教会地下アジト、その礼拝堂もとい食堂に、白煙が満ちた。
「げほっ! 何なんだこれは!?」
「おい、火事かっ!?」
「火を消せっ!」
夕食時に起きた突然の煙騒動。ここが地下であることを考えれば、万が一火事であれば、大惨事である。
だが逆に何が燃えているのか――そこを不審に思っても、侵入者かもしれない、とまでは頭が働かなかった。あくまで火事というところまでしか、思い至らなかったのである。
周りは白煙に包まれ、隣にいる男すらうっすらとしか見えない。そこまで視界が悪いと、迂闊に動けなくもので、声は出せども火元の確認に動き、騒ぎを収めようという者は、極少数だった。
そして――
「あ――」
「!?」
一瞬聞こえた変な声に反応したのもつかの間、白煙の中に黄色く光る目のようなものが見えた次の瞬間、ヒュンと何かが風を切る音と共に、その盗賊の体は両断された。
ドサリ、と重いものが落ちて、椅子が倒れ、机が揺れる。
「おい、気をつけろ!」
耳障りな椅子の音。聞いていた盗賊の何人かは、この視界不良の中、無理に移動して椅子などにぶつかったのだろうと思った。まさか仲間が死体となって崩れ落ちているとは、想像だにできなかった。
そうこうしているうちに、一人、また一人と命を絶たれていく。
ゆっくりと白煙を進む影。姿こそ独立傭兵姿のラトゥンだが、眼は悪魔のそれで爛々と輝いている。この煙の中でも、盗賊の生命を感じ取り、その魂を暗黒剣で狩っていく。
「おいっ! これは死体――」
それ以上を言う前に、口に刃が入り、そのまま頭を貫かれた。
「誰か、火元へ行ったのか? くそっ、いつまで煙ってるんだ」
咳き込む声が聞こえる。煙への悪態も、次第に少なくなっていくが、それが二度と喋れない状態になったからと思う者はいなかった。一頻り文句を言い、しかしそれで事態が好転しないことを理解してきたからだった。
だが、食堂で何が起きているか把握できずとも、何人かは様子がおかしいことに気づき出す。時々聞こえる意味不明な呻きや、重い何かが落ちたりする音が、戦場でよく聞こえるそれを連想した者が出てきたのだ。ヒュンと風を切る音など、まるで剣を力一杯振るった時のそれ――
「おうっ!?」
また一人、背中から斜めに体を裂かれる盗賊。
「――おい、これはいったい何の煙だ!?」
食堂に何人かの盗賊がやってきた。煙が他の場所まで伸びてきて、尋常ではないと思い、様子を見にきたのだ。
「お前ら、どうなっているんだ? 誰かやったのか?」
「へ、へい、ボス!」
返事はするが、盗賊たちは、いまだに原因特定もできていない……。
・ ・ ・
新たにきた者たちの中に、ラー・ユガーの首領とされているギラニールはいた。屈強な体躯。頭頂部の髪が薄くなっているが、髭はそれに反してもっさりと伸ばしている。
ギラニールは不機嫌であった。煙を払いつつ眉間にしわを寄せていると、隣にいた痩身の優男が淡々と言った。
「旦那、血の臭いがする……」
「何……?」
それだけで、この異常な煙も含めて警戒感が高まる。
「襲撃か――」
その瞬間、ギラニールは腰の片手斧を素早く抜いた。ガキンと金属音が響く。黒い剣が煙の中から現れ、ラー・ユガーの首領を狙ったのだ。
「ボス!?」
彼に付き従っていた盗賊――団の幹部たちは目を見開く。
「敵だ! ビエント! 煙を払え! こいつは火事じゃねえ!」
ギラニールの怒号じみた声と共に、幹部の一人が風魔法を使い、一面を払った。
白煙は一気に消え失せ――否、なおもモクモクと噴き出し続け、幹部たちに浴びせられた。
「げほっ、くそっ!!」
たまらず視界が開けている方へ退避する男たち。ギラニールは、煙の中から自分と武器を合わせている戦士の姿が見え、ニヤリとした。
「ほう、てめえか、ドーハス商会の護衛に現れた助っ人って奴は? 片手から煙を出しながら戦うたぁ、おかしな野郎だ!」
ラトゥンは暗黒剣を、ギラニールの斧とぶつける一方で、左腕からは白煙を吐き出し続ける。互いに姿は見えるが、それもまた少しすれば煙に隠れてしまうだろう。
だがその前に、食堂に無数に散らばる盗賊たちの死体を、ギラニールや幹部たちは見逃さなかった。
「あれだけの数を、煙に紛れて一人で殺ったというのか!」
「……だったら?」
ラトゥンは、口元を歪めると一度引いて、ギラニールに直接、左手の煙をぶつけた。
「お前ら、やっちまえ!!」
幹部たちが動く。
長身の魔術師ビエントが、両腕を突き出し、呪文を詠唱。風を吹かして、ギラニールにかかる煙を吹き飛ばす。その間に、二人の盗賊幹部が、ラトゥンの左右から挟み込むように飛び込んだ。
一人は両手にダガーを持つ茶髪の凶相男。もう一人は短槍を構えた青髪に隻眼の男。ラトゥンは、左手を左へスライドさせて、煙を槍使いにぶつけた。
ちょうど左側だったこともあるが、まずリーチの長い槍使いの足を怯ませる。室内でも槍を使うのなら、それなりの心得があるはずだ。
文字通り煙に巻いて牽制する間に、さらに肉薄してきたダガー持ちの幹部をラトゥンは迎え撃つ。
「キシェェェー!」
奇声をあげてビビらせるタイプか。しかし悪魔などのそれに比べたら可愛いもので、ラトゥンは構わず暗黒剣で、幹部の男を上下に分断した。リーチ差は如何ともしがたい。
「てめぇ!」
ギラニールが吹き消えた煙を突き抜けて、斧を振り下ろしてくる。ラトゥンは、足元の丸椅子を足で引っかけ、ギラニールへ滑らせた。
力一杯振りかぶり、駆けてくるという姿勢だったギラニールには予想外の攻撃だった。滑ってきた椅子に足を引っかけ、見事にすっ転んでしまう。
「ボ、ボス……!」
あまりに絵に描いたような転びっぷりに、目撃した幹部が一瞬噴き出しそうになる。
その間にラトゥンは動いて、煙で怯み、止まっていた槍使いの距離を詰める。片目の男は素早く突きを放った。
腐っても幹部。しかし僅かに遅かった。穂先の突きより先に懐に踏み込んだラトゥンは、またもや一太刀で槍使いを仕留める。
また一人倒し、だがその視線は次へと動いている。左手をビエントと呼ばれた魔術師に向け、煙ではなく、電撃が走らせた。
ライトニングスピアの魔法。ビエントは咄嗟にそれを回避するが、避けきれず右肩を被弾した。
「ええーい、くそぅ!」
顔面から床にぶつかったギラニールが立ち上がる。
「旦那!」
痩身の優男が叫ぶ。ラトゥンはライトニングスピアを放ちながら、食堂のテーブルの向こう側へ回り込むと、今度はテーブルを蹴飛ばす。
それはギラニールに迫るが、盗賊団のボスは飛んできた食べかけの乗る食器を無視し、テーブルを斧で真横に一閃、切り裂いた。
視界を覆っていたテーブルが消えた時、ギラニールは自身に迫る黒い剣先を目で捉えた。そしてそれが眉間を突き、頭蓋を貫いた。
「ボス!?」
ビエントが悲鳴じみた声を上げた。首領の最期だった。
「よくも!」
魔術師が腕を首領の仇に向けて、詠唱――するより早く、ラトゥンの左手から電撃が走るほうが早かった。
稲妻の槍に貫かれて、ビエントは果てた。