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第42話、町に戻って


 バウークの町の朝は早い。

 ラトゥンが町を囲む外壁に到着した時には、すでに門は開いていた。門番のドワーフ兵は驚いた。


「あれ? いつ外に出られたんですか?」


 ゴブリン集団撃退の立役者として、ラトゥンはすっかり顔が売れていた。これには苦笑いである。


「さて、よく覚えていないんだ。……昨日はしこたま飲んだからな。外壁に上がったところまでは覚えているんだが」

「落ちたんですか!?」

「飛び降りたのかもしれん。覚えていない」


 そんなやりとりも、特に不審がられることなく、ドワーフ兵はラトゥンを町に通した。どうやら日常を取り戻したらしい町は、出勤する人間やドワーフの姿を見かける。

 記憶を頼りに、ギプスの工房に戻れば、エキナとギプスが、建物の前に立って待っていた。


「おはようございます、お兄様」


 ニッコリ顔のエキナだが、微妙に圧を感じた。


「朝帰りですか?」


 古来より、朝帰りには二つの意味がある。家以外で泊まって朝に帰ってくるという、そのままの意味と、異性の家や、夜の店で遊んで帰ってくるという意味だ。


 普通なら前者なのだが、妙にニッコニコなエキナの態度に、何となく後者の意味を問われたのではないかとラトゥンは感じ取った。

 昨日の今日。ゴブリン退治で勇名を馳せたから、異性から誘われたとでも思ったのかもしれない。


「……まあ、悪魔とデートしていた」


 ラトゥンは、それで察してくれると思った。案の定、『あぁー』という顔をするエキナと、まったく意味がわからず肩をすくめるギプスである。


「悪魔? どういうことじゃ?」

「お兄様は、悪魔っコが趣味なんですよ」

「悪魔っ娘? 小悪魔めいた娘が好みなのか?」


 変な癖をあてないでほしい――しかしラトゥンの願いは口から出なかった。一応エキナはぼかしてくれたわけで、ここで変に否定しては、かえって説明を求められる。それは不審を煽る結果になりかねない。


 ――この程度の誤解は、恥のうちには入らないさ。


 結局、それ以上に大事にはならなかった。ラトゥンは工房の休憩室に入ると、昼まででぐっすり眠った。



  ・  ・  ・



 グレゴリオ山脈に行く、ということで、ラトゥンはギプスに尋ねる。


「何か事前に用意していった物はあるか?」


 なにぶん、初めて向かう土地だ。過酷な自然環境であるとエキナが噂を聞いている場所でもあるので、事前準備は重要といえる。現地についてから、あれがいる、これがない、では話にならないのだ。


「そうじゃな。あそこは、天候がめまぐるしく激変するからのぅ……。暑いのはなんとでもなるが、寒いのは困るから、防寒着はあったほうがいいぞ」

「防寒着……」

「季節じゃない、と思うじゃろ? あそこは魔女のテリトリーじゃからな。おかしな場所じゃよ」


 経験者は語るのである。こういう情報を軽視すると痛い目にあうというのは、ハンター時代の経験である。

 他に必要になりそうな装備も聞き出した後、ラトゥンは朝食がてらエキナと買い物に出た。


「町は平和そのものですね」


 エキナは、行き交う人々を見やる。時々、こちらに気づいて手を振る住人に、手を振り返している。


「昨日、ゴブリンの集団を撃退できなかったら、こうはならなかったんですよね」


 よかったです、という彼女は、かつての故郷を思い出しているのかもしれない。滅びてしまった故郷。それを思うと、ラトゥンもまた切なくなるが、顔には出さないようにした。


「そういえば、昨晩、悪魔とお付き合いしていたという話でしたけど、詳しく聞いてもいいですか?」


 先ほどはギプスがいて話せなかったが、今ならいいだろうとエキナが聞いてきた。周囲で聞き耳を立てているような者はいないか確かめつつ、ラトゥンは頷いた。


「ゴブリン集団の裏に、聖教会が絡んでいるという話はしたか? それで神殿騎士団が駆けつけることになっていたから、そこにご挨拶してきたんだ」

「一人で、ですか?」

「……」


 それは愚問ではないだろうか。ラトゥンがチラと一瞥すれば、エキナは怖い顔をしていた。これは、単独行動に対する非難だろうか。

 昔、まだラトだった頃、道場で修行していた彼女が、よく門下生たちの勝手な行動に対して注意していた時によく見せた顔だ。エキナは子供の頃から模範的で、真面目なイイ子だった。


「話を続けてもいいか?」

「どうぞ」


 そこからラトゥンは、神殿騎士団の野営地に潜り込み、そこにいた神殿騎士を倒した。一人見逃したが、そこは説明しなくてもいいだろう。何人片付けたとか、いちいち数えてはいないが、エキナとて、そういう生々しい話を聞きたいわけではない。


「――まあ、そんなところだ」

「……」

「言いたいことがあるなら、聞くが?」


 エキナが、ムッとした表情なのは、経験上ラトゥンとしては気分がよくない。お小言をくらいたくなければ無視してもいいのだが、彼女は言わない代わりに、かなりの間、表情が曇ったままだ。ここは敢えて聞いたほうが、後腐れなくて済む。


「言ってもいいんですか?」

「もちろん」

「そんな危ないところに行くなら、一言声をかけてほしかったです」


 拗ねたようにエキナは言うのだ。そうだろうとも。


「言ったら君は、ついてきただろう?」

「当然です。わたしはあなたと主従の関係を結んでいるんですから」


 主が危険な場所に行くなら、自分も――と、彼女は言うのである。


「わたしが信用できませんか?」

「信用以前に、身バレを防ぎたかったからな」


 ラトゥンは真顔で返した。


「せっかく独立傭兵の姿をしているのに、その姿で神殿騎士団に目をつけられたら、また格好を変えないといけなくなるだろう?」

「それは……、そうです、ええ」


 エキナは自身の黒いドレスを見下ろした。


「この姿、結構気にいっているので……。そう考えると、教会に乗り込む時も何か別衣装がほしいですね――」


 彼女の感情が、いつものそれに戻った。彼女なりに納得できる理由を聞かされて、矛を収めたのだ。


「ねえ、ラトゥン。どういうのがいいですか?」


 まさか問われるとは思わなかったから、ラトゥンは少し考えてしまう。


「ご自由に……と言いたいところだが、顔は隠したほうがいいだろうな」


 手配される上で、名前、そして人相が重要なウェイトを占める。顔さえバレなければ、案外どうにでもなるものだ。

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