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第8話『魔竜王の咆哮』

 彼は今、満たされていた。

 全てが自分の想い描いた筋書き通り。


 魔竜王の力を手にすることで、唯一無二で絶対の存在となった自分。

 それは、望みさえすれば時間すら支配できるのではないかと思えるほどの力だった。


 何者も、我に抗うことはできない。


 が、しかし、それは同時に退屈な時代の幕開けでもあった。


 だが――。

 あの男だけは違った。


 彼の口元が、闇の中でニヤリと歪む。

 勇者アドニス。

 エメラルダ姫の元親衛騎士。


 思えば、あのとき……。

 姫を奪ったあの夜、アドニスを生かしておいて良かったと思う。

 若い芽は成長し、真っ赤に熟れた実を付けた。

 あとは、それを食すのみ……。


「クックック……」


 思わず漏れた笑い声が、闇の中に響いた。




「『我が命に応じ、扉よ開けっ!』」


 そのとき、扉の向こうから古代の言葉を叫ぶ声が聞こえた。

 その言葉を鍵として、玉座の間の扉は開いてゆく。


 開け放たれた扉から差し込む光が、一筋の道となって玉座を照らし出した。

 玉座に悠然と構える初老の男。

 禍々しい瘴気をまとい、片肘を付く姿。

 この悲劇の元凶。


「ジャグナ――――――スッッッ!!!!」


 アドニスは、渾身の怒りを叫びに変えた。

 その姿勢を崩さずに、ジャグナスはニヤリと笑う。

 地の底から湧き響くかの如く陰惨で、お前は無力だと言わんばかりの冷笑。

 それは、沸点にまで達しせしめた彼の怒りを、更なる高みへと押しやった。


「クックックッ……そう、いきり立つな。ここは、人間のお前には暗かろう」


 ジャグナスは立ち上がり、スッと腕を上げる。


「『明かりよ……』」


 その古代の言葉を合図に、壁の灯台に青白い炎が灯った。


「魔竜王を取り込んだせいか……暗闇の方が落ち着くのでな」


 灯りに照らされた玉座の間は、エメラルダ姫が治めていたときと何一つ変わっていなかった。

 ただ違うのは、玉座に姫の姿はなく、そこには邪悪なる魔竜王がいる。


「ジャグナス!! 姫はどこだっ!!」

「案ずるな、姫は無事だ……。今、その姿を見せてやろう」


 ジャグナスが指を鳴らすと、玉座の隣りに置かれた水晶球が光り、空中に映像を映し出した。


「これは……水牢!?」


 透明な球の中いっぱいに張られた水。

 その中に揺らぐ姿は――。


「姫っ!!」


 姫は瞳を閉じ、祈るように両手を胸の前で合わせている。


「この液体は、我の魔力で制御されている……。中に外の声は届くことはない……」

「くっ! 何のために、こんなことを!!」

「ククク……。この女、なかなか強情でな……。我のものになることを拒み続けた」


 ジャグナスは、ゆらゆらと浮かぶ姫を見つめる。

 その目が、突如見開かれた。


「ならば、我の海の中で、そのくだらぬ人格を消せばよい!」


 見開かれた目は、狂気の色に染まっている。


「そして、我に従順な人格を書き込み、新たに生まれ変わらせれば良いのだ! 力も世界も手に入れた! あとは姫の愛さえ手に入れれば、我の望みは叶えられる!」

「それで手に入れた愛に、何の意味がある!!」

「いつの世も、他人には理解できぬ愛があることを知れ、アドニス!」

「お前のは愛じゃない、ただのエゴだ!!」

「ククク、吼えるがいい……。人格の消去はまもなく始まる。我が、全ての支配者となる時が来たのだ!」


 天を仰ぎ見て笑うジャグナスに、アドニスは剣を構える。


「ならば……その前にお前を倒し、姫を救い出してみせる!」

「やってみるがよい!」


 ジャグナスの手の中に、ディアドラの命を奪った短剣が静かに現れた。


「貴様に、魔竜王の本当の恐ろしさを教えてやろう」


 ジャグナスは鍔にはめられていた紅く脈打つ宝玉に手を掛け、それを一気にむしり取る。

 そして口を蛇のように大きく開き、宝玉を一口で呑み込んだ。

 その異様な光景に、果てしない戦慄が走り抜ける。


「グウゥゥゥ……ウガァァァァァァァァァッ!!!!」


 取り巻く大気が震え出す。


「ガァァァァァァァァァオオオオオオオオオ――――――――――――ン!!!!!!!」


 魂をえぐるような魔竜王の咆哮は、少しでも気を抜くと意識を持っていかれそうだ。

 見開かれた眼は、ディアドラを喰った宝玉のように、紅く紅く輝いている。


 やがてその顔が、体が形を変えてゆく。

 口が裂け、角が生え、破れた服の下から黒い鱗が現れた。

 体はみるみるうちに巨大化し、玉座の間を突き破る。

 壁が砕け、天井が崩れ、辺りはたちまち瓦礫の山と化した。


「くっ……ジャグナスッ!」


 アドニスは叫びジャグナスを睨むが、それ以上言葉は続けられなかった。


 アドニスの瞳に映るもの、それは翼を持つ巨大な一角の黒竜の姿だった。


 血の色に染まる瞳。

 鋭く輝く一本角。

 空気をも斬り裂く大きな鉤爪。

 闇よりも深い黒色の鱗。

 巨人ですら絞め殺せそうな、長く太い尾。

 その鼻と口からは、呼吸をする度に黒い炎が漏れ出している。


 その暗黒竜の姿は、まさに恐怖と絶望の象徴だった。


「何てことだ……」


 かろうじて、うめくような声が出た。


「クックックッ……。この姿になったら、もう優しくはできんぞ」


 ジャグナスは言う。

 その声だけで、魂が砕けそうなほどの威圧感を与えてくる。


「ここは狭い……」


 ジャグナスは、背中の巨大な翼を広げて飛び上がった。

 にわかに突風が巻き起こる。


「ついて来れるのだろう?」


 上空から玉座の間を見下す魔竜王を、アドニスは燃えるような瞳で睨んだ。


「当然だ!」


 アドニスが古代語の呪文を唱えると、身に着けていたマントが光り輝き、体が宙に浮かび上がる。

 その様子に、ジャグナスは満足げに口端を吊り上げた。


 ジャグナスと対峙するアドニス。

 その背中を冷たい汗が伝ってゆく。

 息遣いも荒くなる。


(気圧されているのか……!)


「どうした? 顔色が悪いぞ」


 そんなアドニスを見透かしたかのように、ジャグナスは笑った。


「貴様から来ないのなら、こちらから行ってやろう……」


 ゆらり――と、動いた次の瞬間、爆ぜるようにジャグナスが迫る。


「ちいっ!!」


 とっさに上昇し、襲い来る爪をすんでのところで避けた。

 空振りした爪は、城の屋根をいとも容易く斬り裂いてゆく。

 あの爪に触れたが最後、その体は肉塊へと姿を変えるだろう。


 だが、逃げてばかりもいられない。

 アドニスは意を決すると、鎧に込められている〈身体強化フィジカルブースト〉の魔法を開放し、白銀の輝きを纏ってジャグナスへと飛んだ。

 迎え撃とうと迫る爪を避け、滑るように懐に潜り込んで渾身の一撃を叩き込む。

 鳴り響く高音、飛び散る火花。

 黒鱗を、そして肉を斬り裂く感触が、そこにはあった。


 が、その傷は即座に再生を始める。


「くそっ!」


 そのまま二度、三度と斬りつけるが、再生する体には、さしたる傷にもなっていない。


「ならばっ!」


 アドニスは後ろに飛んだ。


「これを受けてみろ!」


 アドニスの両手から次々と放たれる〈聖なる矢ホーリー・アロー〉の神聖魔法。

 邪悪を打ち砕く聖なる矢は、全てジャグナスに直撃し爆発した。


「まだまだ!!」


 なおも〈聖なる矢ホーリー・アロー〉を放ち続ける。

 嵐のような轟音と共に爆煙が巻き上がった。


「再生するというのなら、それが追い付く前に次の攻撃を加えればいい!」


 激しい猛攻。

 爆煙が、ジャグナスを包み込んでゆく。


「トドメだっ!」


 アドニスは頭上に手をかざした。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 手の中に幾本もの聖なる矢が現れ、一つに重なり、まばゆく輝く巨大な槍となった。

聖撃槍ホーリー・ランス〉――それは、単体への攻撃ではあるが、神聖魔法の中で最大の攻撃力を誇る。


「落ちろ――――――っっっ!!!!」


 放たれた聖なる槍は、うなりを上げて爆煙の中に突き刺さった。

 魔竜王を貫く確かな手応え。

 白い光の大爆発が巻き起こる。


 だが、その光の爆発が収まったとき、アドニスは絶望というものを覚えた。

 そこには、悠然と自分を見るジャグナスがいたのだ。


「今のはいい攻撃だった……。しかし、我を倒すには少し力不足だったようだな」

「……くっ!!」

「貴様には本当に驚かされる……。ただの人間でありながら、ここまでの力を持つとは」


 そう言って笑う声は地響きとなり、大地を揺るがせる。

 目を細めるジャグナス。

 その声が消えたとき、そこはかつてない静寂に包まれた。

 巨大な口が、静かに開かれる。


「さあ、終焉の時だ……!」


 狂気の眼が見開かれ、開いた口から黒い炎が吐き出された。

 炎は、それ自体に意志があるかのようにアドニスに迫り、絡み付く。


 そのとき、白銀の鎧が強く輝いた。

 輝きはアドニスを包み込み、黒き炎を消し飛ばす。


 だが……。

 次の瞬間、鎧に亀裂が走った。

 防護の力をも上回る暗黒の炎の前に、魔法の鎧は無残にも輝きを失い、そして砕け散る。


「白銀の鎧が!?」

「どこを見ている」


 刹那、体を襲う強い衝撃。

 巨大な尾の一撃に、アドニスは玉座の間に叩きつけられた。


「ぐ……はぁ……」


 全てが桁違いだった。


 上空ではジャグナスが、次の炎を吐き出そうと大きく息を吸い込んでいる。

 鎧の力を失った今、あの黒炎から身を護るすべはない。

 だが、避けようにも体が動かない。

 まるで、全身の骨が砕けてしまったかのようだ。


「ここまでなのか……」


 絶望がアドニスを襲う。

 ――そのとき、手に何かが触れた。


「これは、ジャグナスの水晶球……」


 水晶球の中には、水牢に浮かぶ姫の姿が映し出されている。


「そうだ……姫は、まだ戦っておられる……。なのに、俺が先に諦めるわけにはいかない!」


 アドニスは四肢に力を入れ、痛む体を引きずって、無理やりに立ち上がった。


「ほう、まだ立つか……。だが、もはや我の炎を防ぐ術はない!」


 ジャグナスの口が大きく開かれた。


「終わりだ、アドニス! その全て、塵と化すがよい!!」


 その口から吐き出された黒炎が、アドニスもろとも玉座の間を飲み込んだ。

 勝利を確信したジャグナスの笑い声が、辺りに響き渡る。


 ――次の瞬間、黒炎の中に輝く金色の光。

 それは閃光となって、ジャグナスを貫いた。


「グアア――ッ!?」


 魔竜王の一本角が切断され、地上へと落ちてゆく。


「き、貴様……何故……!」


 ジャグナスは金色の光を睨んだ。そこには、自分を見据えるアドニスがいた。


「ディアドラ……お前の言うとおりだ。あいつを倒すのは、神でもなきゃ無理のようだ」


 アドニスは静かにつぶやく。


「ま、まさか!?」


 金色に輝くその姿に、ジャグナスは焦りを隠せず叫んだ。


「貴様、神を降臨させたのか!!」


降 臨コール・ゴッド〉、それは自分の肉体を器として、神を宿らせる神聖魔法だ。

 神々の大戦で肉体を失った神は、この世に介入する術を失ってしまった。

 それゆえ、その魂を器に宿らせることで、かつての力を取り戻すことができるのだ。


 アドニスは自らを器とし、光の至高神を降臨させることで、魔竜王を上回る力を手にしたのだった。


「だ、だが、それでは貴様の体が持つまい!」


 神を降臨させた器は、その超越した力に耐えられず、肉体はおろか魂までも消滅する。


「しかし、お前を倒すにはこれしかないんだ!」

「グオオオオッ! アドニス、貴様ァァァァ!!!」


 ジャグナスが吠えた。


「グァァァァッ、我の魔力が漏れてゆく――――!!!」


 切り落とされた角の斬り口から溢れ出す黒い光は、ジャグナスの体を包んでゆく。


「お、愚か者め! あの角は、魔竜王の力を制御する封印が掛けてあったのだぞ――!!」


 ジャグナスの叫びが響き渡る。


「わ、我の意志が消えて……い……く……」


 そして、その体は完全に闇の中に飲み込まれていった。


「ならば、魔竜王も倒すまでだ!」


 アドニスは強く言い放った。


 ――そのとき!


 ドクン――。


「ぐっ!?」


 かつてない激しい疲労感に、アドニスは胸を押さえた。


「くうっ……。も、もう限界だというのか……!」


 アドニスの体から金色の光が広がってゆく。


「ぐっ……ううっ……! アアアアアアアアアアアアッッッッッ――――――!!!!!」


 城の上空に広がる、金と黒の輝き。

 アドニスの叫びは、その光の中に消えていった。

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