「――シルヴィ。ちょっと隣いいか」
千年前。ドワーフの国が建国されて間もなく、ダイヤという新たな仲間を歓迎している最中、若々しく爽やかな声を発した勇者ルニグがつまらなそうに仲間たちを見つめながら石に腰をかけ休んでいるシルヴィの前に立った。
勇者というだけあり、装備は一流。だが新品のように綺麗というわけではなく激戦を渡り歩いた証である傷が鎧のいたる場所に刻まれておりボロボロだ。それでも変えないのはその鎧を気に入っているため……ではなく、単に修復してもらうためにわざわざ材料を集めるという時間が無駄だと感じているのだ。
それはさておいて、若干ずぼらな彼の言葉に小さく頷くシルヴィ。少しだけ右に寄り彼が座れるほどの場所をあけ、ルニグを座らせた。
「それで改まってどうしたの」
「この先、魔族との戦いが多くなる。それなのに君は一体いつまで彼らを庇う気だ? 今回といい、前回といい。俺たちは魔王を討伐するためにここまで来た。魔王の元へ行くのを阻む魔族は倒して当然だというのに」
「またそんなこと……」
「『また』じゃない。俺は君を心配してるんだ。シルヴィの魔族を思いやろうとする気持ちは実際のところいいことだとは思うからな。ただ君はこのままだといずれ後悔することになる。魔族とはなんたるかわかっていないんだからな」
「そのくらいわかってる」
「わかっているやつが、どうして今回魔族を見逃した? あれは近隣の村を滅ぼそうとした魔族で野放しにはできないんだぞ」
「滅ぼそうとしただけ。つまりあれはまだ何もやってないんだよ。なにも罪を犯していない魔族を殺すなんてことは絶対に嫌」
「はぁ……やっぱり何を言っても無駄か……俺は言ったからな後悔するって」
「忠告ありがとう。でも後悔しないから安心して」
「そういうことじゃあないんだけどな」
やれやれと首を振ったルニグはすっと立ち上がると、少し離れた場所で仲間たちの元へと向かった。
ダイヤはその時はまだ何も知らないが、六人程いる仲間の中で大半が魔族を助けようとするシルヴィのことを嫌っている。魔族に家族を殺されていたり、魔族による惨状を目の当たりにしてきたからこそ、彼ら魔族を助けるなんて考えられないとすれ違いが起きたが故だった。故にダイヤの歓迎の祝福はシルヴィから少し離れ、シルヴィもなるべく離れた場所で見つめていたのだ。
「別に私のことを心配しなくてもいいのに。どうせ私のことをわかってくれる人なんて誰もいないんだから」
それから暫く。季節が一度変わるほどに時間が進んだある日。ルニグが懸念していた問題が発生した。
「ルニグ! スキュアがそっちいった!」
近くの魔素溜まりの処理をするべく訪れた森の中で魔族と鉢合わせていた。それも神のいたずらか見張りをしていたダオラット・メールシュートルが見つけた魔族はシルヴィが必死になって彼らから逃がした魔族スキュアだった。
「くそ、寄りにもよって魔素の強いこの場所で……!」
スキュアは人の血や肉を喰らう魔族。とはいえ、ずっと食べなければ生きていけないというわけではなくその味を覚えてしまったがために人を襲うようになった魔族だ。それも、より効率よく喰らうため、いつも人の姿で徘徊しており、彼らの口に隠れた鋭い牙はどんな肉をも切り裂く鋭い牙がある。ようするに人を騙して短時間で腹を満たすための進化した魔族である。
そんな魔族を逃した代償はとても大きく、前回あった時よりも遥かに素早い動きを見せていた。加えて周辺の魔素が溜まりによって濃くなっているのだから、スキュアは騙すよりも自分の力でねじ伏せてしまおうと襲ってきたのである。
「人間の肉! 喰わせロ!」
「させるかッ!」
何もない空間から取り出した大剣でスキュアの突進を受け流す。ガキンっと音が響くほど強く衝突したにもかかわらずスキュアのスピードは落ちることはなく、弾き飛ばされた自身の身体をぐるりと翻し再びルニグに飛び掛かる。
大きく開けられた口に見える鋭い牙。滴る涎。彼らが前に見たスキュアから想像がつかないほど自我は無く、獰猛になっているのがわかる。元々高貴な魔族でもあるためここまでとなると、感じ取れないだけで相当周囲の魔素が濃いことになる。ならばもうスキュアを放っておくことも見逃すこともできない。
再び大剣でスキュアの突進を防ぎ、時間を稼ぐため力任せに放り投げる。
「【
「【
スキュアを放り投げたことで詠唱の時間を生み出すことが叶い、その隙にと大剣に嵌め込まれた二つの属性付与魔法を発動。直後にそれをその場で振り下ろした。ただ空を切ったわけではなく、切り裂いた空間から雷鳴が鳴き雷と炎を纏った斬撃の衝撃波が放たれていた。
しかしあろうことかシルヴィはそれを妨害した。
シルヴィが使用した【
案の定と言うべきか。薄々こうなることを予想していたルニグが今の一瞬で血相を変え、しかし静かに怒りを顕にした。
「いい加減にしろシルヴィ……! お前は仲間を、人を殺す気か!」
シルヴィの行動に怒りを沸かす勇者ルニグ。滅多に仲間に対して怒りを表に出さずにいたためか、彼の言葉で周囲が氷のように静寂が訪れた。それでも魔族の猛攻は止まらない。
ルニグの威圧で一瞬体が委縮し隙が生まれ、そこにスキュアが飛び掛かってくる。自業自得と言えばそれまでだが、当然それに反応はできない。殺気により振り向けばもはや目と鼻の先。自衛する手段は打てない。いやそもそも何かをするという思考すらできない状態だった。
スキュアの大きな口が視界いっぱいに広がった刹那、その魔族の頭が黒く濁った血肉となって消し飛んだ。
突然のことに言葉が出ず、スキュアの血肉を被ったシルヴィは膝を崩し呆然としていた。
「シルヴィ……魔族の味方になるのはいいよ。でもこういうことだって起きる。その時真っ先に犠牲になるのは君。その後に私たち、町の人って連鎖になるんだよ」
膝立ち状態になっているシルヴィと同じ背丈であるドワーフのダイヤが彼女の前に立って言う。呆れた顔色で腕を組んでいるダイヤの手には血塗られた小槌が握られている。そのことからダイヤがスキュアを仕留めたのは目に見えている。
「また……守れなかった……」
まるでダイヤの話など聞く耳も持たず俯いたシルヴィが小さく呟く。その様子に苛立ちを覚えたのかシルヴィの胸倉を掴み頬を思い切り叩いた。
「助けたのにお礼もないし、守れなかったって……私たちを守ろうともしない人に魔族なんて守れるわけがないでしょ! この足手まといが!」
仲間になってまだ数日だが、シルヴィのことは他の仲間から聞いており、大体は知っていた。だがまさかここまでとは思っておらず、ついには手を出して怒りをぶつけてしまう。
突然叩かれ目が点になり、なぜ怒られているのか理解しがたいと言わんばかりの表情で更に虫の居所が悪くなってくるダイヤ。再び口を開こうとした瞬間、背後から物音と異常な気配を感じ取る。咄嗟にシルヴィを突き飛ばすとダイヤの右肩が何者かに貫かれた。
「うぁぁぁっ!」
「ダイヤ!」
ずるっと彼女の肩に刺さった異物が抜け、ダイヤはその場に倒れる。彼女の背後には頭が吹き飛び活動を停止していたスキュアの身体があり、鋭く尖った爪のある右手を貫き手にしてダイヤの肩を貫いていたようだ。
「なん、で……頭飛ばしたのに……」
「……ダイヤ、動けるか?」
「なん、とか……」
ダイヤが倒れた直後、ルニグがダイヤの元へと駆け付けスキュアを大剣で完全に行動できなくなるまで切り刻んだ。胴打ちで遠くに放るのも考えたが、もはや未知の領域ですらあるスキュアを生かしておく必要はなく止めを刺したのだ。
その後、傷を塞ぐ薬をかけた。薬の効果は浅い傷ならばともかく、彼女のように深い傷となると一日ほど時間がかかり、その間は血の流れが止まらない。故になるべく出血しないように傷口を布で塞ぐ。
「シルヴィ。わかっただろう。凶悪な魔族であるほど危険だということが。……俺はお前とは昔からの付き合いだ。だからお前の夢のことを否定はしないが、魔族を庇うということはこういうことになる。これに懲りたら次からはしっかりと状況を見てくれ」
未だ唖然と口を開けたまま、放心状態だったシルヴィに一切顔を向けずルニグは言った。もうここまで来ると彼自身彼女のことを庇いきれず、どうするべきかと考えているのだろう。
だが答えは変わらない。今までも同じように考え脱退させるべきかと悩んでいたが、シルヴィの実力は確か。手放しては今後の旅に支障がでる。そもそも
加えて彼女はルニグ達と一緒に旅をして長い。尚更今脱退させることに気が引けるのだ。
――当然それに反対する人もいる。
「……ルニグ、仲間になって、そんなに経ってない私が言うのもなん、だけど……そんな足手まといはさっさと追い出した方がいい、と思う」
「ダイヤ……確かに君の言う通りだ。だけど魔王を討伐するには、君が打ったシルヴィの剣……瘴気を断ち切る剣が必要だ。そしてそれを扱えるのは
痛みの走る肩に気を使い辛い表情を浮かべながら、シルヴィが仲間にいることで生まれる不利益があると言い彼女を脱退させるべき旨を言う。どれも正論で特殊な条件下でなければダイヤの言う通りにしていただろう。
ルニグの言葉に言い返せなくなったダイヤはただ俯いた。こんなことならばこの人に剣なんか打たなければ良かったと後悔し、今まで数多の武器を打ってきた自分の目は、相手の人柄を見分けられない悔しさで歯を食いしばった。
そしてそれから暫く、ダイヤは失踪した。シルヴィとは一緒にはやっていけないという、中々一方的な書き置きを残して。