故郷を滅ぼした者たちに復讐することにした、とエキナは言った。
「でもわたし一人にできることなど、高が知れていました。家族や家を失い、財産もなければ、人を雇うこともできない。けれど、だからといって諦めきれなかった」
燃えたぎる怒り。悲しみ、絶望は深く、涙を流しながら世の中を呪った。
「すると、声が聞こえてきたのです。力が欲しいなら、くれてやる、と……」
「悪魔か」
先ほどラトゥンが食らった悪魔。暴食を狙い、エキナをしもべとして動いていた者。
「藁にもすがる、という気持ちでした。復讐ができるのなら、わたしはどうなっても構わない。本気でそう思い、わたしは悪魔の誘いに乗りました」
――まあ、そうなるよな。契約していたんだから。
魂を悪魔に捧げるかわりに、エキナの願い、望みを叶える。それが契約。ただ魂をもらうだけでなく、その願いも果たせるよう力を使うのは悪魔というものだ。
悪魔との契約により、エキナは常人を凌駕する力を手に入れた。その力を使い、彼女は、伯爵の軍勢と、それに手を貸した傭兵団を、一人ずつ処刑していった。
復讐にあたって、姿も処刑人衣装になったのは、その頃からだったという。じっくり一人ないし複数を、他領への侵攻、虐殺、暴行、略奪というあらゆる行為について断罪した。
殺して、殺して、殺しまわった。
復讐に取り憑かれたエキナは、慈悲もなく、標的を殺した。仮面で素顔を隠し、正体がわからない伯爵の手勢は、何故処刑人に死刑を執行されているのかわからないまま、その首を刎ねられ、あるいは吊されて命を失っていった。
「……」
ラトゥンは何とも言えない気分になった。これまでの話だけで、エキナが抱いていた憎悪の凄まじさを感じた。
確かに故郷や家族を奪われた。当時のラトゥンもまた隣領の伯爵とその配下を恨んだ。だが貴族と軍隊相手には敵わないと、直接手を出せなかった。
だがエキナは違った。領主の娘だったから? 彼女は自分の生まれ育った地と、そこに住む人々を深く愛していたのかもしれない。
それ故に、奪われた痛みと憎悪は、常識を振り払い、悪魔と契約してでも復讐を実行した。その執念は、素直に敬服する。
仮面で顔を隠しているが、思い出しただけでも腸が煮えくりかえるのか、声に感情がこもっていた。
果たして、彼女はどんな顔をしているのか。自分を醜いと言ったのは、もしかしたら憎悪に染まった復讐者の顔のことを言っているのかもしれない。
敵を断罪している時、憎き敵の首を刎ねた時、死刑を執行した時。復讐を遂行している時、彼女は醜く笑っていたのかもしれない。……もちろんラトゥンの勝手な想像で、本当かどうかはわからない。
「――わたしは一年をかけて、ヒルツェ伯爵を追い詰め、最後は刑罰を執行しました」
ついに復讐を果たしたのだ。
だが目的を果たしたということは、契約通り、彼女は魂を捧げた悪魔の虜になった。死しても永遠にその悪魔の奴隷として隷属する。
これが悪魔の契約の恐ろしいところだ。不可能にも近い願いすら叶える一方、悪魔はしっかりと取り立てる。願いが叶った時が、それすなわち永遠の責め苦、地獄へ落とされるのと同義なのだ。
「以後のわたしは、聖教会の処刑人として、教会の敵に対する死刑執行を遂行していきました。わたしの契約主である悪魔の命令に従って」
――聖教会。
ラトゥンの表情が険しくなる。暴食を追っていた悪魔は、聖教会と関係があるということか。あるいは教会の一員だったのかもしれない。
「それで今回、主である悪魔に命令されて暴食を探していた、と」
ラトゥンは切り出した。その探していた暴食は、目の前にいる。エキナを契約で縛っていた主は、暴食の力によって喰われた。もはや彼女個人としては、暴食に拘る理由はないはずだ。
聖教会の一員という部分が不安要素ではあるが、これまでのエキナの言動からすると、必ずしも聖教会に染まっているようには見えなかった。……もちろん、油断はできないが。
エキナは黙って、ラトゥンを見つめている。彼女もわかっているのだ。目の前の男が、暴食の悪魔であることを。
あれだけ激しく戦ったのを、しっかり覚えているわけだ。
「それで、あんたはこれからどうするんだ?」
契約の相手である悪魔は消滅した。主がいなくなれば、奴隷ではない。以後の行動はエキナ自身が自由に選べる。
「一つ、聞いてもよろしいですか?」
「何だ?」
「どうして、わたしを殺さなかったのですか?」
暴食で喰らうことも、意識を失っている間に殺すこともできた。それをしなかったことが、エキナには引っかかっていたようだ。
ラトゥンは思わず天を仰いだ。何故助けたか? 知り合いだったから。領主の娘だったから、というより、故郷にいた頃は一緒の道場にいたからの方が強いかもしれない。
少なくとも友情は持っていた。悪魔に隷属している状態なら、その根源である首輪を破壊したら、もしかしたら戦わずに済むかもと思った。
「あんたは、暴食のことをどこまで知っている?」
逆にラトゥンは尋ねた。どこまで知っているかで、言わなくてもいい事柄を判断できるかもしれない。
「危険な要注意悪魔が、この近くを徘徊している、と」
聖教会の神殿騎士団が討伐に動いているが、発見しても何度も返り討ちにされ、いまだ逃げ回っている。
「その暴食が、実は呪いのせいでそうなっているのであって、本当はただの人間である、ということは?」
「……人間なのですか?」
仮面をしていなければ、表情の変化が見てとれただろうに。淡々と返されたように感じた。
「そうだ。俺は、悪魔じゃない。人間だ」
最上級悪魔を倒すと、その力が呪いとなって、倒した者へと取り憑く。その者は新しい悪魔の体となる。
「暴食を倒したから、俺が次の暴食になってしまった、というところだな」
そして聖教会と神殿騎士団は、その暴食の力をどうにかして手に入れる術を持っているらしく、呪いが取り憑いて新たな暴食となった者を捜索している。
決して、平和と正義のためではなく、自分たちの私利私欲のためだ。そもそも聖教会は悪魔の支配下にある。
「俺は元の人間に戻りたい」
ラトゥンは、己の左腕――平時は包帯を巻いているように見せて擬装している――をじっと見つめる。
「元に戻る方法を探している。そしてこの呪いのことを知りながら、それを知らせず、俺に暴食を受け継がせた聖教会に復讐を」
「……それがあなたの目的ですか?」
「そうだ」
人に戻ること、聖教会に復讐すること。この二つが、今のラトゥンを突き動かしている行動原理だ。
エキナは頭を傾けた。
「……結局、わたしの命を助けた理由は教えてくださらないのですね」
話を逸らされた、とエキナは判断したようだった。
「あなたの言うように、聖教会が悪魔の巣窟であるなら、これまで通りとはいきません。……悪魔と契約してしまった、わたしが言うのも何ですけれど」
もし、ご迷惑でなければ――
「わたしをあなたの旅のお供にしていただけませんか?」