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翠雨に映る記憶
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恋愛現代恋愛
2024年08月21日
公開日
6,191文字
連載中
恋愛がわからない女子高生が人に告白されたことをきっかけに恋する話

関係性の解釈不一致

―関係性の解釈不一致


  ホームの反対側の列車のドアの閉まる音が聞こえ、彼が離れていくのを見送った夜を思い出す。ホームの上のトタン屋根に雨が当たって響いている。あれは思っていたよりもずっと呆気のない終わりだった。執着してほしかったわけでもないが、正解に連れて行ってほしかったとは思う。電車の音が遠く離れてすぐに、自分の乗る電車がやってくる。

 電車に乗ってしばらく揺られ、最寄り駅から出た。雨が染み込んで乾ききらないアスファルトを中々変わらない赤信号が飾っている。私は悴んだ手に白い息を吹きかけた。耳に差し込んだサブスクリプションの自動再生が、彼が好きだった歌を流すものだから涙が出そうになる。少しづつ彼の顔や声は曖昧になっていくというのに、好きだった歌は鮮明に覚えている自分に嫌気が差す。信号が変わるのがいつもより少し遅く感じた。


「関係性の、解釈不一致。」横断歩道を渡りながら、あの時の彼を想って浮かんだ言葉を反芻してみる。それはとてもよく二人を表していた。


―曖昧な言葉に囚われるくらいなら


 「真衣ー放課後遊べるー?」退屈な授業に飽き飽きして、スマホを取り出して少し離れた席の幼馴染にメッセージを送った。もちろん授業中のスマホは禁止されているので返信は来なかった。スマホを閉じて黒板に目をやっても、端から端まで、お爺ちゃん先生特有の読みにくい文字と数式で埋め尽くされていた。なんとか解読しようと試みるもその甲斐虚しく、襲ってきたのは抗えない眠気だった。数分経って授業終わりの鐘が鳴り、私もそれに起こされた。ノートに蛇が走っている。鞄から次の授業の教科書を取り出して、スマホの通知を見ると、真衣からの返信が来ていた。

「ごめん今日は無理。」あれ、真衣今日バイトとかあったっけと思案していると、追加のメッセージが表示された。「彼氏と遊ぶ約束してるから」ああ、そういえばそんな関係性の人がいたな。と思い出した。「そっかー。じゃあまた今度」仕方がないので今日は一人で課題消費でもするかとその旨を送った。真衣はそれに私の知らないキャラクターのスタンプを送って返した。


 翌朝、いつものように高校へ向かう。真衣の家は高校へ向かう道中にあるため特別約束しないでも二人で行くことになっていた。私は少し寝坊したので急いで自転車を漕いだ。そして真衣の家の前で自転車を止め、彼女が出てくるのを待つ。「真衣も寝坊したな、これ」いつも出てくる時間を過ぎているのに彼女が来ないので、痺れを切らしてインターホンを鳴らす。彼女は慌てたように鞄を持って出てきた。「遅刻するって」私は苛立った振りをした。「大丈夫だって!」真衣は笑いながら自転車に跨った。しかし大丈夫、といった割にはやはり真衣も遅刻を危惧したようで、会話も少なく、自転車を漕ぐ足を速めた。欠伸の多い真衣が気になり、私は昨日何時に寝たのかと尋ねた。「わかんない……2時くらい?」「何してたのそんな時間まで。またなにかアニメでもはまったの」「彼氏のLINEおわんないんだもん」真衣はそう言って昨日の話をしてくれた。それは彼女を寝不足にさせてまでしたいのかその会話、と言いたくなるようなものだった。けれども嬉しそうな真衣の声に、それも人それぞれかと思い直した。しばらく返答をせずに考えていたようで、聞いてる?という真衣の声に、適当に相槌を打って返した。


 高校の前で、信号につかまり、交差点を通過するトラックを見送りながら真衣が尋ねた。「薊実って好きな人いないの」「んー、いないなあ。というか興味がない」

 本心だった。恋愛関係を互いに同意したところで、相手はいついなくなるかわからない。その上、その期間はその人を最優先にしなければならないなんて、危ない賭けに他ならないではないか。恋愛だとか、好きだとか。そんな曖昧な正解のない言葉に囚われてしまうのが悍ましく見えて仕方がなかった。恋愛というものがわからなかったからそう言えたのかもしれないが。とはいえ目の前の真衣にそんなことを言えるはずもないので、「というか、それより妹とか真衣のほうが大事。」とだけ付け加えた。「薊実らしいわ。」真衣は半ば嘆息する調子で答えた。そして信号が変わり、高校の敷地に入る。HRの開始の鐘が鳴る2分前だった。


 教室に入り、それぞれの席で荷物を降ろしたのと、担任が現れたのが同時だった。「余裕持って来いよー」私は反省の意を表すために少し俯いた。下手に媚びず、関わらず、それが楽に生き延びる術だと信じていた。


―大切の種類を解りたかった。


 私は週に一度洋食店でバイトをしていた。注文を聞いて、料理を客に提供する仕事だ。「すいませーん。」「はーい!今行きます!」家族経営の小さな店だが、昼時にはいつも満席の人気店だった。忙殺されながらも、時給が比較的高いこの職場を気に入っていた。店長夫妻がバイトを家族のように可愛がってくれるのもこの店のいいところだった。


 店締めが終わった後にはいつも、厨房で働くバイトが余った食材で料理をするのが習慣になっていた。誰が言い出したのかわからないが大方奥さんだろう。魁斗という私より数週間先に入った他校生はとりわけ可愛がられていたから。その日彼は少し客足の落ち着いた頃に厨房から出てきて私に尋ねた。「薊実ちゃん、今日何食べたい?」「えー、魁斗さんが好きなものでいいですよ」私は客が居なくなったテーブルの食器をまとめながら答えた。洋食店でバイトしているとは言え、特に食に興味のない私はリクエストするほどの料理名の語彙を持ち合わせていなかった。

 そして閉店の時間になり、店長がその日の収支を合わせ、私と奥さんが客席を片付ける間に、魁斗は料理をした。ちょうど皆の仕事が終わった頃に魁斗の料理は終わって皆で食事を始めるのが常だった。


 店締め終わりの食事の時、いつも魁斗は私の目の前に座った。

 その日彼が少し席を外した時、私の隣に座っていた奥さんがねえねえと、内緒話をするように耳打ちしてきた。「彼のこと、どう思ってるの?」「どうって、料理できてすごいなーって思いますよ。私ほんとにできないので。」私は質問の意図が汲めずにありのままを答えた。「そのうち告白されたりして」奥さんはにやりと笑ってつづけた。「は?」文脈のない答えに私は雇い主に失礼な声を出してしまった。「そう。そのうちわかるわ。」何もわからないなどと答えていないではないかと反論しようとしたところで彼が戻ってきた。彼は何の話をしていたのかと店長に尋ねたが、店長含め全員笑って胡麻化すだけだった。その日は珍しく少しだけ居心地が悪かった。


 「お疲れ様でしたー」食事が終わり、魁斗は食器を片付けてから店を出た。私もそれに続いて出ようとするが、ふとなぜこの人気店で食材が月曜日だけ余るのだろう?ほかの曜日と客足が違う様子もないのに。と疑問に思ったので尋ねてみると、店長は周りを見渡してから内緒だよというようにひざを曲げて私と目線を合わせてから答えた。「魁斗くんの料理、おいしいでしょ。」どうやら余るように仕入れているらしい。いいのか、それで。まあおいしいのは事実だからいいかと思い直して私は「確かに。」とだけ答えて店を出た。


 私はたまにバイト以外の真衣に彼氏を理由に遊びを断られた日に魁斗と会うようになっていた。学校の課題を教えてもらったり、たまに料理を教えてもらう程度のもので、云わば仲のいい兄妹のような関係性だった。駅前のファストフード店に入ってその日もいつものように夕方まで過ごした。

 別れ際、魁斗は私を引き留めた。日が傾いて空がオレンジ色をしている。影が伸びていた。「どうかしましたか?」私は上目遣いの目の奥に魁斗の視線を掴んだ。魁斗はそこから逃げた。そしてしばらく沈黙した後、また目を合わせた。「好きです」彼は声帯を震わせる。刹那、その二字が私の脳から姿を消し、また戻った。「……告白、ですか」「そう。」彼は頷いた。


 ああ、奥さんが言っていたのが現実になってしまった。私は慎重に言葉を選び出した。「……もし、断ったらどうしますか」よくわからない関係性に安易に応えることもできずに尋ねた。「ん、バイト辞めるかも。気まずいし。」へらへらと笑いながら答えるその顔に、脅迫と同義ではないかと私は怖くなった。ここで下手に返して、今までの関係性を壊したくなかった。私は引き攣った口角を上げ、そして答えた。「冗談ですよ。私も、貴方といるのは楽しいです。だけど、少し考えさせてください」きっとこれが無難な最適解というものだろう。「わかった。またね」少しというのが、いつまでか明示していないことには触れずに魁斗は次があるという前提の別れを告げた。「ありがとうございました」私は次には触れずに今日の感謝だけ述べてから帰路についた。


 次の月曜日にはまた魁斗とバイトで顔を合わせることになる。交差点の往来に車が鳴らす騒音の中、私はため息をついた。「どうしよう」信号が変わる前に歩き出す前の人に釣られて歩き、危うく轢かれそうになる。頭の中がその人で埋め尽くされるその感覚が、告白されたことによる仮初であることを教えてくれるものがあればどれほど幸福だっただろう。不幸にもその時の私にそれを伝えるものはなかった。


 手放したくないという恐怖と、彼との会話量は反比例的な関数を成していた。少しづつ、彼のほうも私のほうも会話がぎこちなくなっていた。早く答えなくては。焦りだけが私の中で膨らんだ。気まずいってなんだ、この関係を壊そうとしているのはそっちじゃないかと厨房に立つ彼の背に吐きそうになった。


 学校終わりにそのままバイト先へ向かうと、いつも私より先に来ていた魁斗の自転車が見当たらなかった。まあそんなこともあるかと思いつつ、どこか気になって私はバイト先の制服に着替えながら店長に尋ねた。

「あれ、今日私だけなんですか?」

「ああ、なんか熱出したらしいね。薊実ちゃんは大丈夫?」

「私は大丈夫です。」

 そういや高校で何人かインフルエンザにかかっていたなと思い出しながら返答した。


 バイト終わり、魁斗にメッセージを送ろうとスマホを取り出す。しかしいつから話していないのだろう。最近ではシフトが被る月曜日にさえ仕事上最低限の会話しかしなくなっていた。今更体調不良を案ずるような文面を送るのもなんだかおかしい気がして、結局メッセージの画面を閉じてしまう。その日はなんだか眠れなかった。早く次の月曜日になってほしいような。ほしくないような。私はそんなことを考えながら一週間を過ごした。


暗い月が星を明るく魅せてくれた。

 その日もバイトをしていた。小さな洋食店に、私を呼ぶ声が響いた。「薊実くん!?」同じ高校の男子がバイト先に現れたのだった。彼は髪の短い私を初見で男の子と勘違いしてから、女の子だとわかった今でも敬称を変えなかった。普段真っ黒い制服しか見ていない故か、私服姿の彼はいつもより幾分か顔が明るく見えた。いつも誰かとふざけていて、一人でこんなところに来るのが意外だった。

「仕事中だから。声大きい」私は少し声を低くして彼を制した。選択授業でしか会ったことがないのにまるで友達のように話しかけてくるなと呆れながら。

「ごめん。ねえ、どれがおすすめ?」

「バイトにおすすめ聞くとか……そうだなあ、これとか。」以前食べたメニューがちょうど開かれていたので指差した。「じゃあそれで」「はーい。」私はその他のテーブルの注文も聞いてから厨房に戻った。


「今の友達?」

「あ、高校の子です。あとこれ注文です。」どうやら風邪は治ったようで、魁斗はバイト先に復帰していた。久しぶりに聞く声はいつもより少し冷たく聞こえて、私は視線を逸らす。一つ上のお兄さんがなぜかとても子供じみて見えた。気まずくなってすぐにホールへ逃げるように戻った。店長夫妻はそんな私たちを見ながら「仕事はちゃんとしなさいよー」と笑っていた。


 翌日はちょうど選択授業のある日だった。いつもは気にならない真衣の授業前の用意の遅さが妙に気になった。「早く行くよ」「どうしたのそんなに急いで」真衣ののんびりとした答えにはっとするが、自分でもどうしてかわからなかった。正確には、その人の声が聴きたい、会いたいという感情が受け入れられなかった。告白の返答をいつまでも先延ばしにしておきながら、なんだか無責任な気がしてならなかった。


 教室はいつもと変わらず騒々しかった。昨日バイト先に来た彼の声は、彼のグループの中では特段大きいわけでも通るわけでもない。それなのに何故か鮮明に聞こえた。選択授業は自由席だった。私は無意識に彼が視界に入る位置に座った。真衣もそれに続いて横に座った。「.....好きなの?」先生がやってきて話をする間、真衣は翠月を指して私に耳打ちした。唐突なその言葉に私は持っていた筆を落としてしまった。真衣には魁斗の話をしていなかった。彼女は無邪気に純粋に彼への好意の有無を聞いているのだろう。そんなことはわかっていた。それなのに改めて好きなのかと聞かれ、自分の無責任さを再度刺されたような気分になった。「昨日バイト先に来たの」きっと今日彼を追ってしまうのはそのせいだ。急に名前を呼ばれたのが頭に残ってるから。真衣はへえと返しならがら落ちた筆を拾ってくれた。その日の授業の内容は何一つ覚えていない。


 彼を想うたび胸が痛い。まるでそんな安い恋愛小説の作者に自分が描写されている気分だった。そしてページを捲る前から、読者である真衣には私が翠月に恋をしたように映ったのだろう。




―私は愛よりも恋を選んだ。

 路面が凍結していて自転車に乗れそうになかった。仕方がないので自転車を高校に放置して電車で帰宅することにした。ホームで電車を待っていると見知った顔が見えた。月曜日のバイト以外で会うのは久しぶりだった。彼は反対方面の電車を待っていた。じっと背を見つめる。そうしてみてもやっぱり翠月に思うような感覚は涌いてこない。しばらくそうしながら私は熟慮した。そして決意し電車を待つ列を離れ彼のほうへ向かった。


「あの、今時間大丈夫ですか?」

「うわ、びっくりした。電車こっちなの?」

「逆方向です。少し話がしたくて」

「電車くるまででならいいよ」

 ああ、きっとこの人はただ雑談をしに来たと思っているのだろう。或いは告白の返事を。こんな夜に。そう思うとなんだか申し訳なくなる。しばらく沈黙が流れた。先ほど何度も推敲した言葉は、本人を目の前にすると崩壊してしまう。魁斗が不思議そうに首を傾げるのをみて、やっとのことで口を開いた。「恋愛を、理解しました。……あなた以外の人に。……だから……ごめんなさい」頭の中での予行演習は実際の彼を前にするとすべて効力を失う。薊実は震える声でそれだけを告げた。

「そっか。」

 彼がそう言ったのと、電車のドアが開くのが同時だった。彼は振り返らずに電車に乗る。ドアが閉まった。


 魁斗はその週のうちにバイトをやめた。もともと家も遠かったので、偶然に会うことはなかった。「どうしてるかな。」その人の幸せを願うのが愛だというなら。その人に狂ってしまうのが恋だというなら。きっと私は愛よりも恋を選んだのだろう。悲しむ資格などないさと言い聞かせて彼が抜け出したバイトのグループLINEを閉じた。



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