「ひっ、ひゃ――」
上げかけた悲鳴は、伸びてきた黒い腕に掴まれ、遮られた。
悪魔はしゃがんだままなのに、腕が異様に伸び、そして武装神官を引き寄せる。だがそこまでだった。神官は、そのまま頭から腕に食われて、その命を失った。
悪魔――暴食は、すでに殺害していた神殿騎士――バーシという男も左腕に取り込むと、のっそりと動き出す。
その体が変わり、今しがた取り込んだ武装神官の姿になった。
神殿騎士団のキャンプは、ざわついている。寝ている者は多いが、起きている者の動きは慌ただしい。
キャンプの照明とは別の光――火事で一角が明るくなっている。思いの外、消火に手間取っているらしい。
戦闘員に化けた暴食は、ほくそ笑んだ。囮としてはよく働いている。
「おい! そこで何をしている!」
駆け足だった武装神官が、こちらに気づき声を荒げた。
「のんびり歩いている暇があるなら、今すぐ消火に協力しろ!」
「バーシ様の伝令です!」
化けている暴食は、背筋を伸ばして答えた。
「他の神殿騎士様を探しているのですが、この近くにいるのは……」
「ん? バーシ様の?」
呼び止めた武装神官は、真顔になって考え込む。
「エルゲ様じゃないのか? さっき呼びに行った者が――ほら、そちらだ」
その武装神官は、騎士用の天幕から出てきた茶髪の神殿騎士を指し示すと、消火活動に加わるためか走り去った。
神殿騎士とそうでないかは服装を見れば、一目でわかる。
「まったく、ようやく寝たところだったんだぞ」
不満を露わにしているのは茶髪の神殿騎士エルゲ。小悪党じみた人相は、神殿騎士の鎧をまとっていなければ、とても教会の人間には見えなかった。
呼びにきたと武装神官が、小さく頭を下げる。
「申し訳ありません」
「たかだかボヤ程度で起こすことはないんだ……って、おわ!? 結構激しく燃えてんじゃね!? 大丈夫なのかよ?」
「アイガー様が消火活動をなさっておりますが――」
「ケッ、あいつにそんな器用な真似ができるんかね」
エルゲは、指揮官用天幕に向かう道すがら、自分をじっと見ている武装神官がいるのに気づいた。
「おい、何だ? オレは寝起きで機嫌がよくないんだ。ジロジロ見てんじゃねぇよ」
「バーシ様からの伝言がありまして」
その武装神官は、まったく動じた様子もなく言った。瞬間、エルゲは奇妙な違和感を覚える。それが何なのかはっきりわからないが。
「バーシ? そういやあいつはどうした? まだ寝てるのか?」
「いえ、もう天幕に向かわれました」
「あ、そ。珍しい。オレ以上に文句タラタラだったろ?」
ニヤリとしながらエルゲは歩き出す。
「そういや、伝言って――」
そのまま武装神官の前を通過すると、後ろで変な声がした。
「うっ――」
「あ? どうした?」
振り返ると、エルゲを呼びにきた伝令が首から上を失い倒れる。バーシの伝言を預かっているという武装神官の手には黒光りする剣。
「ちょ、おま――」
その武装神官が思い切り振り返り――エルゲに剣が迫った。とっさにエルゲは腰の剣を抜こうとして――間に合わなかった。
神殿騎士エルゲは、その首を刎ねられ、絶命した。
「……」
これで二人――
・ ・ ・
「ズヴァーチ」
アルギューロスは、副隊長に告げる。
「……『奴』が、紛れ込んでいるぞ」
部下である神殿騎士――エルゲの首なし死体を見下ろしていたアルギューロスは続けた。
「火事も奴の仕業だ」
ようやく鎮火した火事。武装神官たちが現場検証と調査をする中、アルギューロスはズヴァーチ、そして消火指揮をとっていたアイガーといた。
「バーシが見当たりません。伝令を命じた兵も行方不明です」
「やられたのだろう。……暴食に」
アルギューロスは、ズヴァーチに合図して、周囲の者たちから距離をとった。その間に、アイガーは同僚の死体を運ぶように指示を出す。
「今回のゴブリン集団をやったのも、暴食の仕業だろう」
「はい」
ズヴァーチは頷いた。バウークの町を襲撃予定だったゴブリン集団が壊滅し、それを操っていた悪魔の所在不明――その原因は、暴食がやったのではないかと最初に考えたのはズヴァーチ副隊長である。
「奴は、我ら神殿騎士団と戦うつもりなのでしょうな」
「ただ狩られるだけでは終わらない、ということか」
アルギューロスの目が冷たく光る。
「悪魔となったのに、同じ悪魔に楯突くか」
「人間だった頃の意思が、強く残っているのかもしれません」
ズヴァーチは何の感情も込めずに言った。
「人間の意識さえ飲み込めない暴食か……。ずいぶんと墜ちたものだ」
「元より暴食は、我々には非協力的でした」
「だからこそ、我らもあの悪魔を追い落とし、その力を手中に収めんとした。……まあ、そう考えるなら、奴が我らと敵対するのも仕方なし、か」
「先に仕掛けたのは聖教会ですからな」
ズヴァーチが遠い目になる。
「人間でさえ、憎み合い、殺し合う。我ら悪魔として、同じこと」
「臭い人間たちと一緒にしてもらいたくはないのだがね、ズヴァーチ」
アルギューロスの目は笑っていなかった。
「エルゲにバーシ。育てれば、悪魔に覚醒できたものを……。惜しいことをした」
「愚かな人間など、掃いて捨てるほどおりましょう。また新しい人材が、勝手にやってくる。……無駄に数だけ多いですからな」
「才能がある者は、それほど多くないのだよ、ズヴァーチ」
アルギューロスは視線を転じた。
「さて、さしあたり、これからだ。暴食が潜んでいる。こいつを仕留めねばなるまい」
問題は、どうやって隠れている暴食を見つけるか。
「こちらは三人。あちらは暴食のみ。奴が各個撃破を狙っているならば、単独行動をすれば釣れるだろうが……」
「どちらを襲ってくるか、わからない」
ズヴァーチは答えた。
「囮に食いつけばよいのですが、それを看破し、敢えて二人のほうを襲う可能性もあります」
「いっそ今すぐ目の前に現れてくれれば――」
「隊長! アルギューロス様! 大変です!」
武装神官の一人が血相を変えて駆けてきた。その慌てぶりは尋常ではない。
「どうした? 暴食が現れたのか?」
「い、いえ。バーシ様と思しき騎士の死体が見つかりました」
「あぁ……」
予想はついていたが、いざそれを聞かされると、何も感じないわけではなかった。
「やはり、やられていたか」
「どうやって殺されていたか?」
ズヴァーチが問えば、報告に来た武装神官は首を横に振る。
「それが、頭から上がなくなっておりまして。……しかし装備は、明らかにバーシ様のものです」