「うーん、本当はここまで言うつもりはなかったんだけど。でも、そこまで察しがついてるなら……」
和泉はうんうんと唸り言うか言わないか悩んでいたが、結局最後には喋り出した。
「実は今日ね。朝イチで脚を怪我したって生徒が保健室に来たの。診せてもらったら、太もものあたりに切ったみたいな鋭い傷があった。でも傷自体は浅かったから、消毒してガーゼして、普通ならそれで終わりなんだけど……」
「その怪我をしたのはひとりだけではなかった、ということですか」
サトルの言葉に和泉は大きく頷いた。
「そう。同じような怪我をした子が今日だけで3人来た。しかも、どこで怪我をしたのか聞いてもみんなわからないとか覚えてないって言うのよ。もしかしたら校内に危険な場所があるのかもと思って空いた時間に見て回ったりもしたんだけど、今のところその雰囲気もなくて」
「3人が保健室に来たタイミングは? みんな朝来たんですか?」
「それもバラバラなのよ。ひとりはいま言った、朝来た子ね。次はお昼休み。彼氏さんの付き添いでふたりで来て。3人目は4限の後。その子は4限が体育だったから、その時に切ったのかもって言ってたけど。でも、ねえ……」
「タイミングがバラバラで、みんな怪我した場所を覚えてない……。それは確かに妙な話ですね。それで、自分でやったかも、と」
「そう、もしかしたら言いたくない事情があるのかもと思って……。ほら、新学期になってもう1週間経ったでしょ。そろそろクラスに馴染めないとか、そういうのが出始める時期かと思って。たまたまかもしれないけど、怪我をしたのが2、3年生だけだっていうのも、なんだか気になって。あるいは、そういう、『なにか唱えながら太ももを切ると願いが叶う』みたいな、おまじないみたいなのが流行ってるんじゃないかって考えたりしちゃってね」
「うーん……」
下を向いて今度はサトルが唸る。和泉先生の心配も、まあわかる。彼女は養護教諭なのだからなおさらだろう。けれどこの話だけで自傷行為か判断するのは、どう考えたって早計だ。
「どしたんサトル」
「いえ……和泉先生の話だけではなんとも言いかねるなと思って。やっぱり、生徒から直接話を聞きたいですね。もしかしたら生徒同士の方が話しやすいかもしれませんし」
「そうだなー、俺もそう思うわ。ってワケで、イズミちゃんセンセ。その生徒のクラスと名前、教えてよ」
ジンゴの言葉にカイは大慌てで筆記用具を取り出した。会話には1年の自分が入る隙はない。せめてしっかり名前をメモして先輩の役に立とうと思ったのだが。
「……ごめんなさい。それはできないわ」
胸の前で両手を握り、和泉は首を振った。
3人の誰も予想していなかったその言葉に、真っ先に反応したのはジンゴだった。
「え、なんで。頼むよ~和泉ちゃんセンセ」
「……
フレンドリーに顔の前で手を合わせるジンゴにも、理性的にかしこまって頼むサトルにも、和泉は同じように首を振る。そして背筋を伸ばして次に口を開いたときには――可愛らしい顔立ちは変わらないけれど――毅然とした教師の顔だった。
「これはプライバシーに関わる問題です。それに、
それからふっと表情をやわらげ、
「ごめんなさい、だったら最初からこんな相談するなって話よね……。はあ、私もまだまだだわ……」
「……うーん。イズミちゃん、タイム」
ジンゴは両手でジェスチャーをして、椅子を引いて机の高さまで腰を屈めた。同じく腰を屈めたサトルとコソコソと話し合う。
「(どうします、ジンゴさん。そういうことなら、これ以上話を進めなくても……)」
「(馬っ鹿お前。この後何人相談来るかわかんねぇんだぞ。獲れるときに実績獲らねぇと即廃部だわ。それに教師からの相談解決したらポイント高いしな、逃したくねぇわ)」
「(僕は廃部になってもいいですけど……。ていうか相談相手が誰でもポイント変わらなくないですか)」
「(だめ。俺の目が黒いうちは廃部は許しません。そしてポイントというのは部活動管理委員《ブカン》の活動ポイントではない、他の教師からの心理ポイントな?)」
「(意外とそういうの考えますよね、ジンゴさん)」
「(政治の仁吾ですから。それはともかく、どうやってイズミちゃんの口を割らせるか……。明日俺が保健室行って来室名簿盗み見るのが早ぇかな)」
先輩ふたりがひそひそ話をしている間、カイと和泉の間には微妙な空気が流れていた。
入部を決めてから知ったが、サトル先輩とジンゴ先輩は高校に入る前からの仲らしい。なんでも家が近くて家族ぐるみの付き合いをしてるとか。以前ジンゴ先輩が部員が増えないことを嘆いていたが、ふたりの身内感が強すぎるせいもあるだろうなと、正直思う。
「あー、イズミ先生」
「神宮くん、よね。あなたも名前が知りたい?」
「いえ、その、えーっと」
(ヤベ、声かけちゃった。ワッ、かわいい。じゃなくて、どうしよ、せめてなんか関係あることを……)
雰囲気に耐えきれなくなって声を掛けたものの、話題は何も決まっていない。ついでに言うとカイは女子との会話に慣れていなかった。相手が年上の可愛らしい女性なら、なおさら。あたふたと口から出たのは、
「その、怪我してた場所ってどこでしたっけ」
(ってコレ、最初に言ってたじゃん! ああもう、もっとマシな質問あるだろ~!)
思わず頭を抱えたが、和泉先生は随分好意的に解釈してくれた。カイに見える位置に椅子を引っ張って座りなおし、
「具体的な場所はね、ここ、この辺り。みんな右足のこの辺に傷があったのよ」
白衣をめくり、自分の太ももの3分の1あたりを指し示した。
「……膝上10センチ強。そこまでスカート折ってたら校則違反だな」
生活指導委員長であるジンゴの低い声に、彼女のスカートスーツから伸びる脚に釘付けだったカイは我に返った。
そして思い出す。
女子の脚を、今朝も見たなと。
「あのぅ、その怪我した女子生徒のひとりって、
カイの押さえていても大きい声に。
「え、あたし? 呼んだ?」
パーテーションの向こうから、茶色いおさげを揺らして女子生徒が顔を覗かせた。