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――ある日自身の魔力に蝕まれている少女――フレアは嘆いた。もっと強くなりたいと。誰よりも強くなりたいと――
生まれつき魔力が低くく身体も弱かった少女――フレアは身体も弱く、寝たきりの生活で友人もいなかった。けれど唯一そばにいてくれたのは生みの親。
毎日のように様子を見に来ては他愛のない話をして、外のことを話し、最低限役立つことを話す。ただそれだけの日々。それだけでも充分少女は幸せだった。
しかし、次第に家族が見放して気づけば一人でゆっくりと流れる時間を感じていた。
両親はいつも忙しそうにしていたから、きっと来れないだけ。ご飯は決まった時間に貰えているけど、忙しくて話ができないだけ。と少女の心の中に渦巻く黒色の気持ちを自己暗示で押さえ続ける。しかし朝日が昇り太陽が大地を睨みつけて、夜を連れてまた日が現れるのがゆっくりに感じる程時間が経過しても、誰一人来ることが無くなった。
おかしく思った少女は、ベッドから出るとおぼつかない足取りで居間へと向い、直後目にしたのは赤茶に染まり上げた居間。鉄の嫌な臭いが鼻を刺激する。しかし荒れたような形跡はなく人の気配もない。ただ無造作に置かれた椅子や机があるだけだ。
「ここってこんな感じだっけ……」
細く小さな手で口を押えながら呟いた言葉に、カタリと後ろで物音が共鳴する。いつの間にか来なくなった家族がいるのかと思った少女は、笑みを浮かべて振り返る。だがそこにいたのは魔物一匹。狼のようにごわごわした毛と、ぎらりと鈍く光る大きな牙は赤く塗れている。
外にいるはずの魔物がここにいること自体も驚くことではあるが、教えてもらっていた魔物とは全く別物であると悟る。なにせ一番驚くべきことは、教えてもらっていた狼の魔物よりも断然大きく『黒』かったことなのだから。
声を出さなければまだ逃げれたというものの、魔物から放たれる殺気と大きさ、そしてその容姿に恐怖の声が短く口から零れ、魔物はこちらを睨む。
ぐるると喉を鳴らして唸り、獲物を捉えたそれはすぐに駆けた。いや正しくは飛んだというべきか。短い距離であまりにも突然の出来事故にそのどちらであるかは少女にはわからない。けれど一瞬の時がどうにも長く感じていた少女はこちらへ向かってくるそれが、この赤い部屋を作り出し家族は皆これに食われたのだと、そのわずかな時間で結論付ける。
だが悲鳴が聞こえなかったことや音すらなかった。部屋もそんなに離れているわけではなく、少女もただ家族が来なくなり、いつもの時間にご飯が来なかったのが心配でここに来るまで、居間がこのようなことになり、魔物がいるなんてわからなかった。だから少女はわからないふりを自分の中で重ねて、こみ上げる涙を抑える。
やがて鋭く牙を剥いた魔物の口が少女の鼻先に差し掛かった刹那。魔物の動きがぴたりと止まった。まるでその場には合わない純白を保つ少女のように、魔物の時間だけが止まっているかのように魔物の全てが止まっていた。
「なんとか間に合った……いや、間に合ってない……か」
ただ茫然と立ち尽くしていたからこそ、魔物が不思議と空に浮いて止まった瞬間を目撃し混乱している最中、魔物の背後から渋い男の声がはっきりと聞こえる。声からして中年であると容易に想像できた。
男は時が止まった魔物の横を通り、からくも無傷ですんでいた少女に驚きつつ言う。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ」
「……ぇっく」
「……あ、いや、大丈夫じゃない、か。……ううむ、しまったな。子供の扱いは慣れてないんだが……」
見覚えのない顔、知らない声。見知らぬその人が優しく差し伸ばした手と、動きが止まったままの魔物を見て、堪えていた涙が次から次へと溢れ出てただ叫んだ。
――程なくして溜まった涙が空になると、魔物を縄で捕獲しながら、その時を待っていたかのように男が再び口を開く。
「漸く泣き止んだな。さて時間がないから手短に話すが、お嬢さんには二つの選択肢がある。一つはここに残って一人で暮らすか。もう一つは、孤児院に入るか。正直最初のはあまりお勧めはできないが、どうする?」
子供にはとても難しい内容の話。けれど親がいなくなって赤くなったこの家に残るか、どこか別のところに行くかと、幼いながらも理解していた少女は、判断を下すことはなかった。
どちらを選んだとしても、親が帰ってくるわけじゃなく、まして自分の身体が弱いから孤児院なる場所へ行っても迷惑だろうと思っていたから。
どちらかを選ばなければならないが、全てが急に起き頭がまだ追い付いていない部分もある。そこにふと、家族から聞いていた『魔法』という言葉を思い出して、思い切って気になったことを男に問う。
「あ、あの……さっきのって魔法なんですか……?」
「さっきの……? ああ、魔物を止めたやつか。そうだな、魔法だ。それもあまり知られてない時空魔法。それがどうかしたか?」
「わ、私魔力が低くて、身体が弱いんです……そこで、魔法を勉強したら、克服できるのかなって」
「そういうことか。結論から言う。できない」
スパっと直球に否定されて、落ち込む少女。もしも魔法で強くなれるのならば、あるいはと思っていたのだが、克服できないとなれば一生このまま。どこ行っても迷惑をかけるからここにいた方がましかなと、黒く渦巻いた心の中にしまい込んだ絶望が、心を破ろうとする。しかし、すんでのところで溢れなかったのは。
「だが、お嬢さんはまだ子供だ。子供は成長する生き物。だから努力をすれば魔法を使わなくとも、もしかしたら克服できるだろう。とはいっても保証はできないが、頑張ればいつかは報われる。そう信じてやってみるのも悪くないと思うぞ? 実際結果はやってみないとわからないんだからな」
優しい笑顔で語りかけてきた、その言葉があったから。
それに彼の言う通り、やる前からできないと決めるのは良くない。何事もやってみないとその先に待つ結果はわからないのだ。ならば、少女の取るべき行動は一つ。ここに残ることではなく、孤児院に行くことでもなく。
「あ、あの、私に魔法を教えてもらえませんか……?な、なんでもしますので」
その男の元について、魔法を教わるということだった。
魔法を使わなくても努力をすれば体力と魔力が成長するとはいえ、先を見越せば彼の元で魔法を教わり守りたい人を守れるようになれると考えたのだ。
それに若くして一人身になってしまった少女には、魔法を教える者が誰もいない。となるともはや必然的なまでに彼に縋るしかなかった。
だが、魔法使いはそうやすやすとなれるものではなく、今のように危険を伴うことだってある。それをまるでわかっていないような少女の言いぶりに男は、目線を合わせて遠回しに駄目だと言わんばかりに言った。
「若いお嬢さんがなんでもするなんて言葉つかうんじゃねぇよ。まあそれはおいといて、俺を含む魔法使いは危険がいっぱいあるんだぞ? 今みたいに魔物を倒す時だってあるし、魔法は魔力の低いお嬢さんには使えるものじゃあないぞ」
「……強く、なりたいんです。いつまでも迷惑をかけてばかりの私は、おかあさんも、おとうさんも助けられなかった、から……強く、なりたいんです。また誰かを守れないなんて嫌……ですから……それにさっき言ったじゃないですか、「結果はやってみないとわからない」って」
少女の緋色の瞳は本気の目で、絶対に譲りたくないという意思が言葉と共に伝わってくる。加えて先ほど自ら少女に向けて言った言葉を、そっくりそのまま返してきているのだから、言い返すことなど一切できない。
余計なことをしたかと後悔と共に髪を片手で乱暴にかき乱し、短くため息をつく男は一瞬うなだれるように身体の力を抜いて、真っ直ぐ少女の目を見つめる。
「……ったく、物好きのやつもいるもんだな……そこまでいうならわかった。……えーと名前は」
「フレア・リースタルトです」
「じゃあ、フレア。お前は今日からフレア・レイシュトルムだ。俺はルルト。代々続く時空魔法の後継者、並びにレイシュトルム家の現当主だ」
苦笑が混じった優しい笑みでルルトの大きな手がフレアの頭へと運ばれ、さらりとした赤い髪を撫でた。
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