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第66話、イラという人間


 イラは孤児だった。


 両親は知らない。だから『イラ』という名前さえ、本当の自分の名前かどうかすら知らない。


 王都の孤児院で育ったイラは、主体性がなく、周りに流されて生きてきた。周囲に人がいると安心する。その人たちを見て、真似ればいい。


 それが彼女が生きていく上で身につけた生き方。だからか、観察眼が培われ、真似ることが上手くなった。


 孤児院に派遣されたシスターから、治癒魔法を覚えた。魔法が使えたのは、素養があったからかもしれない。


 イラは周囲の顔色を伺いつつ、次第にそのシスターの言動を真似ていった。模範的で、周囲にも子供にも優しいそのシスターを手本としたことで、イラは「いい子」だと見られた。


 しかし、イラが真似たのは彼女ひとりではなかった。孤児院の年長者たち、そして近くで見かける大人たち。いい人もいれば悪い人もいた。それらを取り入れて、様々なことを覚えていった。


 ふだんはシスターのように振る舞いつつ、人によって言動や姿を変える。仲間によっては、王都の住民のものをスったり、色仕掛けを駆使して金を手に入れた。


 すべては自分を取り巻く周囲から逸脱したくなかったから。グループに属していれば、自分で考えなくていいのだ。考えは他の人が出してくれる。イラはそれに乗っかるだけだった。


 ひとりになりたくなかった。だが、都合よく言いなりになることもなかった。何故なら、真似たから。高圧的に弱い奴を脅し、集る人間のそれも。


 彼女は、悪い子でもあったのだ。そしてその悪いことをしている自分に密かにスリルを感じていた。


 やがて自分が孤児院で年長になり、しばらくして独り立ちの時が来た。これからは自分ひとりで行かなければならない。だが、彼女は準備を整えていた。


 冒険者になる。シスターから教わった治癒魔法を用いるクレリックとして。……そう、イラは正式な教会のシスターではなかった。当然『自称』聖職者であり、ニセモノだった。


 服装も、教会のシンボルをあしらった十字のネックレスも、すべて聖職者の支給品から調達したものだ。


 冒険者ギルドに登録する時も、教会のシンボルを見せれば疑われることもなかった。修行と称して冒険者パーティーに加わる新人や修行僧はいたから、さほど珍しがられるものでもない。


 ついでにイラに言わせると、人間は制服に弱い。さらにその組織を象徴するシンボルなども持っていると、もはや疑いもしない。よほどの不祥事でもしなければ、確認の問い合わせがいくこともなく、ニセモノだと見破られることもない。


 人を騙している。悪いことをしている――それがイラにとって楽しみを見いだす瞬間だった。


 いくつか冒険者パーティーに属したが、どれも長続きしなかった。特に色気路線で勧誘していた時などは、冒険者は寄ってくるが、口先ばかりで大したことがなかったのだ。


 そこでようやくまともなパーティーに出会ったのが、前に所属したパーティー『シャイン』だった。


 ルース・ホルバという、顔がよく、そこそこ腕の立つ冒険者がリーダーで、それまで組んだパーティーの中で、一番有望に感じた。


 ルース本人は、自分の容姿をひけらかして鼻についたが、実力は悪くない。周りに美少女をはべらせる面もあるが、そのあたりをくすぐってやれば、どうにでもなる男だった。


 所属しているメンバーたちは一部を除いて、容姿に優れた美少女揃い。裕福な家の出身で、鼻持ちならないところはあるが、彼女らも正直チョロかった。皆、ルースばかり見ていたから、ちょっとご機嫌取りして、前に出なければ彼女らは敵となりえなかった。


 大変居心地がよかった。その居心地のよさは、ルース以外で唯一の男であるヴィゴの存在が大きかった。


 世間知らずで、考えなしばかりの中で、唯一、細かなところにまで注意を払える人だった。ヴィゴがいなければ、おそらくこのシャインは遅かれ早かれ立ち行かなくなる……。


 そしてそれは現実のものとなった。


 ルースは、ヴィゴを追放した。それでもしばらくは大丈夫なはずだった。彼がいなくなり、世間の大変さを知れば、メンバーたちも少しずつでも改善していく余地はあるだろうと。


 しかし、邪甲獣の出現でこれまで貯めたパーティーの財産がホームごと吹っ飛んだのはイラにとっては誤算だった。


 お金がない。裕福な家の出の彼女たちが、貧しさに耐えられなくなるのは容易に想像がついた。だがここで崩壊してしまえば、自分はひとりになってしまう。


 居場所を守りたかった。


 何とかお金を調達してパーティーの延命を図ろうとした。ちょうどその時、邪甲獣を討伐して一気にお金持ちになったヴィゴを見かけた。


 つい悪い虫が働いた。悪いことをしたい、という欲求が働き、変装し口調を変えてヴィゴに近づいた。孤児院の危機と嘘をついたら、人のいいヴィゴはお金をくれた。


 正直、雰囲気変えた程度の変装など見破られるかと思った。ヴィゴも怪訝そうにはしていたが、今まで仲間うちで一度も変装のことを言わなかったことが幸いしたのかもしれない。


 まとまったお金を手に入れ、『シャイン』の延命が図れると思った。だが、ヴィゴを欠いたメンバーは、不自由さとストレスで関係が悪化。もはやパーティーの瓦解は時間の問題となった。


 イラは『シャイン』からの脱退を模索し始めるが、その矢先、ダンジョンにて物理的にパーティーは崩壊した。


 リーダー逃亡、パーティーメンバーは戦闘不能。もうこうなってしまっては、船を見捨てるしかなかった。


 ひとりは嫌だ。


 イラは考えるのが嫌いだ。誰かに従っているほうが楽だ。


 そして、この時のイラが頼れる相手は、ヴィゴだけとなっていた。しかし彼からお金を騙し取り、事実が露見すれば犯罪者として罰せられる……。


 だがそこで、気づく。


 ――そうだ。もう全部、ヴィゴさんに決めてもらおう。


 誠意として、装備を処分して返済できるだけのお金を返す。残りは借金奴隷でも、通常の奴隷販売でもいいから、ヴィゴに決めてもらう。


 そうすれば、何をすればいいか考えなくていい。もし彼が怒り狂ってイラに暴力を振るったり、殺そうとしたとしても、そのまま受け入れよう。


 すべてを他人に委ねる。彼なら、何をされてもいい。そばに置いてくれさえすれば。


 ヴィゴは、これまで見た中で、人として一番安定感があり、ついていく相手としては最善の部類だった。追放直後は、その進路が未確定故に躊躇ったが、今はそれもない。


 そしてヴィゴに打ち明けた時、彼は怒らなかった。むしろ『しょうがない奴だな』みたいな、大人な対応をされた。


 結果的に、イラは想定どおり借金奴隷となり、自分の居場所を確保した。ヴィゴはすでに新しいパーティーを作っていたが、雰囲気はよく、どこよりも安定していた。


 後は自分にできる範囲で貢献して、居場所を守り続けるだけ――そう思ったのもつかの間、第二の誤算が発生する。


 借金をあっという間に返済できてしまったのだ。仲間たちに貢献して、残ってほしいと思われるくらい頑張るつもりだったのに、ろくに貢献する間もなく奴隷解放――


『はい、ごくろうさん。さようなら』


 それが一番怖かった。人に頼らないと居場所が見つけられない彼女は、だから奴隷でもいいから、今の居場所との結びつきを求めた。


 結果『縛られたい』という誤解発言をしてしまうことになるのだが……。ヴィゴと、リベルタの面々は、イラをパーティーメンバーとして受け入れた。


 だから、イラは上機嫌だった。自分の居場所を確保できたから。あとはこの居場所が壊れないように、誠心誠意仕え、尽くすだけだ。


 身につけた首輪は、組織への従属と忠誠の証。しかし、いまだ偽シスターであることは告白しない。


 欺き続けること。それが自分が『悪い子』であるという証。発覚した時のスリルを想像することが、唯一にしてささやかな彼女の楽しみだったから。

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