『side:九頭竜村の住人 白銀真白』
訳が分からないまま逃げ出した。
もう自分が今右足を動かしてるのか左足を動かしているのかさえ分からない。
色んなことを沢山考えて、色んな決意をしたはずなのに、そんなもの今味わった恐怖の前では紙切れみたいに飛んで行った。
逃げるのは得意だった。今まで色んなことから逃げてきたから。
凛に会いたい。
凛の胸に飛び込んで、怖かったとか大変だったとか、ありとあらゆる愚痴を漏らして甘えつくしたいし、頑張ったねって褒めて欲しい。
出来る限りのことはした。すっごくすっごく頑張った。
村おこしのためにアイデアを出したり、色んな準備をしたり、こうやって満智院さんと戦ってみたり。普段の臆病な自分からは考えられない程たくさんのことをした。もう十分だと思う。今自分が逃げ出したら満智院さんはうけい神社の方向に向かうとは思うが、きっとみんななら何とかしてくれるだろう。
もつれる足をなんとか動かして、情けなく両腕を振り、森を駆け抜ける。
子供の頃に凛と一緒に身長を刻んだ大木を通り越し、おじいちゃんと一緒に掘った落とし穴を飛び越え、かつてタヌキに勝利した証に立てた石の山を迂回して、青春の全てを蹴散らしながら、ただ恐怖から逃げ続ける。
結局私は何がしたかったのだろう。
嫌なことから逃げて、怖いものを見ようともしないで、知らない道を歩こうともしないで。
転んで、起きて、また転んで。苛立ち紛れにそこら辺の石をひっつかんで投げて。
もう涙とか鼻水とかよくわからない液体でぐっちゃぐちゃの顔面を袖で乱暴に拭い、それでもまた立ち上がって。
結局私は何がしたかったのだろう。
考えれば考えるほど、純化した浅ましい欲望が首をもたげる。
心のどこかでは分かっていた。自分が何を求めていたかなんて。
「私はただ、凛に褒めて欲しかった」
ああ──口に出してしまえばなんとも矮小でつまらない願い。
劣等感を覚えていた。
私が必死になって出来ることを、凛は何かのついでに成し遂げる。
そんな日々を繰り返していくうちに私はいつの間にか諦めて、不貞腐れて。
東京に行かないのも、結局凛と比較されて自分が傷つきたくないからで。
そのくせ、やっぱり凛と離れるのも嫌で。
「あは……ははは」
思わず笑いが零れる。
なんて馬鹿らしいんだろう。自分の事ながら呆れて物も言えないとはこのことだ!
結局のところ──。
「私って、こんなにも凛のことが好きだったんですね……」
結局のところ、ただ自分は凛に認められたいだけなのだ。
凛の親友として相応しい人間であると、胸を張りたかっただけなのだ。
好きな人の前で、いい格好をしたかっただけなのだ!
そんな浅ましい欲望のために村おこしの手伝いをしてみたり、満智院さんと戦ってみたりしただけなのだ!
村のみんなのためだとか、そんなものはぜーんぶ見栄っ張りのオマケだったのだ!
なんてわがままで、身勝手な……。
「あははっ!」
だからもう笑うことにした。笑ってやることにした。
このどうしようもない自分を笑ってやる。
笑って、笑って。むき出しになった欲望を直視して。
──だったらもう、やることは一つだ。
もうブレない。
村のためとか、そういった見栄えのいい虚飾は捨てて。
自分のためだけに、目的を果たす。
私の目的はたったひとつ──。
「凛に褒めてもらうために」
ああそうだ、それだけなのだ。
自己中心的でいいじゃないか、わがままでいいじゃないか。
私は白銀真白だ。
どうしようもなくダサくて、情けなくて、身勝手で、わがままで……でも、それが白銀真白なんだ。
もうこの気持ちを無かったことになんかしない。
満智院さんが怖い? そんなの当たり前だ、誰だって痛いのは怖いに決まっている。
でもそんなもの、好きな女の子の前で格好を付けない理由にはならない!
駆け出す。駆けだす。駆けだす──!
うけい神社の近くなら、アレがあるはず──!
そうして、目的の場所に辿り着いた時現われたのは。
今まで数多のニセ超能力者や悪徳宗教家たちを倒してきた女傑。
『最強』
ああ、怖い。
全身が恐怖で震えている。まだ頬を掠めた風の感触は克明に覚えている。
本気で殴られたら痛いでは済まないだろう。
──それでも。
「さきほど、私が何者か聞かれましたよね」
それでも、自分の欲望のために。
今、一歩を踏み出せ。
「いいでしょういいでしょう答えてあげましょう!」
嘘でも見栄でも何でもいい。
「私は天才美少女、白銀真白! 九頭竜村の誇る最強天才美少女!」
持てる限り、全ての力を尽くして!
「貴女を、ここで倒す女です」
嘘を、真実に変えろ。
◆
『side:超能力ハンター 満智院最強子』
それはもはや菓子ではなく、壁と呼ぶに相応しかった。
視界全体を覆う津波の様な金平糖の壁が襲い来る。
(ですが、金平糖自体に直接的な攻撃力はないはず。ならば狙いは──!)
半ば山勘で跳躍をし、金平糖の陰に隠れて飛来した投石を躱す。
タネさえ分かればなんてことはない。
彼女が《本物の超能力者》だとしても、今この瞬間は大きな問題ではない。
どれだけ自由自在に金平糖を出すことが出来ても、結局のところわたくしを無力化するには先ほどのように大きな金平糖を当てるしかなく、その以外は目くらましとしてしか機能しない。
やれる。
わたくしは、《本物の超能力者》を倒せる。
これならば、今の自分ならば。
先生を翡翠に変えた、あの《本物の超能力者》を倒すことが出来るかもしれない。
もう一度、この戦いを再定義する。
この戦いはもはや、いつもの超能力ハンターとしての活動ではなく。
先生を助ける道に繋がる、そういう戦いだ。
息を吸い、吐く。
闘志を己の身体に装填して目の前の白い少女を改めて見る。
先ほどとは目つきが違う、逃走の間に何か心変わりがあったのだろう。
経験上こういった手合いは危険だ、追い詰められた鼠は猫をも噛むという。
だが、それだけだ。
心持ちひとつで変わるような戦力差ではない。
今の自分はかつてないほど集中している。
彼女の一挙手一投足を見逃すことはない、呼吸のタイミング、まばたきの速度、筋肉の弛緩、全てが手に取る様に分かる。
その確信をもって、わたくしは彼女に肉薄し──。
地下4メートルまで落下する。
「よしっ! かかりましたね!」
穴の底にあった柔らかい土に着地をし、天を見上げる。
そこには自信満々でドヤっている白銀さんの姿。
「なるほど、この落とし穴が本命でしたのね。先ほどの派手な攻撃は地面から意識を逸らさせるため」
「ふふふ……言ったでしょう、私は九頭竜村の最強天才美少女、この村のことを誰よりも知る者! この森にはこういったトラップが沢山あるのです! さ、満智院さん! 穴から出たかったら一度配信を止めてゆっくりと話し合いましょう!」
確かに深い穴だ。掴めるような場所はないし、よしんばあってもすぐに崩れてしまうだろう。登って白銀さんを捕まえるのは不可能に思える。
でも、それは今諦める理由にはならない。
わたくしは貴女に勝って、先生を助けられる自分になる。
崩れてしまうような壁であれば。
殴って固めて足場にしてしまえばいい!
「いやいやまさかまさか! 4メートルの縦穴ですよ! そんなもの何の道具もなしに人間に登れるはずが……!」
「さて、それは……どう……でしょう……かねッ!」
殴る。
殴る。殴る。殴る。
一心不乱に土壁を殴り続けて這い上がる。
拳が裂けた、もう握力がない、全身が悲鳴を上げている。
些細なことだ、この程度の苦痛は。
自分のせいで先生を喪って無力を噛みしめた、あの頃に比べたら。
そして何より。
──九頭竜村から帰ってきて、私と一緒にお土産をたのしく食べるという目標があれば、キミも少しは命を大事にするんじゃないかと、そう思ってね。
お土産を買って帰らないといけませんもの!
「~~~~~っ!」
白銀さんがここから離れていく音がする、好都合だ。
這い上がる。這い上がる。這い上がる。そして──。
「だからいったでしょう。無駄ですと」
ついに、地上に辿り着く。