初夏の陽射しを浴びて、草木が一斉に背を伸ばす。
それは、さながら光を求める、いくつもの手のようにも見えた。
木漏れ日を浴びて歌う小鳥たち。
そして、時折、頬をなでてゆく柔らかな風。
この時期の山歩きは、とても気持ちが良いものだ。
……これが、遊びならば。
「いてて、いててて……」
草木をかき分け、シェイルが姿を現す。
子犬のルナルナを探して村を出たシェイルだが、村からの道の上にルナルナの姿はなかった。
そのため道を外れ、山の中を探してみることにしたのだった。
「『あたしに任せて!』なんて言ったけど、これは、なかなか大変だわ……」
独り言を口にしながら、シェイルは足を進めてゆく。
成犬ならば自分で帰って来るかもしれないが、ルナルナはまだ子犬だ。
ちゃんと帰って来るという保障はない。
山には狩人の仕掛けた狩猟用の罠もある。
更には、魔物たちの住処でもあるのだ。
もし山に迷い込んでいたのなら、一刻も早く見つけ出さなければならない。
「迷子の迷子のルナルナやーい!」
シェイルの声が、辺りに響き渡った。
そのとき、ふと水の流れる音が聞こえてきた。
「川の音……?」
音のする方向へ歩を進め、草木をかき分けると、不意に開けた場所に出た。
「わぁ!」
それは、涼しげな音を立てて流れる小川であった。
流れる水面は、陽射しを浴びて様々な輝きを放つ。
その水はとても澄んでいて、泳ぐ魚の姿も見えた。
「こんなとこあったんだ! 帰ったら、ナーイにも教えてあげよーっ!」
新たな発見に心が踊った。
――そのとき!
「キャウン!」
響き渡る子犬の悲鳴。
慌てて目を向けると、向こう岸の木の間にルナルナの姿が見えた。
ルナルナは生け捕り用の罠に捕らえられ、宙吊りの状態で情けない鳴き声を上げている。
幸いにして怪我はしていないようだ。
シェイルは、ほっと胸をなでおろした。
「待っててっ! 今、助けてあげるから!」
そう声を掛け小川に近付くが、近くで見ると水深は意外とあり、流れも早い。
「うーん、どこか渡れそうなところは……」
と、視線を巡らせる。
少し下流に行ったところに、川の中から岩が顔を出し、渡り石のようになっている箇所が見えた。
その岩を渡れば向こう岸に辿り着けそうである。
「今、行くからねっ!」
シェイルは、渡り石に向かって走り出す。
だが、不意にルナルナ以外の気配を感じ、シェイルは振り返った。
「あっ! あれは、ゴブリン!」
そこには、二体の赤肌の鬼、ゴブリンがルナルナを見上げていた。
ルナルナは低いうなり声を上げるが、ゴブリンたちは気にする様子もなく、小躍りをして喜びを表している。
「こらーっ! ルナルナに何する気だーっ!」
叫ぶシェイル無視して、一体のゴブリンが身軽に木登りを始めた。
その口には、
おそらく、木に結んである縄を切るつもりなのだろう。
そして、網ごとルナルナを連れ去る。
その後は……。
あの口元から溢れ出すヨダレを見れば、容易に想像がつく。
「そ、そんなこと、させないんだからっ!」
シェイルは身震いし、再び走り出す。
「すぐにそこに行くから、大人しく待ってなさいっ!」
しかし、その言葉に反応するように、ゴブリンの作業速度が上がった。
「あ、このっ!」
木に登ったゴブリンは、枝に結ばれている縄に短剣の刃を当てた。
縄は、意外なほどあっさりと切れる。
支えを一つ失った網は斜めに傾くが、ルナルナは網に絡まっているらしく、幸か不幸か下に落ちることはなかった。
ゴブリンは、身軽に隣りの木に飛び移る。
そして、同様に短剣で縄を切ってゆく。
「あの動き……手慣れてるっ!」
シェイルはチラリと振り返り、歯噛みしながら言った。
「そーいえば、時々罠が外されて獲物が持ち去られるって聞いたけど……」
コイツたちの仕業かもしれない――。
そう思いながら、シェイルは更に走るスピードを上げた。
そして、渡り石まで辿り着くと、
「よっ! ほっ! はっ!」
スピードを殺さずに岩の上を渡り始めた。
「たーっ!」
見事、向こう岸に着地を決めたシェイルは、着地の余韻もそこそこにルナルナの方へと目を向けた。
その瞳に、網ごとルナルナを担いで逃げてゆくゴブリンの背中が映る。
「ちょ……! このっ! 待てって言ってるでしょーっ!!」
ゴブリンを追って、シェイルは再び走り出す。
「絶対に逃がさないんだからっ!!」
全速力で走るシェイル。
その足はなかなか速く、ゴブリンとの差がみるみる縮まってゆく。
――が、その足は不意に動きを止めた。
そして、慌てて茂みの中に身を隠す。
ゴブリンが向かった先、それは切り立った崖にある洞窟だった。
黒く深い闇が、ぽっかりと口を開けているような入り口の前に、おそらく見張りをしているのであろう、ゴブリンが二体立っていた。
「あそこが巣なのね……」
シェイルは、茂みからひょっこりと頭を出す。
あのまま追い掛けていたら、ゴブリン四体を相手に大立ち回らなければならなかったろう。
(悔しいけど……今のあたしには、四体いっぺんに相手する力はない……)
シェイルは、拳を強く握り締めた。
「ギギッ?」
「ギ~♪」
ルナルナを担いだゴブリンは、見張りのゴブリンと二、三、短い言葉を交わす。
やがて、見張りの一体と、ルナルナを担いだ二体のゴブリンは、洞窟の中へ姿を消した。
入り口には、見張りのゴブリンが一体だけとなる。
(これはチャ~ンス!)
シェイルの目がキラリと光った。
普段から、剣士であり冒険者であった父から、稽古をつけてもらっている。
一体だけというのなら、ゴブリン相手に遅れを取ることはないだろう。
だが同時に、脳裏に疑惑が浮かぶ。
ゴブリンに気付かれずに近付き、そして、一撃で勝負を決められるのか。
そのどちらが欠けても、仲間を呼ばれてしまう可能性がある。
そうすれば、ルナルナの救出は更に困難となるだろう。
「くっ……どうしたらいいの?」
シェイルはゴブリンを睨んだまま、首から下げた精霊石を無意識に握り締めた。