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第3話『その名はアドニス』

「間に合って良かった」


 白銀の鎧に身を包んだ青年は、剣を腰の鞘に戻しながら微笑んだ。

 姉弟はひとしきり抱き合った後、命を救ってくれた金髪の青年に頭を下げる。


「本当に、何とお礼を言ってよいか……」


 姉はそう言いながら立ち上がろうとするが、その瞬間、全身に忘れていた痛みが走った。

 倒れそうになる姉を、金髪の青年は優しく抱き止める。


「無理は、しなくていい」


 そう言うと、姉をそっと座らせ、自らも片膝を付いた。


「腕を見せてごらん」

「い、いえ……これくらいなんでもありません」

「大丈夫、俺に任せて」


 とっさに怪我した腕をかばう姉に、青年はそう言って微笑む。

 しばらくの間、青年を見つめていた姉だったが、やがてゆっくりと腕を差し出した。


「服を切るぞ」


 青年は、腰袋から折り畳まれたナイフを取り出し、丁寧に姉の袖に刃を入れる。

 ややあって袖が床に落ち、腕があらわになった。

 ゴブリンの一撃を受けたその腕は、いびつに変形し、肘から下はどす黒く変色していた。


「これは……骨が砕けているな」


 その言葉に、弟は泣き出しそうになる。

 姉を見つめる瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。


「な……なに、そんな顔してるのよ!」


 姉は笑顔を作ると、動く方の手で弟の頭を優しくなでた。


「お姉ちゃんは強いんだから! これくらい、すぐに治るわよ!」


 姉は言う。

 しかし、それが弟を安心させるための嘘だということは誰にでもわかる。


(……だから、最初に腕を見ようとしたときに拒んだのか)


 激しい痛みが襲っているだろう今も、弟には心配を掛けまいと必死に笑顔を作る。

 その姿に、青年は感動すら覚えていた。


「すぐ、楽になるから」


 そう言うと、青年は姉の傷ついた腕を取り、右手をその腕の上にかざした。


「偉大なる光の至高神よ……今、ここに再生の力を!」


 その瞬間、かざした手にポウッと白色の強い光が宿った。

 光は姉の腕に吸い込まれてゆく。


(温かい……)


 姉は心地よい温もりを感じ、瞳をとじた。


(痛みが引いてゆくような……)


「お姉ちゃん、手が!」


 そのとき、不意に弟が声をあげた。

 その言葉は、驚きと喜びに満ちている。


 姉は瞳を開き、腕に視線を落とした。


 いびつに歪んだ、どす黒い腕――。

 それはもうどこにもなく、目の前には綺麗で血色の良い健康な腕があったのだ。


再 生リジェネレーション〉、それは高位の司祭のみが使えるという、再生の神聖魔法だ。

 神官は、神に祈りを捧げることで様々な奇跡を起こすことができる。


「至高神よ……癒しの力を!」


 青年が更に祈ると、姉の体が淡い光に包まれ、たちどころに傷が癒えてゆく。

癒しヒーリング〉の神聖魔法である。


「これで、楽になったかな?」

「は、はい! ありがとうございます!」


 その言葉に青年はうなずくと、スッと立ち上がった。


「しばらくは、ここに隠れているといい」


 そう言うと、青年は納屋の外に目を向ける。

 外の喧騒は、まだ収まってはいない。


「大丈夫、すぐ片付ける」

「あ、あのっ……」


 外へ一歩踏み出した背中に、姉はためらいがちに声を掛ける。


「あの、せめてお名前を……」


 青年は、ゆっくりと姉の方を振り返った。


「俺の名はアドニス! その優しさと強さを、いつまでも忘れないようにな」


 そう言うと青年――アドニスは身をひるがえし、外へと走り出すのだった。

 その姿は戦いの喧騒に紛れ、すぐに見えなくなった。




―――




「聖なる輝きよ! 邪悪なる魔物共を吹き飛ばせっ!! 」


 村の広場から響く声。

 刹那、アドニスの体はまばゆい輝きを放ち、凄まじい爆発を起こした。

聖撃炸裂ホーリー・ブラスト〉、アドニスが使える攻撃系の神聖魔法の中で最大の威力を誇る。

 その威力は凄まじく、取り巻く魔物の群れを全て吹き飛ばし、一瞬にして戦闘不能とした。


 風に吹かれて、爆煙が流れてゆく。


「よし、これでここは片付いたな」


 周囲の状況を確かめ、アドニスは真剣な表情でうなずいた。


「しかし、ここにはゴブリンたちを統率している者の姿はなかった……」


 知能の低いゴブリンが組織的に動くときは、背後に必ず支配者の姿があるはずなのだ。


 そのとき、背後のゴブリンの死体の山がゴソリと動く。


 身構えるアドニス。

 その山を吹き飛ばし、体長五メートルを超える食人鬼オーガが姿を現した。

聖撃炸裂ホーリー・ブラスト〉を受けた体は血を吹き出し、左目は無惨にもつぶれ、右腕は関節ならざる方向に曲がっている。

 しかし、オーガは牙をむき、咆哮をあげて憎悪の塊をアドニスにぶつけてきた。


「くっ、どれだけの生命力だ!」


 オーガは、広場の中央にそびえていた巨木に手を掛けると、それを造作なく引き抜く。

 その姿は、まるで根の浅い雑草でも引き抜いているかのようだ。


 雄叫びをあげ、唾液を撒き散らしながら巨木を振り上げると、オーガはアドニスを目掛けて投げつける。

 頭上に迫る巨木に、アドニスの剣の柄を握る手に力が入った。


そのとき――。


「『風よ! 来たり集いて盾となれ! 〈風の盾ウインド・シールド〉!!』」


 背後から響く精霊語の呪文。

 アドニスの前で小さなつむじ風が巻き起こると、それは翡翠色エメラルドグリーンに輝く盾となった。

盾は、迫る巨木を受け止め、あらぬ方向へと弾き飛ばす。


「『炎よ! その赤き舌を猛る矢として敵を貫け! 〈炎の矢ファイア・ボルト〉!!』」


 次いで響く精霊語。

 その瞬間、赤い閃光と共に火トカゲの舌のような炎が走り、オーガの頭部を貫いた。


「グ……ガ……」


 オーガは、うめきながらよろめくと、激しく倒れ込み、そのまま動かなくなった。


「風と炎の精霊魔法! ディアドラか!!」


 アドニスは振り返る。

 果たして、そこには長い髪の女性が立っていた。


 白を基調としたチュニックに革鎧、長いマントを身にまとった彼女はアドニスの幼なじみで、自然界の精霊の力を借りて魔法を行使する精霊使いだ。


「あなたなら援護はいらないかな? とも思ったんだけどね」


 その軽やかな足取りに合わせて揺れる金色こんじきの髪は、アドニスのそれよりも濃い色をしている。


「いや、助かったよ。ありがとう」


 アドニスの言葉に微笑むと、ディアドラは村の外れに見える森を指差した。


「……あの森の中にダークエルフがいるわ」


 この世界にはエルフという種族がいる。

 森の妖精と歌われ、永遠とも呼べる永い寿命を持つ彼らは、長い耳と、スラリと細い体躯、白く透き通るような肌が特徴的で、その美しさは幻想的なものがある。

 肉体的には人間より劣るものの、知力や魔力の高さは人間を遥かに凌駕している。


 森の光の部分を司るエルフ。

 その対なる存在として、森の闇を司る存在がある。

 それがダークエルフだ。

 ダークエルフは姿形はエルフと変わりない。

 だが、その名が示す通り肌は闇のように黒い色をしている。

 そして、邪悪で残忍な性格の者も多い。


「そのダークエルフが、ゴブリンたちの指揮を取っているみたい」


 ディアドラは、遠くの音に耳をすませるようにしている。

風の声ウインド・ボイス〉という、初級の精霊魔法を使用しているのだ。

風の声ウインド・ボイス〉は、風の精霊シルフの力で遠く離れた場所の音を自分の元に運んだり、逆に自分の声や音を離れた場所に届けることができる魔法だ。


「強敵だが、やるしかないな!」


 アドニスの言葉に、ディアドラは小さくうなずく。


「ディアドラ、無理はするなよ」

「アドニスもね」


 肩口に見た彼女は、そう言って微笑みを返す。


「……行くぞっ!」


 短く叫ぶと、アドニスは走り出した。その後にディアドラが続く。

 二人の影は、ダークエルフが待つ森の中へと消えていった。

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