「間違っても、攻撃しないでくれよ」
ラトゥンは、ギプスにそう念をおしてから、その姿を変えた。
一回り逞しい体躯の悪魔の姿に。
見慣れたエキナは平然としているが、初見のギプスは目を見開き、全体像は初めてのクワンもまた絶句していた。
「そいつが変身か……!」
事前にラトゥンが伝えた通り、悪魔の姿を魔法か何かの変身とギプスは解釈したようだった。
「よくできてるのぅ。悪魔か。……はえぇ」
感嘆の声を上げるギプス。クワンは呆れも露わな視線を、ドワーフに投げかける。悪魔の姿こそ、ラトゥンの真の姿と思っているからだ。
そんな視線など知らず、ギプスは興味深げに暴食姿のラトゥンの背中をポンポンと叩き、感触を確かめる。
「ほぅ。……それで、ラトゥン。変身は結構じゃが、それでどう番人に立ち向かうつもりなんじゃ? 言ってはなんじゃが、そのくらいの変身でどうにかなるもんでもないと思うんじゃが……」
『だから奥の手を使うのさ』
声まで悪魔になっているラトゥンは答える。ギプスは眉をひそめる。
「奥の手? その変身が奥の手じゃないのか?」
『その一部というやつだ。姿を変えただけで勝てるとは思っていない』
地響きがする。ラトゥンが何かした――ではなく、番人が超巨大ゴーレムを倒したのだ。番人の手には、大きく輝く宝石のようなものがあった。
「ゴーレムコアかっ!?」
ギプスが目をみはり、エキナは言った。
「岩の中から引きずり出したんですね」
「どうするつもりなんじゃ……?」
番人は、宝石を口に運ぶと、それを噛み砕いた。肉を食うのとはわけが違う。しかしバリバリと砕いて飲み込むと、コアを失った超巨大ゴーレムは二度と起き上がることはなかった。
連結も解けて、岩だけが無数に散らばっている。
ゴーレムを倒した番人は、ラトゥンたちを見た。次は、お前たちだと言わんばかりに。
『説明している余裕はなさそうだ』
ラトゥンは腕をブンブン振り、肩の可動を確かめながら前に出る。体の作りや動きは、しっかり見させてもらった。
『ここからは俺がやる。俺がやられた時に備えて、逃げる準備だけはしておいてくれ』
「ラトゥン……!」
「死ぬ気じゃあるまいな!?」
エキナ、そしてギプスが感情を乗せる。悪魔は手をヒラヒラさせた。
『まさか。俺は自分の願いを果たすまで死ぬつもりはない』
暴食を引き離し、元の人間に戻るために。
――思えば、ここまで一緒だったんだなぁ。
最上級悪魔の力。しかしその精神に乗っ取られるかもしれないと、恐れもあった。
――俺が、こいつと戦うのは、これで最後になるんだ。
魔女に会って、その願いを叶えてもらえたら。暴食が分離したら、元の人間になる。
『……』
雑念が過る。番人が、暴食の前進に合わせて、ゆっくりと近づいてくる。テリトリーに入った者への怒りを発散させながら。悪魔となったラトゥンは、そのまき散らされている気配を全身に感じた。
――余計なことは考えない。
ラトゥン――暴食は気合いを入れた。
『さあ、やろうぜ。番人よ。……タイマンだ!』
・ ・ ・
全高約40メートルと、約2メートルでは、体格差が半端ない。
人間の感覚からすれば初めから相手にならないと思える。しかし体が小さいほうが弱いと決めつけるのは、自然界をわかっていない。
世の中には自分の体重の数十倍のものを持ち上げるパワーを持つ昆虫がいたり、乗り物より早く走れる獸がいたりと、見た目だけで判断はできないのだ。
それが悪魔であるなら、なおのことである。
どちらが先に攻撃したか。
リーチのある番人? 魔法が使える暴食?
その一撃は、番人の前足――腕から繰り出された。振り下ろされた拳を暴食は避けて、その常人離れした脚力でジャンプ。番人の顔面に迫った。
まず顔面に一発――を入れる前に、番人は拳を返して、虫をはたき落とすようにぶん回した。
結果、暴食は雪原に墜落する。あの大きさ、人間ならば即死確実な一撃だった。無残に体中の骨が砕かれ、内臓は潰れ、、血が噴き出す。
目撃した者からすれば、そんな最期がちらつく攻撃だったが、叩き落とされた暴食は、五体満足な姿を見せて立ち上がった。
『勢いは止められないが、ダメージはなしだ』
暴食は直前に展開した防御魔法が、番人の直撃を回避したのを確かめた。防御魔法を駆使すれば、ほぼ無傷といってよい。
『あとは、攻撃を入れるだけだ』
吹っ飛ばされた分、暴食は走って距離を詰める。サイズ差が半端ないせいで、飛ばされると戻るまでが一苦労だ。
しかし番人もまた、向かってくる暴食を迎え撃つべく前に出た。完全に息の根を止めるまで無視することはないだろう。
番人は、ゴーレム戦で見せた全身ダイブをかましてきた。打撃で吹っ飛ばした程度では暴食は死なないと見て、潰しにかかったのかもしれない。
暴食は垂直に跳躍。ボディプレスからは逃れたが、飛び込んできた番人の体から逃れ切れず接触――
ぶつかって跳ね飛ばされる寸前に、逆に暴食は番人の顔面にパンチを叩き込んだ。番人の頭が後ろへわずかに動いたが、体当たりの勢いを止めることはなく、暴食の小さな体は巻き込まれ、胴体から落ちた番人の勢いで、またも吹っ飛ばされた。
しかし、今度はきちんと二本の足で着地する暴食である。
『この体でなかったら、今のでも戦闘不能か死んでいたか』
番人が起き上がろうとする。最上級悪魔の渾身のパンチでも、番人にとっては大した打撃にならなかったようだ。
暴食は、起き上がる隙に再度距離を詰めた。
『まだまだ序の口ってか? それは俺も同じだ』
左手から暗黒剣を取り出す。
『お前を倒すのを、諦める気はないんでな。仕掛けさせてもらうぞ!』
正直、パトリの町の地下で戦ったモーンストルムのように、斬って部位を切断できるような気がしない。手足は太く、そして頑丈そのもので、切れ込みをいれるのが精々であろう。
だが、やってみなければわからない。それが世の中というものだ。
そして彼は、諦めの悪い男であった。