ほんと余計なものを残してくれちゃって!!」
シェイルは、古代人に届けと言わんばかりに空に向かって叫んだ。
「く……こ、このままじゃ、私たちの精神力がもたない……!」
マチルダの言葉に、レスタトがニヤリと笑う。
「だが、お前たちの後ろには村がある。盾が破られれば村もタダでは済まんぞ」
「卑劣な手を!」
「ククク、お前たちのような者には一番効果的な手であろう?」
次第に押されはじめる翡翠色の盾を前に、レオンは長老を見た。
「……一か八か、俺とナイジェルで上空から拳に攻撃を仕掛けます」
「おお、それは名案ですね! 落下の勢いも利用すれば、あの拳も砕けるかもしれません!」
レオンの言葉に、ナイジェルは手を叩いて賛同する。
「うむ……。じゃが、どうやって上空から攻撃するつもりじゃ?」
「〈
〈
かつて、白銀の勇者アドニスの鎧にも付与されていた魔法である。
「なるほど。それを使って脚力を上げれば、上空からの攻撃も可能かもしれん。……じゃが」
長老は、口惜しそうに首を横に振った。
「今のワシに残された精神力では、そこまで大きな魔力を練ることができん。〈
「そ、そんなぁ!」
「くっ、ゴブリンとの戦いのせいで……! あのダークエルフに、まんまとしてやられた!」
頭を抱えるナイジェル。
固く握りしめた拳で、もう片方の手のひらを叩くレオン。
見れば、風の盾の色は先ほどよりも薄くなっている。
これは、二人の精神力が限界に近いことを意味していた。
シェイルとマチルダを襲う激しい疲労感。
時折、視界が暗くなり、足から力が抜けそうになる。
「くぅ……こ、これくらいで――っ!!」
シェイルは声を張り上げ、気持ちを奮い立たせた。
『――お困りのようね』
そのとき、凛とした声が心の中に響く。
胸が熱を持ち、大きな鼓動を感じ始める。
それと同時に
美しく伸びた金の髪。
光に包まれた体は半ば透き通っており、服は身に着けていない。
宙に浮かぶ姿は、神々しさすら感じられる。
その女性をシェイルはよく知っていた。
「ディアドラ!」
他の者たちが何の反応もしないところを見ると、その姿はどうやらシェイルにだけ見えているようだ。
「迫る巨大な拳を前に精神力は尽き掛けて、もはや為す術もない……。まさに絶体絶命ね」
ディアドラは、シェイルの小さな肩を後ろから抱くと、顔をそっと近づけた。
「大きな力の前に、あなたたちの小さな力はあまりに無力……」
静かにそう言って、ふっと息を吐く。
「でも、あなたには私がいる。私という力がある。さあ、ここからは私に任せて」
だが、しばしの後に少女は黙って首を横に振った。
その予想外の答えに、
「……何を考えてるの? 今のあなたたちじゃ、この状況を切り抜けられないでしょ! あの拳に潰され、死んでしまってからじゃ遅いのよ!?」
それでも、シェイルは首を横に振った。
「でも……。それでも、あたしたちはまだ諦めてないから!」
シェイルは視線を巡らせる。
隣には、風の盾を維持するマチルダ。
後ろにはレオン、ナイジェル、長老。
巨大な拳を睨むその目は、確かに死んではいない。
そこには、この状況を打開しようとする強い意志が感じられた。
「あたし、今ならわかる。ディアドラも、そしてアドニスも、自分の気持ちだけで……お互いを信じる心が足りなかったんだ!」
「信じる心? 笑わせないで! そんなもの、群れなければ生きられない弱者の
「確かに、あたしたち一人一人の力はディアドラの足元にも及ばない……。でもね、みんなを信じ、心を一つにすれば、そこに大きな力だって生まれるんだ!」
「それはただの綺麗ごとよ! 確かなものは自分だけ! 生きる限り人は孤独よ!」
その言葉にシェイルは微笑むと、ディアドラを見つめた。
「本当はそんなこと思ってないでしょ? ディアドラだって、本当は人を信じたいはず!」
「か、勝手に決めつけないで!」
頭を振ったディアドラは、鋭い目でシェイルを睨む。
「現に、あなたの友達が逃がしたダークエルフは、こうして復讐に戻ってきた! 人は過ちを繰り返す……。あの子の涙に負けた私が間違いだった!」
「違う! それは違うよ! 誰かのことを想って流す涙に間違いなんてない! ディアドラを止めたナーイの涙も! 月明かりの下で流したディアドラの涙も!」
その言葉にハッとするディアドラ。
「あたしがそれを証明する! ディアドラに、絆の力……、人の心の温かさを見せてあげる!」
シェイルは真っ直ぐにディアドラを見つめた。