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第7話『精霊たちの鎮魂歌』

「ディア……ドラ……!?」


 短剣は――。


 ディアドラの腹部に深々と突き刺さっていた。


「アドニス……その甘さが……あなたの優しさ……あなたの強さなのかもね……」


 腹の中から熱いものが込み上げ、彼女は吐血する。


「何故こんなことをっ!!」


 アドニスは叫ぶ。

 しかし彼女はそれには答えない。

 かわりに、その目をある場所へと向けた。


 彼女の瞳に映る重厚な扉。

 それは、玉座へと続く扉だ。

 玉座周りは他よりも強い防御障壁の魔法が掛かっているため、その姿はいまだ健在である。


 半ば廃墟と化した城の中で傷一つない玉座は、ひときわ異彩を放つものだった。


「ジャグナス……見ていたでしょう!」


 ディアドラは扉に、そしてその向こうの玉座にいるはずのジャグナスに叫ぶ。


「私は約束を守った……。今度は、あなたが守る番よ!」

「約束!?」


『クックックック……』


 その瞬間、二人の耳に笑い声が響く。

 地の底から響くような禍々しい声に、アドニスは聞き覚えがあった。


『久しいなアドニス……。あのときの若僧が、よくぞここまで力を付けた』


 アドニスはギリッと奥歯を噛み締める。


「ジャグナス、約束とは何だ! ディアドラに何をした!!」


『その娘と契約をしたのだよ……。我に、お前か……その娘の命を捧げるというな』

「何だとっ!?」

『そのかわり、この世界に人が住める場所を残してくれと。……泣かせる話ではないか』

「ディアドラ、何てことを!!」


 アドニスは、ディアドラを真っ正面から見据えた。


「ごめんなさい……。でも、人間が生き残る方法は、これしかなかったから……」

「だからって!」

「それに……」


 ディアドラも、アドニスを見つめる。


「私、誰にもあなたを渡したくなかった……。ジャグナスにも……姫にも」


 その瞳に、涙が浮かんだ。


「それであるとき、ジャグナスの声が聞こえてきて……。誰かにあなたを奪われるくらいなら、あなたを殺して私も死のう。そう思ったんだ……」


 涙はこぼれ落ち、彼女の頬を濡らしてゆく。


「……だけど、やっぱり私には、あなたを殺すことなんてできなかった」

「だから、自分で自分を刺したのか!!」

「ごめんなさい。でも、これで人の居場所は守られたから……」


 ディアドラは、そう言って力無く微笑んだ。


「バカやろう! そんな約束、ヤツが守るとでも……」

『約束は守ろう』


 アドニスの言葉を遮って、ジャグナスの声が響く。


『我としても、人の住む世界を消してしまうのは本意ではない。人間には生きてもらわねば困るのだ。……我が糧としてな!』

「そ、そんな!」

「わかっただろ。これがジャグナスなんだ」

「アドニス、私……」

「大丈夫、心配するな。とにかく今はその傷を癒そう」


 アドニスは、突き刺さったままの短剣の柄に手を掛けた。


「……剣を抜くぞ」


 そして、それを一気に引き抜く。


「あうっ!」


 押さえがなくなった傷口から大量の血液が吹き出し、辺りを赤く染めた。


「『神よ……癒しを!』」


 アドニスは短剣を投げ捨て至高神に癒しの奇跡を願う。

 その力により傷は瞬く間に塞がって――。


「何っ!?」


 そして、再び広がった。


「くっ、もう一度!」


 アドニスは、先ほどよりも精神を集中して祈りを捧げる。

 だが、傷口は一旦は塞がるものの、またすぐに広がってしまう。


「くそっ、何故だっ!」


 辺りに、ジャグナスの押し殺した笑い声が響く。

 アドニスはハッとして、投げ捨てた短剣を見た。


「この短剣は、まさか……」


 苛立ちを隠せないアドニスに、魔竜王は冷やかに笑う。


「くっ……! この短剣でつけた傷は呪いとなり、決して癒えることはない」

『ククク……正解だ!』

「くそっ!!」


 爪が手のひらに食い込み血がにじむほど、アドニスは拳を握り締めた。

 魔竜王の呪い。

 それは、おそらく魔竜王本人にしか解くことはできないだろう。


 怒りに震えるアドニスを楽しむように、ジャグナスは言葉を続ける。


『更に、こういう趣向も仕掛けてある』


 パチン、と魔竜王が指を鳴らすと、それに呼応し、短剣が音もなく浮かび上がった。

 ブゥン――。

 という音と共に、鍔にはめられた血の色のような宝玉に紋様が現れる。


『――喰らい尽くせ、魂喰い!』


 その瞬間、宝玉が輝き、放たれた黒い光がディアドラを包み込んだ。


「きゃああああああっっっ!!!」


 ディアドラの悲鳴が響き渡る。


「ディ、ディアドラ!?」

「うあああああああああ――っっっ!!!!」


 黒い光はその体に絡みついてゆく。

 赤黒かった宝玉は鮮やかに紅く輝き、やがて心臓のように脈打ちだした。


 全身を襲う激しい痛みと、魂が抜けてゆくような虚脱感に襲われ、彼女は悲鳴をあげ続ける。


『この娘……このまま失うにはあまりにも惜しい……』


 ジャグナスの静かな声が響く。


『ならば、その力を我がものとし、その魂は我の中で永遠を刻ませよう!』

「キサマ……ディアドラを取り込むつもりか!!」

『我が力となれることを誇りに思うがいい!』

「あああああああああああああ――――っっっ!!!!!」


 ディアドラの体が次第に薄く透けてゆく。

 それに伴いアドニスの腕に感じる重みも軽くなる。

 これは、彼女がこの世から消滅しようとしていることを意味していた。


「くそ――っ!!」


 アドニスは叫び、その体を強く抱きしめた。


 もう誰も傷付けたくない。

 誰も失いたくない。

 その想いから、アドニスは一人で戦うという道を選んだ。

 しかし、それが逆にディアドラを傷付けることとなった。


 そして今、目の前で命が失われようとしている。


「くそっ、くそっ、くそーっ!!」


 アドニスは怒りのままに叫んだ。

 卑劣なジャグナスに。

 そして、無力な自分自身に向かって。


「アドニス……」


 そのとき、腕の中のディアドラが不意に口を開いた。


「……ごめんね」

「違う! ディアドラは悪くない! お前は利用されただけなんだ!」

「ううん……私の心が弱かったから……ジャグナスに付け込まれたんだ……」


 ディアドラは瞳を閉じる。


「最後まで……迷惑掛けて……ごめんね……」


 再びその目が開かれたとき、そこにはいっぱいの涙が浮かんでいた。


「最後なんて言うな! 俺がすぐに魔竜王を倒してやる! それまで頑張るんだ!」


 だが、その間にも彼女の体はどんどん透けてゆく。


「ありがとう……」


 微笑んだディアドラの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「私……アドニスの手伝いがしたかった……。光ある世界を守りたかった……。良くやったな! って……アドニスに誉めてもらいたかったんだ……」


 ディアドラは手を伸ばし、アドニスの頬にそっと触れた。


「ふふ……アドニスは温かいな……」


 触れた頬は温かくて――。

 優しくて――。

 もし、生まれ変わることができたとしても、その温もりを決して忘れないよう――。

 ディアドラは、心に深く刻み込んだ。


「ねぇ……アドニス……。私……生まれ……変われたら……今度……は、アドニスと……ね……」


 しかし……。

 その言葉を、最後まで聞くことは叶わなかった。


「ディアドラ――――――ッッッッ!!!!!」


 空になったアドニスの腕の中。

 つい先ほどまで、確かにこの腕に重みと温もりを感じていた。


 だが、それはもう何も感じられない。


 彼女の声も、

 姿も、

 微笑みも、


 もはや見ることはできない。

 ディアドラは、ジャグナスに喰われたのだ。


「うわあああああああああああああっっっ!!!!!!!」


 アドニスは吠えた。

 心のままに吠え続けた。

 宙で静かに輝く紅い宝玉は、空腹を満し満足しているかのようにも見える。


『ククク……戻れ魂喰い』


 その言葉に呼応し、短剣は姿を消す。


『クックック、アドニスよ……。なかなか良い戯曲ぎきょくであったぞ』

「許さん……許さんぞ、ジャグナス!!」


 アドニスは、怒りに任せ立ち上がった。


『アドニスよ……一つ良いことを教えてやろう』


 地の底から湧き上がるような声が響く。


『あの娘、生まれ変われたらと言っていたな……』

「それがどうした!」

『だが、それは叶わぬ! 娘の魂は、我の中で永遠にさまよい続けるのだ!』


 ジャグナスの笑い声が響き渡る。


「ならば、キサマを倒して魂を解放するまでだっ!!」


 アドニスは叫び走り出す。

 魔竜王の待つ玉座に向かって。


 その背中では、砕けた精霊石が風に吹かれキラキラと輝いていた。

 それはさながら、ディアドラに向けられた精霊たちの鎮魂歌レクイエムのようだった……。

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