それはさながら水が浸食しているようだった。
天幕の死角を利用して近づき――いや、自然に陣地内を歩き、近くにホブゴブリンがいれば、その首を狩っていく。
天幕に布をかけて背を向けている時。武器の手入れに座っている時。料理のために鍋に、そこらで捕まえた小動物の肉を放り込んでいる時。
それぞれがほとんど音もなく、頭と胴を切り離されていく。エキナがエクセキューショナーズソードで首を狩るのは、相手に悲鳴を上げる間もなく、有効だとラトゥンは感じた。だからそれを真似て、ホブゴブリン、そしてゴブリン・シャーマンの首を暗黒剣で両断する。
雑多に天幕が立っているせいで、視界はよくない。天幕の反対側に何があるのかわからない状況は、怒号も蛮声もあげずに突入してきた侵入者にとっては、敵に遠くから発見されにくいというメリットをもたらした。
仮にばったり遭遇しても、すでに至近距離。一歩踏み込んで剣を振るい、その一撃で頭を飛ばせば、通報されることはない。
――どこまで気づかずにやれるだろうか。
不謹慎だが、ラトゥンは気分が昂揚してくるのを感じた。敵地を堂々と歩き、こうも侵入しているのに、ホブゴブリンたちは気づいていない。
その時、少し離れた場所で、ホブゴブリンの叫び声が聞こえた。
『誰か、来てくれーっ! し、死体が!』
ゴブリン語で、仲間を呼ぶ声。どうやら死体を発見したらしい。敵襲を報告するでなく、味方を呼ぶ声というのは、周囲からまったく争う声や音がしないせいか。これで敵の姿が見えていれば、陣地中に『敵襲』と叫んだのだろうが。
奇襲は上手くいっている。ドタドタと駆け足で近づいてくる足音。ラトゥンはその感覚でタイミングを見定め――
『!?』
「ごくろうさん」
天幕の陰から飛び出したホブゴブリンを一撃のもとに葬った。
――おっと、大将の天幕か。
周りに比べて豪華に見える天幕は、この集団のリーダーのもの。見張りのホブゴブリン二体が、ラトゥンに気づいた。
『人間!?』
『いや、違う』
ラトゥンはその姿を、暴食――悪魔のそれに変えた。話すのはゴブリン語。過去、ゴブリンを倒して喰らったことで、その言語はマスターしている。
『ここに、オレの仲間がいるだろう? 会いにきた』
『そ、そうだったか。この中に――』
暴食は距離を詰め、右手の暗黒剣で見張りの一人を両断。左手の暴食の腕で、もう一人の頭を掴んだ。
『ありがとう。お邪魔する』
暴食の腕が、ホブゴブリンの頭を一飲みした。首より上を失った胴体がその場に崩れるように倒れる。
ラトゥンは天幕に入った。中から声がした。
『何やら外が騒がしいぞ』
悪魔が、敷物の上に座っていた。
『一体なに――お前は誰だ?』
悪魔の黄色い目が、悪魔――ラトゥンを見た。
『聖教会のお遣いさ。……カラド神父と言えばわかるか?』
口から出任せを言うラトゥン。名前もバウークの教会でエクソシストが言っていたそれを適当に言っただけである。
『あぁ、聖教会か。作戦の進捗確認か? ご苦労なこった』
悪魔は、近くの敷物を勧めると、自らは容器をとってカップに血のように真っ赤なワインを注いだ。
『作戦は順調だ。予定通り、町は包囲される。ゴブリンどもは躍起になるが、まああの町は陥落できんだろう。町の方はどうだ?』
『ガードは、ハンター連中と籠城の構えだ』
聞かれてドキリとしたが、不自然にならぬよう平静を装うラトゥン。悪魔は頷いた。
『結構。予定通りだな。後は、神殿騎士団が町に駆けつけてゴブリンどもを蹴散らせば……町の連中は、聖教会と神殿騎士団への信用、いや信頼を増して、これまで以上に貢ぐようになるだろう』
クックック、と悪魔は笑った。
――なるほど、これはあれか。聖教会の点数稼ぎ。民の信奉を得るための、たちの悪い自演か。
今回の騒動の裏が見えてきた。ゴブリンの巣が二つあり、討伐に対する報復が速やかに実行されたこと。裏で悪魔が動いていたのは、聖教会の権威向上のため。
『しかし、必要なのか?』
『ん?』
『馬鹿な民は、教会と神殿騎士団を信じ切っているだろう』
ラトゥンの疑問に、悪魔は『ああ』と、わずかにため息をついた。
『人間というのは愚かだからな。安穏とした日が続くと、ありがたみについて忘れちまうのさ。いわゆる感謝の心ってやつだな――オレたち悪魔にそんなものはないが』
ぐびっ、と酒を呷る悪魔。
『ん、だから時々こうして騒ぎに巻き込まれることで、誰が真の主かわからせてやる必要があるのさ』
『なるほどな。神殿騎士団――』
ラトゥンにとっては、ラトだった頃、暴食を取り憑かされた宿敵。アンバーラビットの仲間たちの仇でもある。
――あいつらが、この近くに来ている。
これは是非ともお礼参りしなくてはならない。神殿騎士団は復讐対象だ。まさかこんな近くに来ているとは。
『そういえば、お前――』
悪魔は、じっとラトゥンを見た。
『初めて見るが、名前は?』
『俺か? 俺はな――』
伸びた左腕が肥大化する。
『――!?』
『暴食って言うんだ』
悪魔の上半身を食いちぎり、左腕はそのまま丸飲みにした。ラトゥンは立ち上がる。
悪魔連中の企みはわかった。その目論見を潰すため、ゴブリン退治は、神殿騎士団が到着する前に終わらせる必要があるだろう。
ラトゥンは、聖教会と神殿騎士団が嫌がることなら、手段は選ばないつもりである。彼らに点数稼ぎなどさせない。
終わった後にやってきた彼らには、町の人々の冷めた目線と、感謝のこもらないお礼の声を聞かせてあげよう。
思っていたのと違うと、彼らが面食らう様を想像すれば、ざまあ見ろと思うが、そうなるために、ここからが力の見せどころだ。
天幕を出ると、そこにエキナがいて、何やら彼女はそれぞれの指からロープを出して、十体のホブゴブリンを絞首刑に処していた。
「……宙に複数の首吊り死体とか、怖いぞ」
「あ、ラトゥン。すみません、通報される前に同時に相手するのは、こうするしかないかなって」
エキナは朗らかなに言った。ホブゴブリンを処した程度では、感情が曇ることはないか。これが人だったら――
いや、やめよう。無意味な詮索だ――ラトゥンは、改めて吊られるホブゴブリンの遺体を見やり、その一つを指さした。
「この一体は、ゴブリン・ジェネラルか?」
「そう……みたいですね。ずいぶんと鎧が豪華です」
このゴブリンを束ねるリーダーもすでにお亡くなり。悪魔も処分したから、ゴブリン集団をまとめて指揮できる指揮官はいなくなったと見ていいだろう。
「よし、じゃあ残るゴブリンを掃討するぞ」
神殿騎士団がやってくる前に――