『side:九頭竜村の住人 村長』
翌朝。
それはそうとして、白銀真白と黒沢凛はよく食べる。
そのうえ、この二人は単純なのかそれとも成長期だから仕方がないのか、ご飯を食べている時はいつもニコニコと機嫌がいい。
それはきっと、九頭竜村のご飯が美味しいからだろう──と、九頭竜村の村長であり、彼女たちの祖父でもある彼は、誇らしげにそう結論付けていた。
なので、彼女たちが朝食のおかわりをせず、もしゃもしゃと箸と口を動かしながら朝のニュース番組をボーっと眺めているというのは、それはもう驚天動地の異常事態なのだ。
確かに彼女たちはたまに喧嘩をする、だがそれは猫のじゃれあいのようなもので、食事をして一晩ぐっすりと眠れば元通りになっていることがほとんどだった。
遅れてきた反抗期の到来か、もっとシリアスでヘヴィな何かがあったのではないか。村長はそんな風に心配し、極めて冷静に──実際は初めてのことに、あわあわおろおろと動揺しながら、「お手洗いに行ってきます……」と、小声で呟いて席を立ち、台所で洗い物をしている妻の元へと逃げ込んだ。
村長の妻──真白や凛からはおばあちゃんと呼ばれている彼女は、夫の様子からおおよその事態を把握。「あらあら」と、落ち着いた様子で食後のお茶を作りながら、
「朝からそんなに慌てるものじゃありませんよ」
「じゃ、じゃが……」
「あの子たちも年頃ですし、喧嘩の一つや二つもするでしょう。心配いりませんよ」
「しかし……」
「それに、あの子たちだっていつまでも子供ではないのですし……ね? あなた?」
そう言って微笑むおばあちゃんに、村長は「むう……」と少し不満げに唸る。
「そりゃあ、そうじゃが……」
「でしょう?」
おばあちゃんは村長の湯飲みに温かいお茶を入れながら、
「やっぱり、凛ちゃんの東京行きのことかしら」
「まぁ、そうじゃろうなぁ……」
村長は湯飲みから上る湯気をぼーっと眺めながら、やれやれとため息を吐く。
その姿を見て、おばあちゃんはくすりと笑って──それから、まるで子供をあやすような声色で続ける。
「凛ちゃんならきっと大丈夫ですよ。あの子はしっかりとしていますから」
「そりゃあそうじゃ、なんせワシらの孫じゃからのう……可愛すぎて変な奴が近寄ってこないかどうかは心配じゃが」
自慢の孫だ。世界一かわいい孫だ。
そんな彼女が将来を真剣に考え、自分の道を決めたのだ。応援しないはずがない。
だが。
「私たちも、寂しくなりますね……」
「……そうじゃのう」
村長は湯飲みのお茶をひと口飲んでから、台所に背を預けてずるずると座り込み、ぽつりと呟く。
理屈と理解は別で。
妻の瞳にうっすらと浮かんだ涙は、見ないふりをした。
「凛のやつも、いつまでも子供では居てくれぬということかのう……」
「あらあら、おじいちゃんの方が孫離れできてないじゃありませんか」
「うう……面目ない……」
「でも、まぁ」
おばあちゃんはそう言って湯飲みをすすり、ほうと息を吐き出す。
「真白ちゃんは、私たちのために子供のままで居ようとしてくれていて……私、情けないわ」
「ああ、ワシも同感じゃ」
そう言って、二人は顔を見合わせてため息をこぼした。
それから村長は急須にお湯を注いで、お茶を淹れ直す。
「あの子は優しい子じゃからのう。きっと、残されるワシらのことを考えてこの村に残ると言ってくれておる」
「ええ、でも……」
二人の目線が、台所の隅にまとめてあった調理器具へと向けられる。
使い古されて年季の入ったそれらは、どれもこれも真白が真剣にお菓子作りに打ち込んできた証明に他ならない。
「本当は、真白ちゃんだって凛ちゃんと一緒に東京へ行きたいはずなのに」
「情けない話じゃ、ワシらが心配なんぞいらんくらいしっかりしておれば余計な心配はかけんかったんじゃが」
村長は、冷蔵庫に貼られた古い写真に目線を移す。凛と真白、それから自分たち二人が映った家族写真に。
「あの子は本当に優しい子じゃから……自分の心にすら嘘をついてしまうのじゃろうな」
村長は湯飲みに口をつけて、残り少なくなったお茶をじっと見つめる。
「孫にまで心配されて、ワシは情けない男じゃのう」
「あなた……」
「凛ちゃんにも真白ちゃんにも、幸せになって欲しいのう」
「……そうですね」
それからしばらくの間、二人は何も言わずにじっと写真を眺めて。
「なあ、ばあさんや」
「なんでしょう?」
「少しだけ、無茶をしても良いじゃろうか……上手くは出来んかもしれんが」
その言葉に、おばあちゃんは少しだけ瞳孔を開いて。
それから、心の底から嬉しそうに笑って。
「ええ、わたしが好きになったのは、不器用でもまっすぐ進む。そういう男の子でしたよ」
二人の瞳にいつもの温和な光はなく──強い決意の色が浮かんでいた。
◆
『side:九頭竜村の住人 白銀真白』
「村おこしをするんじゃあ~~~!」
私と凛が台所で不思議な指切りを交わした数日後。
九頭竜村の村役場会議室──要するに、
わたしと凛、
「あ、それロンです。リーピンドラ1、3900です」
「ぐわああっ! 真白ちゃん強すぎるってぇ!」
「いや~今月も真白ちゃんの勝ち越しか~」
「ふふん、天才美少女雀士真白ちゃんの華麗な打ちまわしにひれ伏すがいいのです」
「相変わらず安い手しか作らへんけどなぁ」
「フッ、役満はロマンだのなんだの言って焼き鳥で初期点を割った負け犬の遠吠えほど心地良いものはないですねぇ」
「よっしゃ、埋めよ。今すぐ埋めよ。人類とか地球環境とかなんかそこら辺のヤツのためにこのアホは埋めなアカン」
じゃらじゃら。
海、山、スコップ、重機……など物騒な単語を羅列する凛を無視して麻雀牌を並べていく。
焦ることはない、こちらにはいざとなったら凛が夜な夜なコスプレ写真をあげているSNSの裏垢を暴露するという切り札があるのだ。これのお陰で、大抵の脅しには余裕を持って対応できるのである。いまどきの天才美少女は脅しにも強いのだ。
「お~い、話を聞いてくれ~~~!」
「あっ、ごめんなさい。またいつもの思い付きだと思って聞いてませんでした」
「せやね」「そうだな」「うむうむ」
「……うう……ワシいちおう村長なのに」
「この前はいきなり『ゆるキャラを作るんじゃ~!』で、その前はわたしと凛をアイドルとして売り出すとか言い出して全部大失敗ですからね、いまおじいちゃんの信用ポイントはゼロです、スッカラカンです」
「いや~まぁでも楽しかったけどなぁ?」
「そうそう、アイドルやってる二人は可愛かったし」
「ま、まぁ私は超絶可愛いですし、凛もその次くらいには可愛いですからね! 本来なら本当に天下を取っていてもおかしくなかったのですけれど! ……凛の口車に乗って、あんな、ほとんど紐みたいな水着を着させられていなければ、うぅ……」
「いや~あんときは笑ったわ~、真白ちゃん、『東京ではこういうのが流行ってる』って言ったら何でも信じちゃうんやもん」
「し、仕方ないじゃないですかぁ! 今どきの流行りなんて『王様のプランチ』とSNS経由でしか知らないんですからぁ!」
「『王様のプランチ』ってマイクロビキニを紹介するんかなぁ……」
じゃらじゃら。
「というか」
わたしはジャラっと牌をかき混ぜながら。
「九頭竜村って村おこしに使えるような名物とか観光地ってありましたっけ?」
そう言うと、みんな一斉に顔を見合わせてから。
「う~ん……」と唸る。
「ないのう」
「ないな」
「あらしまへんなぁ」
じゃらじゃら。
「な、なんかあるじゃろう! ほら! 落花生農家の大さん! ハマグリ漁師の源さん! うけい神社神主の勘解由小路さん! 言ってやるんじゃ!」
「千葉県なんてどこでも落花生採れるだろ」と、落花生農家の大さん。
「ハマグリ漁なんてほとんど趣味みたいなもんだしなぁ」と、ハマグリ漁師の源さん。
「うけい神社も無駄に歴史はありますけど、観光客なんて来たことないですからねぇ」と、うけい神社神主で教師も兼任している勘解由小路さん。
三者三葉に『無理』という言葉を少しだけ膨らませて返答する。
勘解由小路さんはぼんやりとうけい神社の方角を眺めながらため息と共に言葉を漏らす。
「そもそも魅力があったらこんな限界集落になっていませんしねぇ……」
「ぐぬぬ……」
おじいちゃんは拳を握りしめてがっくりとうなだれ、ため息。そして、
「どうにか、ならんものかのう……」
哀愁の表情を浮かべ、なぜか私と凛を見て、呟くように言った。
──正直に言って、おじいちゃんに村長は向いていないと思う。孫のひいき目をこめてすらそう思う。
カリスマ的なものがあるかと言われればこれっぽっちもない。かといって物凄く優秀と言う訳でもないし、そもそもあんまり真面目でもない。何か特別誇れる特技も、特別な人脈だって持ってない。
ただ、それでも。
「そこまで言われちゃ仕方ねぇな~」
「まったく、村長は我々がいないと本当に駄目なんですから」
「お、おぬしら……!」
「ま、それにホラ、村長の目的はなんとなく分かったから」
「そういう事なら付き合わない訳には行きませんからね」
それでも、おじいちゃんが村長で居続ける理由がここにある。
不器用でも情けなくとも、村長はこの村のことが大好きで、いつだって真剣にみんなのことを想っているから。おじいちゃんが本気でやりたいと思うことは、きっとこの村のためだから。
だから、村のみんなはおじいちゃんについていくのだ。
当然、それは私も凛も同じで。
私はまだみんなのようにおじいちゃんの目的にはピンと来ていないけど、きっと、悪いようにはならないと信じているから。
凛は少し真剣な顔をして何かを考えたあと、思いついたように口を開く。
「まぁでも確かに実際ものすごい絶景とかどこにもないような美味しいご飯なんてなくても村おこしに成功しているとこなんていくらでもあるしなぁ」
「そうなんか?」
「せやねぇ。たとえば千葉の端っこの方とかだとUFOがよく見えるなんて言ってUFOの街って自称しとるし」
そういえば、小さなころに連れて行ってもらった事があるかもしれない。UFOは見れなかったが展望台からの景色が綺麗だった。確か、他でも似たような事をやっていると聞いたことがある。
「あ~、凛が言ってるやつみたいなのだとカッパの捕獲免許を売ってる自治体もあるって話聞いたことありますねぇ。カッパを捕まえたら一千万なんて賞金を懸けていたり」
「なんというか、随分とたくましいのう……」
感心するおじいちゃんに、うけい神社の神主をやっている勘解由小路おじさんが実感を込めながら同調する。
「そうですねぇ、神主的にはどんな形であれ歴史あるうけい神社が注目されれば嬉しい限りなんですが」
うけい神社。
日本最古の印鑑『うけい』をご神体として奉るこの神社は九頭竜村でいちばん高い山の頂上にあり、古くからの歴史があるありがたい大変に神社らしい。らしいと言うのは、私と凛にとってのうけい神社は古くからの歴史があるありがたい大変に神社などではなく、単に小さい頃に遊んだりかくれんぼしたり秘密基地を作った思い出深い公園みたいなものだからだ。
「あとは、ほら。最近じゃあ『村を丸ごとテーマパークに』みたいなトコもあるやん?」
「ああ何かニュースになってましたね、村中にアスレチックとか動物園みたいなのがあったり、なにかひとつテーマを設定してそれにあわせて催しものをしたり」
「そうそう、ああやって魅力を後付けして観光地化するってパターンもあるし……まぁ案外いくらでもやりようはあるってことやね」
「意外といろいろあるんじゃのう……」
「となると、やっぱり九頭竜村がやるとしたらそういう方向なんですかねぇ?」
「う~む……たしかにそれくらいしか思い付かんのじゃが……」
おじいちゃんは少し悩んだ様子を見せてから。
「何かこう、『これだ!』っていうアイデアはないかのう?」
そう言って、みんなの顔を見る。
……残念ながら、そこで行き詰ってしまったようだった。
だが、しかし。
忘れてはならない。
この九頭竜村には、あの人物がいることを。
「ふふっ……ふふふふ!」
そう、みんなの頼れる天才美少女村おこしコンサルタント!
「どうやらこの私の天才的な発想が必要なようですねえ!」
九頭竜村に咲く一輪の華麗な花。
勘解由小路おじさんちの犬失踪事件にはじまり、増えるたぬき事件などあらゆる難事件を解決してきた実績を持つ九頭竜村のトラブルシューター……。
そう! この私。天才美少女、白銀真白ちゃんである!
「この私に、考えがあります!!!」
わたしは机の上にあったスマホを手に取って。
その画面をみんなに見せた。そこには──
『満智院最強子の華麗なる超能力者粉砕ちゃんねる』が映し出されていた。
「この九頭竜村を、因習村として売り出しましょう!」