夜も賑やかな町と言ってもその光の届かない場所はある。
裏手に回り、人の気配がないのを確かめ、ラトゥンは顔をあげれば、白い仮面が闇の中、民家の屋根から見下ろしていた。
「怖っ」
思わず声に出た。何も知らなければ、ちょっとしたホラー展開である。ちょいちょいと指で『来い』とジェスチャーを送ると、エキナはさっと飛び降りた。
食事処で手に入れた夕食を渡せば、彼女はうれしそうにそれを受け取り、仮面を上にずらした。
――やっぱり顔が見えるほうがいいな。
ラトゥンは思ったが、口には出さなかった。エキナは、妙に顔を見られるのを嫌うというか、避けている節があるので、これでまた顔を背けられるのももったいない。
それはそれとして。
「俺は情報集めをしてくる」
ついでに仕事を探してくると心の中で呟く。口に出しても意味がないからだ。エキナでは職探しはできないし、それを承知の上で同行しているので、申し訳ないと謝られても面倒なのである。
「適当に休んでいていいぞ」
「わかりました」
エキナは素直だった。ラトゥンは頷くと、まだまだ明るい夜のバウークの町に戻った。
適当な通行人に声をかけ、酒場の場所を聞き出すと、そちらへと赴く。情報収集の基本は酒場だ。
これがもしハンターであったなら、ギルドにいけば適当な仕事がいくらでもあるのだが、それが利用できるのはハンターのみ。独立傭兵は自らの足で、仕事を採りにいくのだ。
賑わう酒場は、雑多な人々で溢れていたが、ドワーフが多く、うるさいくらいだった。ここから必要な情報に聞き耳を立てるのは、骨が折れそうだった。
人よりも背は低いが、がっちりしていて横幅のあるドワーフは、酒豪の傾向があり、それらが酔っ払うのだから、人が飲むには度が強すぎる。幸い、バウークはドワーフオンリーではないから、人間用の酒もあるので助かった。
「マスター、最近どうだい。町で何か厄介事はあるかい?」
「傭兵ですかい?」
「独立傭兵だ」
酒場のマスターは、短いやりとりでラトゥンの職業を言い当てた。格好からして旅人。そしてハンターか傭兵と連想するのは難しくない。が、ハンターと言わなかった時点で、少なくとも素人ではないのは確かだ。
「それじゃあ、あんたは知らないな――町の近くでゴブリンの集団がいるらしいということで、ギルドがハンターを集めていますよ」
「ほう……」
ゴブリン。小鬼とも言われ、集団で行動する。亜人と分類されると他の亜人系が怒り出すほどの蛮族だ。基本、どの種族に対しても敵対的で、特に人型種のメスに目がなく、人類含めて、様々な種からヘイトを重ねている。繁殖力が強くて、害しかあたえないので、ゴキブリ並に嫌われている。
「そりゃ一大事だ」
しかしハンターギルドが動いているなら、独立傭兵の出番は怪しい。熟練ハンターを含めた複数ハンターがかかれば、ゴブリンの集団の掃討は難しくないからだ。それで収まるならばよし。だが収まらないと――
「聖教会は動いていないのか?」
そういう一大事には、神殿騎士や駐留する教会の武装信者が、町の防衛やギルドのサポートに入る傾向にある。
「今回は、兵は出していないようですよ。……例の暴食騒動で、人員を取られているって噂です」
「へぇ……」
つまり、普段より手薄なわけだ。どこもかしこも、暴食の悪魔探しで忙しいということだ。
ラトゥンは自分のことでありながら、聖教会が探している暴食が、そのお膝元で酒を飲んでいる事実に笑い出したいのをこらえた。
――町の防衛に加わる戦力がないなら、ここの教会も今のうちに潰しておくか。
悪魔に支配されている聖教会である。表向きは人のために祈り、救い、守っているが、それは人々を懐柔して、支配するためだ。悪の巣窟は、取り除かねばならない。
・ ・ ・
ラトゥンが酒場を出ると、正面の建物の屋根の上に、光が反射して浮かぶ仮面が見えた。
「……だから怖いよ、それ」
聞こえない程度の声で呟きつつ、ラトゥンは、酔っ払いたちの群れを躱して、町の教会へと足を向ける。
ちらと通りの建物の屋根を見れば、やや距離を置いてエキナがついてきていた。休んでていいと言ったのだが、護衛役の如くラトゥンから目を離すつもりはないらしい。
構わず町を行き、尖塔の目立つ建物――バウークの町の教会へと辿り着いた。町の中央から外れていることもあって人の気配はない。夜ということもあり、明かりはなく、門も閉ざされていた。
すっと、ラトゥンの背後にエキナがやってきた。
「夜の教会というのは不気味なものだ」
「そうですね」
彼女は同意した。
「どうするんです、ラトゥン?」
「お邪魔するさ」
ラトゥンは門を押し開ける。夜に教会に駆け込む者もいるから、基本的に鍵はかけないのが教会というものだ。
教会までのスペースを突っ切り、木製の扉を押す。ガタリ、と重い音を立てて、扉は開いた。起きている当直の者が、音を聞きつけて現れるだろう。その間に、ラトゥン、そしてエキナは、長椅子の整列している教会内を進む。中は真っ暗で、外の明かりが窓から差し込む程度であった。
「――どうされました?」
ランプを手に神父らしき男が現れた。いや、若いから助祭かもしれない。ラトゥンは別段急ぐまでもなく、ゆっくりと近づく。
「いやなに、ちょっと近くまで寄ったものでね……」
右手を挙げて、その手を悪魔のそれに変える。
「ちょっとしたお使いだよ」
「そうですか、それはご苦労様です」
助祭は、悪魔の手を見ても驚かなかった。彼も真似て右手を挙げると、赤褐色の腕に変化させた。
――はい、レッサーデーモン確定!
「神父様はいらっしゃるかな?」
「奥にいらっしゃいます」
助祭は頷いた。
「それで、とちらからのお使いでしょうか?」
「地獄からだよ」
その瞬間、ラトゥンは左腕から暗黒剣を取り出し、助祭に化けている悪魔の胴体を両断した。
「ぐわっ!?」
「悪魔を狩るのも、ハンターの仕事でね。――あぁ、元ハンターだけど」