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第9話、処刑人エキナ


 ラトゥン、いやラトにとって、エキナ・ミゼリコーディという女性は、可憐で責任感が強く、真っ直ぐなお嬢様という印象だった。


 戦う職業の男女比率は、男性の方が多いのだが、女性も珍しいということもなく、それなりはいる。しかし、貴族令嬢で、嗜みではなく本格的に戦う術を学んでいたのは珍しいと思う。

 ラトが幼馴染みと故郷を離れた時は、まだ彼女はお嬢様で、柔和で、間違っても『お前』などとは言わない人だった。


「それが何だって処刑人なんかに……」


 エキナの将来を想像したところで、こうなる未来を思い描いた者は皆無だっただろう。わからないと言えば、何故、彼女が悪魔のしもべになっていたかも。

 悪魔の所有物。いわゆる、悪魔と取り引きし、何かを引き換えにした結果、最終的に自らの魂を差し出す。……いったいエキナは、何を得るために悪魔と契約したのか。


 ――目覚めて、話を聞けばわかるのかもしれないが……。


 ラトゥンは迷っている。

 事情は知りたいが、エキナとどういう顔をして話せばいいのか、わからなかったのだ。

 いまは暴食の悪魔で、人に化けている。ラトではなく、ラトゥン・サンダーとして。姿は変えていても、もしかしたら彼女は正体を看破してしまうのではないか?


 身分差を考えて、友人というのも少しおかしなものだが、幼い頃は確かに友情のようなものを互いに感じていた。それは死んだダンケルやルイサも同じだった。

 だから、ちょっと顔が変わったくらいでは、気づかれないという保証はない。そしてその何がマズいのかと言えば、今しがた暴食の姿を晒しているということだ。


 幼馴染みが悪魔になりました、なんて、エキナは強いショックを受けるのではないか。……いや、お嬢様が処刑人になっていたのも充分ショックな出来事だが、精神的な比ではない。

 ラトゥンがラトであることがバレて、暴食と結びつけられたら厄介になる。別の姿に化けて、また一から身分構築は面倒だった。


 ――やはり、彼女が目覚める前に離れるべきか。


 そう思った時、ふと世間――つまり暴食を追う側の認識はどうなのかと気になった。

 神殿騎士団の手配では、暴食=ラトであるとは記されていなかった。悪魔は悪魔として処理しようとしているようで、人間が呪いで変化したことには触れていない。暴食が喰らった敵対者たちも、ラトと暴食を結びつけている者は確認できなかった。


 その例で言えば、エキナは暴食の正体がラトであることを知らない。独立傭兵ラトゥン・サンダーが暴食であるのは、先ほどの戦闘の記憶が残っていればわかるだろうが、ラトとしては関係ない。


 ――いや、それはそれで問題ではないか?


 ラトゥン・サンダーが暴食であることを覚えているかもしれない彼女を放置して去って、それが知れ渡れば、独立傭兵の姿で表を出歩けなくなる。


 ――どうする!?


 簡単なのは、意識を取り戻す前に口封じすることだ。……今、ここでお嬢様を殺せばいい。

 論外だ。正当な理由もなく、命を奪うのは躊躇われる。知っている人間だからこそ、余計に、何故こうなったのか理由がほしかった。


 知らずに殺せるか――ラトゥンは、結局、エキナが意識を取り戻すまで、大人しく待つのである。

 いつ意識を取り戻すかわからない。色々考えてみたものの、退屈になってきて、ふと彼女の姿、その露わな腹部などに目がいった。


 処刑人とは顔は隠すのに、服を着ているのと着ていないのの両極端なイメージがある。男の逞しい死刑執行人は、その筋肉を披露するためか上半身裸というのも珍しくない。エキナも胸など大事な部分は隠れているが、腹や腕、太ももなど露わではある。


 ――お嬢様のする格好と結びつかないんだよな……。


 本当に、彼女の身に何があったのだろうか。

 と、その時、不意にエキナの目が開いた。ぱちぱちと瞼が上下し、どこにいるのか探ろうと目が動いた。


「気がついたか」


 ラトゥンは声をかける。エキナの瞳が見つめ返してきた。


「……ラト?」


 彼女の唇から漏れたかすかな声を、ラトゥンは聞き逃さなかった。まさかの正体看破、いや最初から暴食の正体を知っていたパターンかもしれない。ラトゥンは冷静を装う。


「ラトゥン・サンダーだ」


 牽制の名乗り。その名をエキナは呟きながら、横たわっていた体を起こした。


「ラトゥン……すみません。わたしの知っている人に印象が似ていたもので。まだ意識がはっきりしていないのかも」


 戦いの場で言葉を交わしたが、それとは異なる丁寧さ。ラトゥンの知るエキナだ。


「知り合いに似ていた、か。……俺はあんたを知っているぞ」

「……!」


 そこでエキナは、自分の顔に手を当てビックリした。その仕草で、彼女が処刑人のマスクを探しているのだと察した。慌てて、仮面を探すエキナに、ラトゥンはそれを指さす。


「今さら隠したって俺には遅いんだけどな。エキナ・ミゼリコーディ嬢」


 バッと仮面を掴んだエキナは、やはり急いで仮面をつける。


「私をご存じなのですか?」

「仕事柄、色々なところに寄るんでね」


 それとなく誤魔化すラトゥン。エキナは頭を下げた。


「申し訳ありません。醜いものを見せました」

「醜い?」

「わたしです。……酷い、顔でしたでしょう?」


 意味がわからなかった。だからラトゥンは問う。


「あんたの顔は綺麗だと思うがな。……もちろん、美醜の感覚は人それぞれだが」


 少なくとも、歳を重ねて美しくなった。確か、まだ二十前だとは思うが、少女からすっかり大人の女性になった。


「……」


 エキナはそれには答えなかった。仮面のせいで今どんな表情なのかはわからないが、あまり触れてほしくない話題のようだったので、話を変えることにする。


「それで、俺の古い記憶では、あんたは領主の娘だった。どうして処刑人の格好をしているんだ?」


 格好だけというか、その戦いぶりもがっつり死刑執行に関係のある技だった。それも常人を超える力込みで。


「……悪魔と契約したんだな」


 ラトゥンの指摘で、エキナはそっと自分の首に手を添える。そこにあった悪魔との契約の証、隷属の首輪はない。彼女を縛るものは、もうない。


「何があったんだ……? あんたの身に」


 同郷として、兄弟弟子の関係でもあった彼女のことを心配している。だから、ラトゥンは辛抱強く待った。話したくなければ話さなくもいい、とは言わなかった。


「……ミゼリコーディ領のことは、ご存じですか?」

「ああ。……三年前、隣領に攻められて、滅ぼされた」


 そう口にした時、ラトゥンの胸が痛んだ。ダンケル、ルイサ――アンバー・ラビットの面々と、ハンターになると故郷を出た。だから風の噂でミゼリコーディ領が滅んだと聞いた時は、ショックだったし、故郷の村へ戻った。


 家も、家族もなくなっていて、ラトゥンと仲間たちは悲しみに沈んだ。領がなくなり、てっきりエキナも殺されたのではないかと思っていたが、どうやら生きていたらしい。……処刑人になって。


「あなたの仰る通り、ミゼリコーディ領は隣領のヒルツェ伯爵の軍勢によって、因縁をつけられ滅ぼされました」


 エキナは淡々と告げる。


「わたしは運良く生き延びましたが、どうしても故郷を蹂躙した者たちを許せなかった」


 仮面の奥の声は、かすかに震えていた。


「だから、わたしは復讐することにしました」

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