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第12話、転落人生に救いを


 エキナ・ミゼリコーディは、恵まれた環境に生まれた。


 貴族というだけでも勝ち組……というのは表面だけで、領地の経営が上手くいかず、内情貧乏という家もそれなりにあることを思えば、父親は優れていたと言える。


 ミゼリコーディ領は、収支ではプラスであり、領民も飢える者は少なく、冬を越せずに餓死や凍死する割合が、他領と比べても少ない。贅沢できるかと言われると、そこは一地方なので、そこまでではないが、飢えないだけでも儲け物だ。


 エキナは、貴族令嬢ながら、戦士になる鍛錬を受けていた。これはそもそもミゼリコーディ家が騎士家系の成り上がりであり、王国でも幾多の戦いに参陣しては、可もなく不可もない、しかし堅実な働きを評価された。


 兄がいたが、彼は機械に傾倒していて、それがもとで祖父母や父から嘆かれていた。だから、エキナが剣を学びたいと言ったら、父はともかく、祖父母は大喜びだった。そこで領内でも指折りの剣士――元騎士で、祖父母と共に戦いに参加した者を、師として戦い方を学んだ。


 そこは、領内の戦士希望者を弟子に教える道場だった。エキナは平民と一緒に剣を学んだ。ラトやダンケルといった兄弟子ができて、貴族以外のお友達もできた。

 清く正しく。平民と一緒に学ぶことで、エキナは貴族特有の身分差別をしない娘に育った。ミゼリコーディ家が騎士の家系だったから、戦場で共に戦う者を平等に扱え、と教えていたことが影響している。


 その頃は楽しかった。貴族としてのお稽古ごともあって、割と忙しかったが充実はしていた。

 だが、その幸せは、やがて音を立てて崩れた。


 あっという間だった。隣領のヒルツェ伯爵の軍勢が攻めてきて、平和だったミゼリコーディ領は奪われた。


 どうしてヒルツェが攻めてきたのか、エキナはわからなかった。気づいた時には、家を燃やされ、家族は祖父母、両親、兄、そして可愛い弟も含めて殺された。一族郎党皆殺し。何故、エキナが生き残ったかといえば、剣の師、そして道場の弟子たちが守ったからだ。

 しかし、彼らも皆、エキナを逃すのと引き換えに死んだ。


 一人だけ生き残ってしまった不安、恐怖。家族や親しい人、愛していた領民を無惨に殺された怒り、慟哭。深い絶望に落ちたエキナは、そこで悪魔に声をかけられた。


『復讐したいか? 力が欲しいぃか!?』


 欲しい。エキナは望んだ。自分の全てを捧げる。そのかわりに、全てを奪ったヒルツェに復讐できる力を。


『よかろう。貴様の望みを叶えてやろう。魂と引き換えになぁ!』


 悪魔と契約した。

 エキナは、ヒルツェ伯爵とミゼリコーディ領の蹂躙に関わった者を一人、また一人と殺して回った。


 復讐の鬼となったのだ。大義、言い訳など無用。大切なものを奪った罪を清算させる。死をもって償え。


 やがて、エキナは諸悪の根源であるヒルツェ伯爵を追い詰めた。彼の屋敷に踏み込み、向かってきた者を全て首を刎ねて、伯爵に迫った。

 何やら泣き言と命乞いを始めたが、聞きたかったのはそれではない。惨めに惨たらしくあの世に逝け。


「気にいらなかったんだ! わ、わしより豊かな領など――」


 最期にそんな声が聞こえた。くだらない。心底軽蔑し、エキナはヒルツェ伯爵を殺害した。


 復讐は果たされた。大いなる満足を感じたのも一瞬、すぐに空虚な気持ちになり、そして契約は果たされた。

 エキナの首に、悪魔との契約の証、隷属の首輪がはめられ、悪魔に魂をとられ、その奴隷となったのだ。生きながらにして悪魔の下僕。死んでも悪魔に永遠に従属する地獄へ落ちたのだ。


 それからのエキナは、死刑執行人となった。気づいたらそうなっていた。仮面を被り、聖教会の敵の首を落としていく仕事だ。そこに名前はなく、ただ処刑人として呼ばれ、扱われた。

 エキナ・ミゼリコーディという人間ではなく、ただの処刑人として。


 処刑人としての人生が始まったが、彼女に対する、いや処刑人全体に対する人々の目は冷ややかだった。

 人を殺す者。命を奪う者。教会が正しく、悪を裁いているのに、直接手を下す者には、忌まわしさや、汚物を見るような目を向ける。


 まるで底辺の人間がやる仕事と言わんばかりだ。事実、そうなのだ。奴隷ではないが、一般人からしたら身分が下、と思われている。公開処刑を熱狂的に見守る観衆も、執行する処刑人もまた犯罪者のように扱うのだ。


 処刑人は、ひと目でそれとわかるようにしなければならない。処刑人の証だったり、仮面や頭巾などを外して、町などを歩くことは許されず、人々はそんな処刑人との接触を避けた。


 人を殺した呪いのようなものが、触れたらうつる、などと本気で思われ、触るのも嫌がられる。物を買うことがあれば、割増、もしくは断られるのが当たり前。結婚相手も一般人ではなく、卑しき身分の者としか許されない。

 自由などない。これで聖教会などの権威や力のある存在の手先、法の執行に関わるから、余計に権力に反発する者や不満に対するぶつけどころ、捌け口にされてしまった。


 処刑人になってから、エキナの人生は空虚だった。あれだけ激しく燃えたぎる復讐の日々が終わり、人からは疎まれ、避けられ、罵声や罵倒も当たり前の生活。淡々と、感情を殺し、職務を果たす。これが復讐とはいえ、人を殺した罪に対する罰なのだ。卑しい自分には、この責め苦が必要なのだ。


 いつ終わるとも知れない暗い人生。死んでも悪魔の奴隷のままからと、夢も希望もない日々を過ごした。


 だが、それに劇的な変化が訪れようとしていた。

 暴食の悪魔狩りの任務を言い渡されて遠征していた時、目的の暴食に遭遇し、エキナを縛る悪魔が倒された。


 その結果、契約は消えた。囚われていた魂は、悪魔のもとから、エキナに戻ってきたのだ。



  ・  ・  ・


 エキナを解放した暴食は、自分は悪魔ではなく人間だと言った。彼はエキナのミゼリコーディ時代を知っているという。


 それはともかく、エキナは不思議な感覚に囚われていた。自分を処刑人であると知っていても、そこに差別や蔑みはない。

 人として、彼は扱ってくれたのだ。悪魔の奴隷時代、死刑執行人への差別や偏見にさらされた時の記憶は残っている。だから、ただ話しているだけでも、この人は優しい人なんだと勘違いしてしまうほど、エキナは彼に好意的な感情を抱いた。


 悪魔と切り離され、強制力を失った今、自分がこれからどうすればいいのかわからなかった。空腹を感じなかった体が、何かを食べたいと思っている。これは、悪魔との契約が切れた影響かもしれない。


 しかし処刑人の身分では、食事にありつくまでが苦痛であり、何を与えられるかもわかったものではなかった。誰かに頼らなくては、生きていけない。

 話しただけで呪いがうつる、と逃げる一般人ではなく、何事もなく話してくれる彼しか、今は頼れる人はいない。これを逃したら駄目だ。


 だからエキナは、自分を売り込んだ。話を聞いてくれる人というだけで、彼女には神様にも等しい。もちろん、ただ頼むだけでは断られる。物事には対価が必要だ。なりふり構っている場合ではなかった。


 エキナは、悪魔から取り戻した全てを彼に捧げることにした。金も家もないのだから、自分しか捧げるものがないのだ。言われれば、靴も舐めよう。犯したいなら自由にさせる。

 それでも断られるというのなら、聖教会に戻って惨めな日々を繰り返すしかない。だがこれ以上、処刑人としてやっていけるかもわからないから、いっそ殺してもらうのも手だと思った。


 エキナは、その日、暴食にして独立傭兵――ラトゥンの下僕になった。

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