「間に合って良かった」
白銀の鎧に身を包んだ青年は、剣を腰の鞘に戻しながら微笑んだ。
姉弟はひとしきり抱き合った後、命を救ってくれた金髪の青年に頭を下げる。
「本当に、何とお礼を言ってよいか……」
姉はそう言いながら立ち上がろうとするが、その瞬間、全身に忘れていた痛みが走った。
倒れそうになる姉を、金髪の青年は優しく抱き止める。
「無理は、しなくていい」
そう言うと、姉をそっと座らせ、自らも片膝を付いた。
「腕を見せてごらん」
「い、いえ……これくらいなんでもありません」
「大丈夫、俺に任せて」
とっさに怪我した腕をかばう姉に、青年はそう言って微笑む。
しばらくの間、青年を見つめていた姉だったが、やがてゆっくりと腕を差し出した。
「服を切るぞ」
青年は、腰袋から折り畳まれたナイフを取り出し、丁寧に姉の袖に刃を入れる。
ややあって袖が床に落ち、腕があらわになった。
ゴブリンの一撃を受けたその腕は、いびつに変形し、肘から下はどす黒く変色していた。
「これは……骨が砕けているな」
その言葉に、弟は泣き出しそうになる。
姉を見つめる瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「な……なに、そんな顔してるのよ!」
姉は笑顔を作ると、動く方の手で弟の頭を優しくなでた。
「お姉ちゃんは強いんだから! これくらい、すぐに治るわよ!」
姉は言う。
しかし、それが弟を安心させるための嘘だということは誰にでもわかる。
(……だから、最初に腕を見ようとしたときに拒んだのか)
激しい痛みが襲っているだろう今も、弟には心配を掛けまいと必死に笑顔を作る。
その姿に、青年は感動すら覚えていた。
「すぐ、楽になるから」
そう言うと、青年は姉の傷ついた腕を取り、右手をその腕の上にかざした。
「偉大なる光の至高神よ……今、ここに再生の力を!」
その瞬間、かざした手にポウッと白色の強い光が宿った。
光は姉の腕に吸い込まれてゆく。
(温かい……)
姉は心地よい温もりを感じ、瞳をとじた。
(痛みが引いてゆくような……)
「お姉ちゃん、手が!」
そのとき、不意に弟が声をあげた。
その言葉は、驚きと喜びに満ちている。
姉は瞳を開き、腕に視線を落とした。
いびつに歪んだ、どす黒い腕――。
それはもうどこにもなく、目の前には綺麗で血色の良い健康な腕があったのだ。
〈
神官は、神に祈りを捧げることで様々な奇跡を起こすことができる。
「至高神よ……癒しの力を!」
青年が更に祈ると、姉の体が淡い光に包まれ、たちどころに傷が癒えてゆく。
〈
「これで、楽になったかな?」
「は、はい! ありがとうございます!」
その言葉に青年はうなずくと、スッと立ち上がった。
「しばらくは、ここに隠れているといい」
そう言うと、青年は納屋の外に目を向ける。
外の喧騒は、まだ収まってはいない。
「大丈夫、すぐ片付ける」
「あ、あのっ……」
外へ一歩踏み出した背中に、姉はためらいがちに声を掛ける。
「あの、せめてお名前を……」
青年は、ゆっくりと姉の方を振り返った。
「俺の名はアドニス! その優しさと強さを、いつまでも忘れないようにな」
そう言うと青年――アドニスは身をひるがえし、外へと走り出すのだった。
その姿は戦いの喧騒に紛れ、すぐに見えなくなった。
―――
「聖なる輝きよ! 邪悪なる魔物共を吹き飛ばせっ!! 」
村の広場から響く声。
刹那、アドニスの体はまばゆい輝きを放ち、凄まじい爆発を起こした。
〈
その威力は凄まじく、取り巻く魔物の群れを全て吹き飛ばし、一瞬にして戦闘不能とした。
風に吹かれて、爆煙が流れてゆく。
「よし、これでここは片付いたな」
周囲の状況を確かめ、アドニスは真剣な表情でうなずいた。
「しかし、ここにはゴブリンたちを統率している者の姿はなかった……」
知能の低いゴブリンが組織的に動くときは、背後に必ず支配者の姿があるはずなのだ。
そのとき、背後のゴブリンの死体の山がゴソリと動く。
身構えるアドニス。
その山を吹き飛ばし、体長五メートルを超える
〈
しかし、オーガは牙をむき、咆哮をあげて憎悪の塊をアドニスにぶつけてきた。
「くっ、どれだけの生命力だ!」
オーガは、広場の中央にそびえていた巨木に手を掛けると、それを造作なく引き抜く。
その姿は、まるで根の浅い雑草でも引き抜いているかのようだ。
雄叫びをあげ、唾液を撒き散らしながら巨木を振り上げると、オーガはアドニスを目掛けて投げつける。
頭上に迫る巨木に、アドニスの剣の柄を握る手に力が入った。
そのとき――。
「『風よ! 来たり集いて盾となれ! 〈
背後から響く精霊語の呪文。
アドニスの前で小さなつむじ風が巻き起こると、それは
盾は、迫る巨木を受け止め、あらぬ方向へと弾き飛ばす。
「『炎よ! その赤き舌を猛る矢として敵を貫け! 〈
次いで響く精霊語。
その瞬間、赤い閃光と共に火トカゲの舌のような炎が走り、オーガの頭部を貫いた。
「グ……ガ……」
オーガは、うめきながらよろめくと、激しく倒れ込み、そのまま動かなくなった。
「風と炎の精霊魔法! ディアドラか!!」
アドニスは振り返る。
果たして、そこには長い髪の女性が立っていた。
白を基調としたチュニックに革鎧、長いマントを身にまとった彼女はアドニスの幼なじみで、自然界の精霊の力を借りて魔法を行使する精霊使いだ。
「あなたなら援護はいらないかな? とも思ったんだけどね」
その軽やかな足取りに合わせて揺れる
「いや、助かったよ。ありがとう」
アドニスの言葉に微笑むと、ディアドラは村の外れに見える森を指差した。
「……あの森の中にダークエルフがいるわ」
この世界にはエルフという種族がいる。
森の妖精と歌われ、永遠とも呼べる永い寿命を持つ彼らは、長い耳と、スラリと細い体躯、白く透き通るような肌が特徴的で、その美しさは幻想的なものがある。
肉体的には人間より劣るものの、知力や魔力の高さは人間を遥かに凌駕している。
森の光の部分を司るエルフ。
その対なる存在として、森の闇を司る存在がある。
それがダークエルフだ。
ダークエルフは姿形はエルフと変わりない。
だが、その名が示す通り肌は闇のように黒い色をしている。
そして、邪悪で残忍な性格の者も多い。
「そのダークエルフが、ゴブリンたちの指揮を取っているみたい」
ディアドラは、遠くの音に耳をすませるようにしている。
〈
〈
「強敵だが、やるしかないな!」
アドニスの言葉に、ディアドラは小さくうなずく。
「ディアドラ、無理はするなよ」
「アドニスもね」
肩口に見た彼女は、そう言って微笑みを返す。
「……行くぞっ!」
短く叫ぶと、アドニスは走り出した。その後にディアドラが続く。
二人の影は、ダークエルフが待つ森の中へと消えていった。