「あのぅ、聞いていいかしら」
黙り込んだ生徒たちに、和泉が小さく手を挙げる。
「その、カマイタチっていう、妖怪? は、どんなものなのかしら。私、そういうのには疎くって」
「ああ」と答えたのはカイではなくサトルだった。眼鏡を押し上げ、
「人に切り傷をつける妖怪です。イラストだと、鎌を持ってたり手が鎌みたいになってるイタチの姿のことが多いですね。風に乗って現れ、服の上から皮膚だけを斬り裂いたり、斬られても痛みを感じないとか言われています」
「3匹セットって説もあるんですよ! 1匹目が転ばして、2匹目が斬って、3匹目が薬を塗るっていう連携プレー! 地域によって呼び方も色々あって……」
「どうどう。落ち着け、カイ」
思わず語りだしそうになったところをジンゴに止められる。和泉は笑って手を振った。
「あはは、大体わかったわ。ありがとう、トイマくん、神宮くん。確かにそんな妖怪の仕業なら全部説明つきそうね」
「でも現実に妖怪なんていない。鎌鼬って、確か、風に巻き上げられた砂とか葉っぱとかが正体って言われてますよね」
「あ、ハイ。あかぎれじゃないかとも。ていうかサトル先輩、詳しいですね」
「今朝の天気、どうでしたっけ」
「私が来たときはほとんど吹いてなかったわ。今日はいい天気だったよね。もちろん、突風が吹くこともあるとは思うけど」
「……そうですよね。絶対にないとは言い切れないけど、その線はなさそうですね……」
カイの最後の一言は完全にスルーしてサトルと和泉先生が話し込む。
3人が話している間、ジンゴはまたアカリの方を向いていた。カイが「スカートの下」と言っていたのを聞いて、そういえば、と思い出す。
「そーいやアカリ、最近はスカート丈ちゃんとしてんじゃん? 去年は服飾違反でも反省文書いてたのにな」
男子は学ラン、女子はブレザーにベストとプリーツスカート。色は男女ともにすべて黒。これが彩樫高等学校の制服だ。
そしてこの地味な制服に反発を感じるのか、服飾違反の生徒はとても多い。それを取り締まるのが生活指導委員のメインの仕事と言っていいくらいだ。校則違反が見つかるとイエローカードが言い渡され、3枚溜まるとレッドカードに変化、生活指導室で反省文を書くことになる。
アカリは新学期初の反省文生徒だったが、違反内容はすべて遅刻だった。
「いやー私も2年生ですからね。先輩としての自覚が出てきたっていうかぁ?」
「とか言って登下校中では短くしてんだろ。生活指導委員長の俺にはわかる」
「えェー、ナイナイ! 言いがかりですよぉ! 証拠は、証拠。最高裁まで争いますよっ」
「スカート丈……。ジンゴさん、違反者名簿って見せてもらえます?」
ジンゴとアカリがふざけて話す中、サトルが振り返って割り込んだ。
「うーん……お前
彼の言葉にジンゴはまばたき1回分だけ悩み、そして違反者名簿のバインダーを手渡した。まだ四月の始めなのに、もう2枚目の用紙に突入しているそれを。
「……ジンゴさん、イエローカードって違反項目に関わらず3枚目で反省文になるんでしたっけ? 遅刻で1枚、スカート丈で1枚もらってるところにまた遅刻したらなる?」
「なる。どしたん、なんかわかったん」
「いえ、ちょっと……」
徐々に西日が差し込んできた教室に、サトルがバインダーをめくる音が静かに溶けていく。
アカリからもこれといって情報は得られず、パーテーション内の空気はゆっくりと解散に向かっていた。カイに鎌鼬知識を披露されていた和泉は一度時計を見てから立ち上がった。
「あら、もうこんな時間。まだ仕事もあるし、私はそろそろおいとまするわ。3人とも、今日は話を聞いてくれてありがとう。話したらすっきりしたし、私が言ったことは忘れてね。村瀬さんは、何か思い出したり困ったことがあったらいつでも保健室に来てね。あ、あとジンゴくんは無理しないこと! いいわね?」
「うっすー。イズミちゃんセンセ、また今度」
「はーい。じゃーねー、イズミちゃん」
「イズミ先生、さようならっ」
3人が挨拶をして、和泉が扉に手をかけたとき。
「和泉先生。最後に一個だけ、いいですか」
「なにかしら、トイマくん」
呼び止められて振り返る。丸顔によく似合う黒いボブカットが軽く揺れる。
「怪我をしたという生徒の名前。アカリさんと、あとふたり。和泉先生のおっしゃったこともわかるので、答えなくてもいいんですけど」
言いながらサトルは立ち上がった。しかしその場からは動かず、距離を保ったまま問いかける。
「
和泉の童顔がこわばる。誰が見ても、それだけでもう十分だった。
サトルは満足そうに頷くと、
「一応仮説は立ったけれど、これから確認するので。時間も時間だし、よかったらまた明日来てくださいませんか?」
それからにこりと、
「大丈夫、和泉先生が心配したようなことはなにもありませんよ」
計算したみたいに完璧な笑顔でそう言った。