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第40話、銀の悪魔、喰らう


 神殿騎士アルギューロスは、自らを銀の悪魔と名乗った。


 暴食――ラトゥンは、伸ばした左腕が、真っ黒に焼け焦げていることに気づき、舌打ちがこぼれた。

 いつもように喰らうと思われた悪魔の腕が、猛烈な熱で火傷をし、力が入らなかった。上級悪魔の体でこれなのだから、銀の悪魔が自身の体に持っていた熱は、尋常ではない。人間だったら、左腕が溶け落ちていたに違いない。


 冷や汗が出る。いや、これは痛みのせいだけではない。辺りの空気も熱気をはらんで、気温をあげている。


「気づいたかね?」


 アルギューロスは片手を上げた。


「私の体から発せられる熱を。銀というのは、実に熱を通しやすくてだな――!」


 背中の翼をひとかき、あっという間に暴食に迫る。


「その銀を溶かすほどの熱を私は持っている! わかるか?」


 暴食は飛び退く。アルギューロスの剣が炎のように波打つ。


「貴様が私を喰らおうとした時、我が熱が貴様の腕を逆に取り込み、溶かしてしまうのだ!」


 高速移動による連続した攻撃。後退する暴食だが、その動きにしつこく追いすがる。

 剣と剣がぶつかる。


「よく防いだ」


 アルギューロスは感嘆する。半分飛行している高速戦闘。この速度についてこられる人間はそうはいない。

 瞬間移動じみた空中機動で、暴食に肉薄する銀の悪魔。しかし暴食もまた、最低限の動きで、繰り出される斬撃を躱し、弾く。


 否、動きを最低限に抑えないと、迎撃が間に合わないのだ。その動作をよどみなくこなせるラトゥンもまた、ある熟達の技を見せる。

 しかし、防いでいるだけでは、戦いには勝てない。相手を攻撃し、討たなければ、いつまで経っても守勢なのだ。


 それはアルギューロスもわかっていて、だからこそ余裕の笑みを浮かべる。冷静でありだが暴食の守りを崩そうと仕掛けてくる。


「かの暴食の左腕を、銀でコーティングするのも一興か。何はともあれ、よくぞ私の前に現れてくれた!」

『お喋りが過ぎるぜ!』


 暴食は暗黒剣で、アルギューロスの剣を弾く。 

 手の届く範囲は、暴食の距離だ。しかし、アルギューロスはその距離を敢えて狙って詰めていた。

 彼の言う通り、迂闊に暴食の腕を伸ばせば、銀の体で受け止め、捕らえ、そして逆に食い千切るつもりなのだ。


『野郎とベタベタする趣味はない!』


 あまりに近づくのでとっさに蹴りが出た。暴食の足がアルギューロスの顔面に直撃したが、またもグニョリと曲がるような手応え。次の瞬間には、熱せられた金属を踏んだそれの痛みが神経を突き抜けた。


『くそっ!』

「手詰まりかね、暴食っ!」


 アルギューロスは左手をかざすと、稲妻をまとった。魔法だ。


「サンダー!」


 一言だった。放たれた電撃が暴食に直撃する。神経が焼ける。感覚が死ぬ――!


「銀というのは電気をよく通すのだ」


 アルギューロスは暴食の体に抱きついた。外皮が焼ける。ドロリと溶けた銀が暴食に触れ、広がっていく。


「さあ、我が熱せられた銀で焼け死ぬがよい」

『グワアアアアァァ――!』


 神経が麻痺していたのは数秒。悪魔の力で回復した神経は、アルギューロスの銀の溶けるような熱を伝え、暴食に激痛を与えた。


 あまりの痛みに、ラトゥンの意識が飛ぶ。これは死んだと思った。圧倒的な波が押し寄せてきて、流される。

 その波に呑まれた時、ラトゥンは時の海を漂った。そして底に蠢く黒いナニかに触れた。光が戻った。



  ・  ・  ・



 この時まで、アルギューロスは勝利を確信していた。

 上級悪魔である『銀』である。それより上である七大悪魔には格で劣るのは仕方がないが、今の暴食は、七大悪魔としての本領とはほど遠い。いまだ取り憑いた人間を呑み込めていない時点で、それは明らかだ。


 つまり、勝機はある。

 この状態で、暴食の今の肉体を滅ぼせば、その力を取り込むことができる。

 そうなれば、アルギューロスの格は上がり、聖教会の悪魔でも最上級幹部の仲間入りもできよう。より自由に権力を振るうこともできる。自分は、神殿騎士団の一部隊長に収まる器ではない。


 気分がよかった。自身の出世と希望に満ちた未来の想像。どこか恍惚さえさせてくる。だが、そんな思いがよぎったのもつかの間、急に体が冷たくなるのを感じた。


 強い不安感。想定外のことが起きた時、幸福を感じていた感情が、塵のように消え去り、現実に引き戻される。

 アルギューロスは違和感に、思わず暴食を見た。


 ゾクリ、と背筋が凍った。

 いつの間にかその悪魔は笑っていた。

 先ほどまで響かせていた絶叫はもはやない。

 信じられないことに、暴食の体を取り込もうとしていた銀が、逆に暴食の体に飲み込まれていくではないか!


「なっ――!?」


 まるでその体自体が底なしの穴のようだった。銀を変形させるほどの高熱が吸い取られ、銀そのものまで深淵へと飲み込まれていく。


 何が起きているのかわからなかった。アルギューロスは、予想していなかった事態にパニックになる。

 そしてようやくそれに思い至る。暴食は触れているあらゆるものを喰らう。

 それは肉体とか金属だとか、あらゆる物体もそうだが、熱や光といった直接触れても、持つことができないものも対象となる。


 つまり、触れている全てのもの――銀の悪魔の電気だろうが熱だろうが、暴食は喰らう。本領を発揮した暴食に直接触れるなど、自殺行為なのだ。


「ば、馬鹿なぁぁっ!!?」


 アルギューロスは絶叫した。

 すでにその体は、悪魔に取り込まれつつある。しかも止められない。手で押しても、その手がそのまま飲み込まれていく始末。


 泥沼だ。もがけばもがくほど、深く体が沈んでいく。それが脳裏によぎったところで、もはやアルギューロスに為す術はない。


「力を取り戻していない、はず――」


 銀の悪魔は、暴食に呑み込まれた。



  ・  ・  ・



 気づいた時には、全てが終わっていた。

 暴食――ラトゥンは、瞬きを繰り返す。東の地平線に陽が昇ろうとしている。闇は光に溶けて、やがて朝を迎える。

 神殿騎士団の野営地は、もはや焼け野原となっていた。


 天幕は全て焼け焦げ、柱は倒れて良好な視界を提供する。バラバラになった自動人形兵と、焼け焦げた武装神官だったもの――それは銀の悪魔の熱気でやられたのか、それとも暴食の放った爆裂魔法なのかは、わからない。


 神殿騎士――銀の悪魔は倒した。暴食が呑み込んだのだ。野営地で動く者はない。


「戻るか……」


 ラトゥンは首を横に振る。

 全てが燃え、聖教会の悪事に関わる何かも残ってはいないだろう。とりあえずは、悪魔が率いていた神殿騎士団の一部隊を壊滅させたことでよしとしたい。


「……」


 しかしラトゥンの胸中は複雑だった。倒した銀の悪魔の言葉が引っかかっていた。


 ――まだ暴食に喰われていない。


 改めて言われて、ラトゥンは考えてしまう。体は悪魔になっても、心は人間のままのつもりだった。アルギューロスの言葉からすると、いずれラトゥンの――ラトの心は暴食に喰われると思わせる。


 それが悪魔の囁く嘘の可能性もある。だが、自分の身に起きたこと、新たな力に目覚めたことは、悪魔の戯れ言と流すには重すぎた。


 ――俺は、悪魔に喰われるのか……?


 このまま人としていられなくなる時が来るかもしれない。ラトゥンの心に漫然と不安が込み上げるのだった。

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