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第21話『降り注ぐ光の雨』

 落ちてゆく。

 魂が落ちてゆく。

 深い深い闇の中に、その魂は落ちてゆく。


 ――気が付くと、シェイルは暗闇の中を漂っていた。


「ここは……?」


 何も見えない、何もわからない。

 自分がどちらを向いているのかすらわからない。

 赤外線視覚インフラビジョンの能力をもってしても見通すことができない空間。

 ただ果てしない闇だけが、そこを支配していた。


「そっか……あたしは死んだんだ……」


 思わず涙が込み上げ、少女は腕で顔を覆う。


「う……えぐっ……。アドニスみたいな冒険者になるどころか、村のみんなも守れなかった……」


 しかし、溢れる涙は彼女の細い腕では押さえきることはできない。


「お父さん……お母さん……ナーイ……ごめんね……」


 シェイルは泣いた。

 声を上げて泣いた。

 暗闇の中、シェイルの泣き声だけが響いてゆく。


「悔しい……悔しいよぅ……」


 そのとき、不意に足に違和感を覚えた。

 目を向けると、右足の先が闇に包まれている。

 それは、ゆっくりと這い上がるように次第にシェイルの体を侵食してゆく。

 右足、そして左足が飲み込まれ、闇は腰の位置まで這い上がってきた。


「これが……死……」


 全身が飲み込まれたとき、この命も完全に終わるのだろう。

 全てが闇に飲まれ、全てが闇に帰す。


「あたしは……死ぬ……」


 闇は、いつしか胸までも飲み込んでいた。


「…………ダメ」


 かすれたような声が漏れる。


「ダメだ! あたしは、まだ死ねないっ! あたしが死んだら村は! みんなはどうなるの!?」


 しかし死の闇は、今や首元にまで迫っている。

 声を出すことすら息苦しい。

 だが、それでも必死に想いをつむぐ。


「くっ……守るんだ。大好きな人たち……誰も失っちゃいけないっ!」


 暗闇の中、光を求めて必死に手を伸ばす。

 だが、死の闇は、その手も無情に飲み込んでゆく。


「あたしは……」


 シェイルは、残された力を振り絞って強く叫んだ。


「あたしは、力がほしいっ!!」


 遂に闇が、完全にシェイルを飲み込んだ。


 ――瞬間!


『力がほしいなら、貸してあげる!』


 刹那に響き渡る声。

 それと共に、金色こんじきに輝く光の雨が辺りに降り注ぐ。

 光の奔流ほんりゅうは闇の世界を押し流し、シェイルを優しく照らし出した。


「こ、これは……」


 先ほどまでの息苦しさは、もうどこにもない。


「あたし……助かったの……?」


 つぶやくシェイルの前で、光は少しだけその輝きを弱め、球の形となって降りてきた。


「あなたが……助けてくれたの?」


 まばゆい輝きに、手で目を覆いながらシェイルは言う。


『そう――私が、あなたを助けた』


 光の球から、凜とした声が響いた。


「あ、ありがとうございます。……う、まぶし……」

『ふふ……。この姿のままじゃ話しづらそうね』


 次の瞬間、光の球から輝きが広がって――。


 それが収まったとき、そこには金の長い髪を持つ女性の姿があった。

 一糸まとわぬその体は金色こんじきの淡い光を放つ。

 気高く幻想的な美しさに、シェイルは思わず息を呑んだ。


「あ、あなたは……?」


 戸惑うシェイルに、女性は少しだけ微笑み静かに口を開く。


「私はあなた、あなたは私……。私は、前世のあなたよ」

「えええっ!? あたしの前世!?」


 驚くシェイルは、そして、がっくりとうなだれた。


「あたしの前世、アドニスじゃなかったんだ……」

「アドニス……。懐かしい響きね」

「えっ!?」


 シェイルは、女性を見つめる。


「輝く金色の髪……アドニスを知ってる……」


 その瞬間、シェイルの頭にある考えがよぎった。


「ま、ま、ま、まさか……!?」

「そう……」


 たじろぐシェイルを、女性は真っ正面から見つめた。

 その口が、ゆっくりと開く。


「私は、ディアドラ。ディアドラ・アクアマリー」


 静かな、しかし凜とした揺るぎない声。

 それは、シェイルの心に衝撃となって突き刺さる。


 幼い頃から憧れていた『アドニス物語』は、実際の話だった。

 そして、その登場人物が自分の前世だという。

 普通なら感動の嵐に震えるところだ。


 そう、普通ならば……。


 しかし、シェイルは顔をそむけた。

 そこには明らかに嫌悪の色が浮かんでいる。

 その姿に、ディアドラはそっと目を伏せた。


「あなたが、私のことを嫌っているのは知っているわ……」


 悲しみの音色が、その口から漏れた。


「私は……アドニスを苦しめていた女だものね」


 握り締めた手を、胸に押し当てるディアドラ。

 その声色は、シェイルの胸を強く締め付ける。


 ディアドラは嫌い!

 アドニスを苦しめたから、大っ嫌い!!


 ……ずっとそう思ってきた。


 だが、目の前のディアドラは、とても小さな女性に感じる。

 とても小さくて、深い悲しみをたたえているような……。


「そ……そのディアドラが、なんの用だって言うのっ!?」


 内心を悟られぬよう、シェイルは語気を強めた。


 あたしは、ディアドラが嫌いなんだ!!

 その想いを込めた瞳で振り返る。


 しかし、自分を見つめるディアドラの悲しげな瞳に、シェイルの胸は強く脈打った。


「……わからない?」

「そんなの、わかるわけ……」

「あなたが呼んだのよ!? あなたが願ったのよ!? 力がほしいんでしょ! みんなを守れる力がほしいんでしょ!!」


 真剣な瞳でディアドラは見つめてくる。

 その視線に、シェイルは唇を強く噛み締めた。

 胸の中に、レオン、マチルダ、ナーイ、そして村の人々の顔が浮かび上がる。


「そうよ……。あたしは……力がほしい……」


 シェイルは、拳を握り締めた。


「あたしは、みんなを守れる力がほしいっ!!」


 心に浮かんだ人々の顔は、いつもシェイルが見ていた、掛け替えのない笑顔であった。


「ふふ……。やっと素直になったわね」


 小さく笑うディアドラに、思わずシェイルの顔が真っ赤に染まる。


「で、でもっ! どうやってみんなを守るのっ!?」

「これから私は、あなたの体を借りるわ。魂だけの私は、あなたの体を借りることで現世に力を現すことができる」


 まるで海の底のような深く静かな声に、シェイルはゴクリと唾を飲み込んだ。


「で、でも……」


 心配そうな表情を浮かべるシェイルに、ディアドラはクスリと笑う。


「大丈夫、用が済んだら体は返してあげる。何も心配はいらないわ。あなたはただ、私に全てを預けてくれればいい」


 ディアドラの体が少しずつ光を放ち、その輪郭がぼやけてゆく。


「それじゃ、いくわよ……」


 スッと伸ばした指先が、シェイルの頬に触れた。


「ん……」


 溶けてゆく感覚――。

 グラスに張った水の中に落とした一滴の赤い葡萄酒ワインのように、ディアドラの意志が流れ込み、溶けて、そして混ざり合う感覚――。


(温かい……)


 シェイルは瞳を閉じ、その感覚に身をゆだねた。


 金色こんじきの輝きが、辺りに広がってゆく――。




* * *




「ハーッハッハッハッ!! 赤髪の娘は死んだ!!」


 レスタトの高笑いが響き渡る。


「いやーっ、シェイルーッ!!」


 泣き叫ぶナーイは、自分を抱き締める父の手を無理やりに振りほどく。

 しかし、いくら声を枯らして叫んでも、炎に包まれた親友はピクリとも動かない。


「いやああああああああああっっっ!!!!」


 ナーイは、地面に額をこすりつけて泣き叫んだ。

 その様子を喉で笑いながら、レスタトは炎の壁に手をかざした。

 すると、まるで場所を譲るかのように炎が割れ、そこに道ができる。


「諦めろ、茶髪の娘よ……。赤髪の娘は死んだのだ!」


 その道を悠然と歩くレスタト。

 ナーイは涙溢れる瞳で睨むと、火傷でただれた手で足元の小石を拾い上げた。


「シェイルを返せーっ!!」


 投げつけた小石はレスタトの額に命中し、そこから一筋の血が流れ落ちる。

 アバレールが慌てるが、レスタトは気にする様子もない。

 しばしの間、小石を投げ続けたナーイだったが、やがて力無くその場に座り込んだ。


「お願いだから……シェイルを……返してよ……」


 レスタトの足が、ナーイの前で止まる。

 その手が、白く細い首に伸びた。


「うっ!?」

「小娘……。このまま絞め殺されるのと、炎に焼かれるのと、どちらが好みだ?」


 首にかかる強い力にうめき声が漏れる。

 その苦しむ表情に、レスタトの口元がニヤリと歪んだ。


「よし……。お前は、このまま絞め殺すとしよう!」


 狂気の色に瞳を染め、レスタトの手が更に力を増した。


「させるものか!!」


 村長たちは叫び走り出す。

 だが、その行く手にアバレールが立ちふさがる。


「レスタト様の邪魔はさせねぇんだぜ!」


 アバレールは雄叫びを上げて大剣を振り回し、そのままの勢いでなぎ払う。

 その一撃を短剣で防いだ村長は、吹き飛ばされて隣りの長老に激突し地面を転がった。


「うぐぐ……ナーイ……」


 二人は痛みをこらえて顔を上げる。

 アバレールの肩口に、苦しむナーイの姿が見えた。


「う……く……!」


 ナーイは、レスタトの手を引きはがそうと、必死に爪を立ててもがいている。

 爪はレスタトの皮膚に食い込み、そこから血がにじみ出た。


「ククク……いいぞ! この痛み、この流れる血こそが、我が生きている証!!」

「へ……変態……!」

「フハハハ! 何とでも言うがよい!! ……そらっ!!」


 興奮したかのように力を増す手に、視界がぼやけ始める。


(シェイル……。もうすぐ……そっちに行くことに……なりそうよ……)


 ナーイの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


 その瞬間!


「――その手を離しなさい!!」


 場の空気を切り裂いて響く凛々しい声。


「むうっ!?」


 思わずレスタトの手が緩み、ナーイが滑り落ちた。


「がはっ!! がはっ!!」


 解放されたナーイは地面に倒れ込み激しく咳き込んだ。

 久しぶりの酸素が体中を駆け巡る。


「うう……助かったの……?」


 顔を上げたナーイは、次の瞬間、目を疑った。


「シェイル!?」


 そこには、シェイルが立っていたのだ。

 その髪は金に染まり、その身は淡い光を放っている。


 金色こんじきのシェイルは、ゆっくりと手を振り上げ――。

 そして一気に振り下ろす。

 その途端、激しい突風が巻き起こり、周囲の炎を全て吹き飛ばした。


「な、なんだと!?」

「さあ……続きをはじめましょうか!」


 静かで、だが鋭い声が辺りに響き渡った。

 レスタトを襲う、精神的な圧迫感。

 息が荒くなり、頬を汗がつたう。


(くっ……! この俺が気圧されているだと!?)


「どうしたのかしら?」


 静かな声色。

 その内心を見透かしたかのように、金色こんじきに輝くシェイルは笑った。


「く……くそっ! 赤い髪が金になったところで、何も変わりはしない!」


 重圧を吹き飛ばすようにレスタトは叫ぶと、その手を頭上へとかざした。

 響く精霊語の詠唱。

 炎は揺れ動き、燃え盛る矢が現れる。

炎の矢ファイア・ボルト〉の魔法だ。


「再び燃え上がれ、小娘ー!!」


 レスタトの命を受け放たれた炎の矢は、うなりを上げて突き進む。

 迫り来る炎に向かって、金色のシェイルは、スッ――……とてのひらを突き出した。

 次の瞬間、炎の矢は直撃し、辺りに激しい爆音が響き渡る。

 もうもうと舞い上がる爆煙。


「フハハ……フハハハ……!」


 だが、レスタトの笑い声は、すぐに止まることとなる。

 煙の中から現れたシェイルは、傷一つ負っていなかったからだ。


「バ、バカなっ!」

「あなた、真の〈炎の矢ファイア・ボルト〉を見せてやると言ってたわね。それじゃ、こういう使い方は知っているかしら?」


 金色こんじきのシェイルは、天に向かって手を伸ばした。

 その手の上に周囲の炎が集まり、矢の形を成してゆく。


「これは、今はまだ何の変哲もない〈炎の矢ファイア・ボルト〉。……でも!」


 かざした掌をゆっくりすぼめると、その動きに合わせ、矢が細く鋭い形に変化した。


「フ、フン! 〈炎の矢ファイア・ボルト〉を細くできたから何だと言うのだ!!」

「ふぅ……そんなことも理解できないなんて。魔法は術者の力と想像力で進化する。あなたは、魔法の本質がまだわかっていないようね」


 ため息をついたシェイルは、手を振り下ろす。


「ぐあっ!?」


 刹那、レスタトの左腕に熱い痛みが走り、それと同時に背後の樹木が弾け飛んだ。


「な……なんだ!?」


 顔を歪め、レスタトは腕に視線を落とした。

 左腕には小さな穴が空き、炎で焼け焦げている。


「こ、これは……」

「細く鋭く凝縮された矢は、初速と貫通力を極限まで高めてある……」


 弾け飛んだ樹木は炎に焼かれ、火の粉となって降り注ぐ。


「〈深炎の針スカーレット・ニードル〉とでも名付けましょうか」


 降りかかる火の粉を浴びながら、金色のシェイルは笑った。

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