結局あのあと凛がトイレから出てくることはなく、満智院さんが九頭竜村にやってくる時間になってしまった。
待ち合わせ場所にしていしていた小屋に辿り着いた私は壁にもたれかかり、ばくばくとうるさい心臓を落ち着かせるように、自分に言い聞かせるように言葉を口から出す。
「私は天才。九頭竜村みんなの期待を背負った天才美少女白銀真白……」
かりっと。
自分へ言い聞かせるように唱えながら、超能力で出した金平糖を口に運ぶ。
普段は役に立たない能力だが、こういう時甘みと共に落ち着きをもたらしてくれるのは少しだけありがたい。
少し落ち着いたところで、インカムから遂にその時が来たことを知らせる声が響く。勘解由小路先生の声だ。
『真白ちゃん、そろそろ満智院さんが来るようです。準備はいいですか?』
「……はい!」
知っている声が耳にやってくる。それだけで少し心が安らいだ。
確かに自分の責任が重いことに間違いはない。
間違いはないが……それでも、独りで抱えているわけではない。そのことに気が付くことが出来た。約一名トイレから参加している役立たずがいるが。
深呼吸し、気合を入れ直す。そこで、控えめなノックが扉を叩いた。
扉が開くと、美しい女性がそこに立っていた。
年齢は21と配信で言っていた。チョコレイト色の髪にすらりとした手足、翡翠の首飾りと鍛え抜かれた肉体が赤いドレスに包まれ、花束をラッピングする薄紙を思い起こさせる。
こ、これが
動画越しには何度も見てきたが、直に見ると動画の五億倍綺麗だった。
月並みな言葉だが、全身にまとっているオーラからして違う。
地球に美人星人が攻めてきてこの星いちばんの美人と美しさ勝負をすることになったら間違いなく地球代表は満智院さんだろう。
なんか良く分からないけど全身から薔薇のいい香りも漂ってくる。にんにくとか食べたことないんだろうな、満智院さんって。
と、というかなんで扉を開けて固まったままなんですか……!
そこで、本来満智院さんのことは凛が出迎える筈で案内役が代わったことを連絡していなかったことに気が付く。忙しくて完全に忘れていた。そりゃあ驚くだろう。
初対面の人と話すのは苦手ですが、ここは私がしっかりしないと……!
「遠いところからようこそおいで下さいました。先日失礼をした凛と一緒に九頭竜村で巫女をやらせていただいております、白銀真白といいます」
「これはどうもご丁寧に……満智院最強子と申しますわ。その、黒沢さんが迎えにきてくださると聞いておりましたので、少し驚いてしまいまして……」
「申し訳ございません、凛は今少し体調を崩しておりまして。勝手ながら私が代わりにお迎えにあがらせていただきました」
「体調を……それは大丈夫ですの?」
「ええ、彼女は少々『うけい様』を怒らせてしまっただけですので、夕食には戻ってきますよ」
よし! よし! 上手く会話出来ている! 天才美少女白銀真白に不可能はないのだ! よくやった私! 頑張ってるぞ私!
ふふふ……自然とこぼれそうになる笑みを手で隠しながら会話を続ける。
最初はどうなることかと思ったが……流石私。
憧れの満智院さんを前にしても引かないどころかなかなかどうしてやれてるじゃないですか!
実は、白銀真白は他の人よりもちょっとだけ調子に乗りやすい性格をしているのだ。
「その……『うけい様』を怒らせたというのは一体どういうことですの?」
「ああ、それはですね……嘘ついたら針千本飲ます、というやつですよ」
なんですかうけい様の怒りって、こっちが聞きたいくらいですよ。
結局なんとか煙に巻けたのか満智院さんからそれ以上言及はなかったので小屋を出て彼女を我が家まで案内していく。
そこで改めて気が付いた。
そ、そうか……! 満智院さんって今日ウチに泊まるんだ……!
なんかこう、忙しいのと現実感がないので今まで考えてもなかったのだが……マジですか?
か、片付けはしたっけ!? 満智院さんのポスターとか貼りっぱなしだったような……!?
もし万が一自分の部屋を見られて満智院さんの熱狂的なファンであることがバレてそこから九頭竜村の真実に辿り着かれたら、今後村のみんなにどんな顔して会えばいいか分からない。
(で、でも確かおばあちゃんが片づけてくれていたはず……大丈夫、だいじょうぶ……!)
一旦落ち着いて深呼吸をしよう、落ち着けば大抵のことはなんとかなる。
少なくとも慌てているよりはよっぽどマシなはずだ。
満智院さんに見られない様にゆっくりと大きく息を吸い込み、その時──。
「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫。
そう形容するしかない、恐ろしい叫びが我が家の方から聞こえてきた。それと同時につい「あっ」と声を漏らす。
どう考えても今の声はトイレにこもった凛の絶叫だった。
胸もデカけりゃ声もデカいんですか! あのバカおっぱい!
冷や汗が頬を伝う、ツッコミをしている場合ではない。
満智院さんは生放送の時に凛の声を聞いているし、何かに気が付いてしまう可能性はゼロではない。自分の立ち回りひとつでこの村の運命が決まってしまうのだ、慌てている場合ではない。なにか言い訳、言い訳を……!
「こっ……この辺りには野生の獣が出ます。満智院さんも十分お気を付けくださいね」
「獣……ですの? 今の声が?」
「ええ、今のはクマの鳴き声ですね。このあたりには時折クマが出るので、怪しい声が聞こえてきた場合、不用意に近づくと危ないですよ」
「な、なるほど……」
無理がある~~~!
この辺りはクマはおろかイノシシすら出てこない、せいぜいタヌキがたまに出るくらい。というか何故か九頭竜村には虫も含めて野生動物があまりいないのである。詳しく調べれば一発でバレてしまうだろう。
しかし満智院さんは何かを納得した様子だった。おそらく優秀すぎて深読みをしてしまっているのだろう。今はその偶然に感謝しながら他の情報を出すことで何とか事態から目を逸らさせようと決意する。
「獣も出ておりますし、暗くなる前に村長の家にご案内しますね。村の紹介は明日にでもさせていただきます。どうぞこちらに」
「村長の家?」
「ええ、この村には宿泊施設がないので……満智院さんにはそこに泊まっていただきます」
ほら、あそこの。と言いながら我が家の方を指さす。
「ここから見える一番大きな建物です。私と凛の家でもありますね」
「同じ家……お二人は姉妹だったんですの?」
「いえ、私たち二人は早くに両親を失くし、村長に拾っていただいただけです。私と凛が『うけい様』の巫女をやっているのも、少しは村長に恩返しをするためでして」
「……これは、とんだ失礼を」
「いえいえ、お気になさらず。もう随分と前の話ですから。お泊りになる場所も村長の家に用意しておりますので、まずは荷物を置いてしまいましょう。それから夕食をご一緒していただければと思います」
事前に用意していた台詞をすらすらと述べていく。どうやら上手く誤魔化せたようだ。
「何から何まで……ありがとうございますわ」
「この村にとっては珍しいお客様ですからね、そのうえ『うけい様』の実在を証明してくださるとのこと。みな歓迎しております」
「……わたくしが『うけい様』はいない、と証明するかもしれませんのよ」
「ええ、存じております。動画も拝見させていただきました。私としてはそのどちらでも構いません。私は凛や他の村の方ほど真剣に『うけい様』を信仰しているわけではないですから」
だっていないし、いないものは信仰しようがない。
あとこう言っておけば詳しい言及は避けられるだろうという考えもある。
うけい様の歴史とかそういう難しい話は村に着いたら神主の勘解由小路おじさんが聞いてもなにのにペラペラと喋ってくれるだろう。
というかこれ、もうさっきの叫び声の件は言及されない空気のようである。満智院さんは『うけい様』のことを調べに来ているんだから『うけい様』の情報に食いつくのは当然と言えば当然。
よし、それならもっと満智院さんが気になる話題で気を引けば凛のうんこ音のことは有耶無耶になるはず……!
「白銀さんは『うけい様』は実在しないと考えておられるのですか?」
「いえ、そういう訳ではなく」
手を閉じたり開いたり交互にグーとパーにして何も持っていないことを証明する。そして、満智院さんの手を取って握手するように繋いだ。
「このように、わたくしも超能力者ですので」
手の中に、超能力で金平糖を発生させる。
超能力ハンターとして数多の謎に触れてきた満智院さんの気を引けるのはやはりこれしかない。
「実在は、するのです。誰が何と言おうと。ただ、みなさんが信じるか信じないか。それだけの話です」
本物の、理屈不明の超能力。
願っただけでカロリーを金平糖に変える力。
せっかくなので彼女が付けている翡翠の首飾りと同じ色の金平糖を出す。配信をする時もテレビに出たときもずっと身に着けているものなのでお気に入りなのだろう。サービスというやつだ。
とにかくこれでさっきの叫び声は誤魔化せたに違いない!
もはや満智院さんの興味は金平糖に釘付けだ。
これは本当に超能力なので真実を見抜かれようがない。
使えない超能力だと思っていたがたまには役に立つものだ。
すこし安心した。ほっと一息ついたところで世間話に戻そうと会話の舵を切っていく。
「ああ、それと」
せっかくなので気分よくなってもらえるよう何か褒めてみよう。
褒めはコミュニケーションの第一歩である。
私は褒められるのが大好きなので間違いない。
でも、いざ褒めるとなると難しい……。
満智院さんほどの美人は顔や洋服を褒められるのは飽きているだろうし、違う所を褒めた方がいいだろう、となるとやはり一番大事そうに持っている……。
「その翡翠の首飾り、とっても素敵ですね」
満智院さんの顔色が変わった。やはりこれはクリティカルだったのだろう。
普段は凛や村のおじいちゃんおばあちゃんとしか会話しないので自信はあまりなかったのですが……けっこう私ってコミュニケーション能力高いじゃないですか! よっ! さすが天才美少女!
ああそういえば村の人が言っていた気がする。満智院さんの前にも超能力ハンターを名乗る人がテレビに出ていたと。こんな変……いや、特殊な通称だし、何か関係があったとみて良いかもしれない。つまり、
「やっぱり、先代の超能力ハンターの方にいただいたのですか?」
師匠、と考えるのが普通だろう。そしてその首飾りは師匠から免許皆伝か何かで貰ったに違いない! そうだ! そうに違いない!
しかし、予想に反して満智院さんは難しい顔をしている。
あ、あれ……外しちゃいました? てことはもしや……。
「ふふっ、それとも……お友達の方でしょうか? あの紫の」
たまに配信に出てくる満智院さんのお友達から貰った物だろうか。
不要なコメントの削除や機器の調整など、満智院さんの配信の手伝いをしていてうらやまけしからんという感じだが、彼女を語る時だけ満智院さんは幼い少女のような表情を見せるのでファンの間では地味に人気が高い。
そして、友人の話が出た途端、虚を突かれたように表情が固まった、きっと大当たりなのだろう。
「……白銀さんは、一体なにが言いたいんですの?」
「ふふふっ」
思わず笑みがこぼれてしまう。この光景を配信で見ているたんぱく質のみんなは私の観察眼と急な満智院さんの友人情報供給に震えている事だろう。気分がいい。
「いえ、ただ──」
そこで調子に乗った私は、満智院さんへと距離を詰め、
「満智院さんと、お友達になれたらなって」
欲望を垂れ流してしまう。焦りをごまかす様に金平糖を口に含んだ。
だ、だってぇ……推しには近づかないのがマナーとか言いますけどぉ! ……目の前に憧れの人がやって来たら仲良くなりたいのが人情ってものじゃないですかぁ! でも流石に友達になってくださいは調子に乗りすぎたんでしょうか……。そう後悔しながら彼女の表情を盗み見る。
そこには、獲物を前にして凶悪に歪む狩人の顔があった。
すごい、きれい……。
じゃなくて、え、あ、なにこれ? 怒っていらっしゃる……?
「ええ、いいでしょう、上等ですわ。本物の神様に本物の超能力者──」
その日、私は初めて知った。
「貴方たちの嘘を、証明してさしあげますわ」
美人が怒りながら笑うと、本当に怖い!!!