ウルラート王国東部ラーメ侯爵領。
この土地を治めるラーメ侯爵は、かの聖剣の一族と言われ、邪悪な者たちとの戦いに活躍してきた。
魔王の眷属である魔族や魔物を討ち滅ぼした聖剣は、今や侯爵の息子ジューリオに引き継がれたが、かの地は平和を享受していた。
そう、平和だった。この時までは――
西のスヴェニーツ帝国の特殊部隊を率いるボーデンは、顔が綻ぶのを抑えられなかった。
「いやはや、素晴らしいな」
ラーメ侯の居城カパルビヨ城は、凄惨な血の臭いに満ちていた。鮮血が床や壁に飛び散り、人間だったものが転がっている。
「なんというパワーだ。人間を左右に引き裂くなど、初めて見た」
城内を黒装束の部下たちと闊歩する。
「これをほぼひとりで始末してしまうとは」
領主の間にたどり着く。そこには騎士たちの死体が転がっていたが、いまだひとりの騎士が魔物と戦っていた。
黄金の鎧。そして手には光り輝く剣を持った青年――あれが今現在、聖剣を持つ男。ラーメ侯の息子、聖騎士ジューリオだろう。
対峙するのは黒き甲冑をまとう騎士。かつては美形を誇りにしていたその男は、顔の右目周りから頬にかけて変色し、さらに左手が化け物の腕に肥大化している。
かつてルース・ホルバと名乗っていた男は、今や魔物となった。その巨木の如き左腕が、ジューリオを吹き飛ばした。
聖剣で防いだかに見えたジューリオの体が壁に叩きつけられた。
「ガハッ!?」
吐血。ジューリオは、ルースだったものの拳に呻く。
「化け物め……っ!」
「よこセ……。貴様の、聖剣――」
ルースは跳ぶ。一気に距離を詰めて、必殺の拳を叩き込む。壁が砕けた。間一髪、ジューリオは避けたのだ。だが、かわした先には、ルースの持つ暗黒剣があり、一瞬の間に斬首されてしまった。
「ジューリオっ!!」
領主の間で、老人が悲痛な叫びをあげた。
あれが、先代の聖剣の騎士だったラーメ侯か――ボーデンは見やる。
老人――ラーメ侯は剣を取ると、息子を殺したルースへと駆ける。
「ああああああっ!」
「うるさイ……」
壁に盛り込んだ左腕を引き抜き、ルースは右手の暗黒剣を放った。その一撃はラーメ侯の腹部に突き刺さり、その体を領主の執務机にまで飛ばした。
絶命。ウルラート王国の聖騎士親子は命を落としたのだ。
「よくやった、ルース」
ボーデンが言えば、肥大化した腕を人間サイズに戻して、姿勢を正した。
「命令を遂行いたしました、ボーデン様」
右目は黄色の瞳孔。露出した肌は、継ぎ接ぎのように灰色になっている。ルースが、もはや人間ではないことは、一目瞭然だった。
瀕死だったルースを拾い、実験がてら呪血石を埋め込んだ結果、彼はハイブリッドと呼ばれている、半人間半魔族の体に進化した。
人間だった頃より遥かに強く、強靱な体を手に入れたのだ。
――その分、多少、思考がおかしくなってしまったが……。まあ、許容範囲か。
力については申し分ない。ただし、実験としては失敗かもしれないとは、呪血石を埋め込んだ魔術師の弁だ。
何故なら埋め込んだ石は、欠けていたのか融合段階で砕けてしまったらしい。その結果、ルースはハイブリッドという状態になったが……もし完全な状態だったらどうなっていたか。
担当魔術師曰く。
『成功ならば強大な魔族になっていたかもしれませんが……おそらくは、それに体が耐えられずに自己崩壊を起こしていたかと。自壊しなかったことを思えば、不幸中の幸い、だったかもしれません』
失敗だが成功だった、とも言えるかもしれない。研究者にとっては大いに課題を残しただろうが、使える駒が欲しかったボーデンとしては、中途半端といえど現状のルースは最上の駒と言えた。
単独で、城の守備隊を全滅させ、聖剣の使い手すら葬った。こちらの指示に従って従順さも知能もある。
「よし、聖剣を回収して、ここに『種』を仕掛ける。モルス!」
「はっ」
黒ローブの魔術師が進み出た。スヴェニーツ帝国が魔王の欠片を研究し開発した、邪甲獣の種を設置するのだ。
その間に、ルースが聖剣を拾おうとする。だが触れた瞬間、指先に紫電が走り、ルースの手を拒んだ。
「うぬっ!?」
「聖剣が、魔を拒んだのだろう」
おい、と部下に呼びかけ、聖剣を回収させる。
ボーデンは顎に手を当てる。
「さて、我々、いい拠点を手に入れなければな。ウルラート王国で、もう一仕事せねばならないからな」
「ボーデン様」
ルースが傍にやってきた。ボーデンは口元に笑みを浮かべる。
「お前にも働いてもらうぞ、ルース。この国には、もうひとり聖剣の使い手がいる。そやつがここに来たら……わかっているな?」
「はい。私の手で始末いたします」
恭しくルースは頭を下げた。
「すべては、私を拾ってくださった貴方様の命ずるままに」
・ ・ ・
その日、王国の守護者であったラーメ侯爵は没した。
カパルビヨ城は魔の巣窟と化して、その城下町は地獄となった。ラーメ侯爵領は魔の支配領域となり、周辺領を脅かす。
その報せは、ウルラート王国中央の王都にも伝わる。
新たな脅威の出現に、ウルラート王国の王はこれの討伐を命じることとなる。