ディーは、幼い頃から争いを好まなかった。
強くあれ。そこに男も女もない。野生に目を向ければ、メスのほうが強い種族もいる。大人から子供まで闘争心は強く、常に上を目指して争うことが日常茶飯事だった。
何かにつけて勝ち負けに拘る同族に、ディーは半ばうんざりしていた。
なり手の少ない治癒術士の道を選んだのも、その素養を持っていたことを含めて、周囲の競争に加わらなくてもいいから、という理由だった。
だが、治癒術士といえど、体力作りや最低限の戦闘技術を積まされた。結局、最後まで馴染めなかったが。
集落に住んでいる間は、まだよかった。
だが白狼の魂を狙った敵の襲撃により、集落が滅ぼされた後は、否応なく周りとの行動を要求された。
臆病、仲間内でも弱いディーは、戦闘術に修練を重ねてきた若者たちから疎まれた。治癒術士だから仕方なく連れてきているんだ、と言う者さえいた。
ディーに言わせれば、無理に危険な場所に行きたくないなのだが、周囲はそんな個人の考えを容認できるほど余裕がなかった。
生き残った者たち――老人と子供だけで、何とか一族を再興させなくてはならなかった。そして人の手に委ねることになった白狼の魂を、己が一族で再び守れるように鍛え、強くならねばいけなかったのだ。
そして、その若者たちの気持ちは、邪甲獣によって砕かれた。ディーも治癒術士として参加したクエストで。
『臆病者! さっさと去れ!』
弓使いであるアオガは、ディーに怒鳴った。この時、ディーは邪甲獣に怯えてしまい、まったく動くことができなかった。すでに何人も同族が無惨に殺されるのを目の当たりにしてしまったからだ。
まったく動けないディーにアオガは容赦なかった。
『――お前はそこでじっとして、食われないよう祈ってろ! ノロマ!』
見捨てられたと思った。こんな情けない自分は白狼族の風上にも置けないとディーは思った。
でも怖かった。体の芯から震えて、動けなかった。動きたかったけど動けなかったのだ。
間近にまで甲虫型邪甲獣が迫り、ディーは死の恐怖に震えた。その絶体絶命の危機を助けてくれたのがヴィゴだった。
彼とその仲間たちが駆けつけたことで、ディーは九死に一生を得た。
だが、ディーのいたパーティーは全滅した。アオガも結局、戦死したのだ。白狼族の誇りを胸に最期の時まで戦ったのだ。
動けなかった自分と違って――ディーは自分が情けなくなった。
白狼族の拠点に帰るのがつらかった。パーティーメンバーを失い、生き残ったのは臆病な自分ひとり。おめおめ戻っても、合わせる顔がない。
だがそれも結局いらぬ心配に終わった。一族は、白狼の魂を狙う敵によって皆殺しにされたから。
本当に全てを失ってしまった。悲しくて、悲しくて。
そこでまたもヴィゴに再会したのは運命だったのかもしれない。グフ・ロンキドに保護され、ヴィゴの家に世話になった。
塞ぎ込んでいたディーだが、周囲は優しかった。そして立ち上がるきっかけを与えたのは、ヴィゴのパーティーメンバーだったルカだった。
そして彼女は、アオガの最期を看取っていた。
『彼は、最期まで仲間の……あなたの無事を願っていました。弓使いなのに前に出て。……下がっていれば私たちも間に合ったかもしれない。でもそうしたら、きっとあなたがやられていた』
ディーの脳裏に、アオガの言葉が蘇った。
『ここにいても、邪甲獣のエサになるだけだ! さっさと去れ!』
逃げろ、と彼は言っていた。だが動けないとディーが言うと、『お前はそこでじっとして、食われないよう祈ってろ!』と叫んだ。
ディーを突き飛ばして岩陰に押し込むと、アオガはそこから離れて――
『こいよ、化け物! オレはここだ!』
彼は声を張り上げ、邪甲獣の注意を自分に向けながら離れたのだ。本当にディーを見捨てたなら、むしろ臆病者を囮に退避するのが自然だ。
しかしアオガが取った行動は正反対。前衛をカバーすると共に、援護してもらわなくては生存率が下がる弓使いなのに、自分を囮にした。
ノロマなど悪く言われたが、アオガはアオガなりにディーを仲間として捉え、守ろうとした。
それがわかった時、ディーは激しいショックを受けた。そして同世代の若者たちがディーに掛けた言葉を思い出すと、その衝撃は強くなった。悪口も悪態もあった。だが突き放すだけでなく、さりげなくフォローを入れたり助けたりしてくれていたことに気づいたのだ。
どうして、と思った。役に立たない自分を助けて何になるのか。
『助けられた理由なんて、助けた人にしかわからないものです』
ルカは言った。
『その人が何を望み、何を願ったのか、それを知る術はもうありませんけど、人は自分にできることしかできない。ディー君も、自分にできるをすればいいと思います』
でも、と、背の高い彼女は人差し指を立てた。
『赤の他人である私でもわかることは、きっと白狼族の人たちは、あなたが塞ぎ込んでいるのを望んではいないということだと思いますよ』
やり直そうと思った。塞ぎ込んでいる場合じゃない。
仲間たちを想いを引き継げるのは、もう自分しかいないのだから。彼らは何を目的にしていたか?
魔王の欠片――白狼の魂を守ることだ。
だがディーには、仲間たちのような戦う力はない。だからできることから始めようと思った。
そしてその機会はきた。黒装束の者たちが、王城に隠された白狼の魂を手に入れ持ち出そうとした。
あの時、持っていたブーメランを投げ、必死に取り戻そうと動いたのは、いや動けたのは、あの日の決意があったから。
結果として、白狼の魂は敵の手に渡らなかった。魔王の欠片は砕け、その力は呪いとなってディーの右手を蝕んだ。
白狼の魂はなくなった。一族が守ろうとしたものは消え、もはや誰の手にも届かない。ディーは再び目的を失った。
呪いと共に、ひとりで生きていく――いや、もう死んでもいいかな、と思った。その時――
『ディー、お前、うちのパーティーに来いよ』
ヴィゴが拾ってくれた。
呪いの手を恐れず、むしろ名誉の負傷だと、ディーの払った犠牲を認め、一番欲しかった言葉をくれた。
亡き一族の伝統を守った。使命を果たし、守った勇者であり、胸を張っていい、と。
『お前は俺たちの仲間だ、ディー』
この時、ディーの心は決まった。この人に、ヴィゴに一生を捧げよう、と。自分を迎えてくれた人に。