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第8話、隷属の契約


 仮面を飛ばされた処刑人は、その露わになった顔を一瞬隠そうとした。しかしラトゥンは見逃さない。


「エキナ・ミゼリコーディ……!」

「……!?」


 名前を呼ばれ、彼女はビクリとした。だがすぐにエクセキューショナーズソードを振りかぶった。


「何故、わたしの名前を知っている!? お前は、誰だ?」


 俺は――言いかけたラトゥンだが、そういえば自分はかつてのラトではなく、ラトゥン・サンダーという独立傭兵の姿をとっている。

 つまり、ラトゥンがエキナを知っている一方、彼女は今のラトゥンの顔は初見となる。剣の技でわかるかもしれないと思ったが、自分も顔を見るまで気づかなかったので、案外バレないものか。


 しかし困った。相手が顔見知りかつ、それなりに親しい関係にあったことを思うと、剣を向けてくるからといって、安易に倒すことは躊躇われる。

 暴食をこの身に宿し、悪魔となったとはいえ、性根の部分はそうそう変わるものではない。ラトを貶め、その人生を無茶苦茶にした聖教会と神殿騎士団にはまったく容赦するつもりはないが、それ以外のものとなると無益な殺生は避けたいのが本音である。


『何を手間取っておるのだ、我がしもべよ――』


 唐突に、まったく聞き覚えのない男の声が響いた。聞く者の背筋を震え上がらせる声音のそれは『悪魔』のもの。

 ラトゥンは顔を上げる。エキナの後ろに、どす黒いオーラのようなものが現れた。


『お前の役目は、『暴食』を見つけることであろうが。こんなところで道草を食っている場合ではないぞぉ』

「はい、我が主」


 エキナは無感動な調子で応じた。悪魔の声は続く。


『お前は我と契約し、魂を捧げた。きちんと働かない奴隷にはお仕置きが必要かぁ? ……人払いをしてやる。力の解放を許すぅ。一分以内に、その雑魚を始末して仕事に戻れぇ』

「はい、主様」


 エキナは振り向く。彼女の首輪が真っ黒に変色している。

 あの首輪はもしや、悪魔の所有物になった者がつけられるという魂の奴隷の証、隷属の首輪ではないか。

 ここ一カ月、敵を知るために悪魔のことを調べてきたが、まさか実物を見ることができるとは……。


 ――しかもそれが、知り合いともなるとな。


 ラトゥンは暗黒剣を構える。エキナはすっと左腕を水平に薙ぐように振った。その瞬間、重々しい刃の塊が降ってきた。


「っ!」


 とっさに飛び退く。刃の塊は床に突き刺さり、破壊した。それは断頭台の刃だ。執行人が、死刑囚を殺すものの中で、確実に死をもたらす凶器として、知られる。

 エキナが跳躍し向かってくる。左手に斧が現れ、それを投擲。その軌道では当たらない――と思いきや、カーブを描いて、ラトゥンに迫った。


「どこまでも死刑執行人ってか……!」


 斧は、執行人の象徴武器の一つ。エクセキューショナーズソードの以前より、罪人の首、手足などを切り落とす武器として代表的なものだ。


 ――なるほどね。執行人の斧だから、標的の首めがけて飛んでくるわけだ。


 呪いの武器である。


 ――まったく……。


 どうしてエキナが死刑執行人になっているのかわからない。悪魔と契約したと『声』は言っていた。それは何かの望みを叶えるのと引き換えに、魂を捧げ、悪魔の奴隷になるということだ。神殿騎士たちとは多少違うが、結果としては大体同じだ。


 だが、ラトゥンは、エキナが何を望み、どうしてそうなったのか、理由が知りたかった。それくらいを考える程度には親しい仲だ。

 故郷が滅びたことが関係しているのかもしれない。自分には無関係と片付けることもできなかった。


「人払いすると言っていたな……」


 それならば、隠す必要はないだろう。確証はないが、エキナを悪魔の奴隷から解放することができるかもしれない。

 むざむざやられるつもりはない。やらずに後悔はしたくない!


 その瞬間、ラトゥンはエキナの処刑人の剣を、頭を下げて回避。相変わらず首を狙うから、わかりやすい。

 目と鼻の先。ラトゥンは左腕を伸ばして、すぐそばにあるエキナの首輪を掴んだ。真っ黒な闇、マグマのような熱を感じたのは一瞬。

 常人ならば触っただけで呪われる魔の首輪も、具現化した暴食――悪魔の腕ならば関係ない。


『ぐぬっ!? そ、その腕はァ!?』


 暗黒オーラが気づいた。


「――そうとも、俺がお前の探している暴食だ!」


 砕け! 魂を拘束する隷属の首輪を!――ラトゥンの左腕が、首輪を喰らった。


「あああああぁぁぁぁっ!」


 エキナが絶叫した。首輪は契約の証。それがなくなったらどうなるか。エキナは力が抜けたようにその場に膝をつく。

 しかし暗黒オーラが、その力を増した。


『暴食ぅぅぅっ!!』


 空間が破れ、オーラから青黒い体の悪魔が姿を現す。


『お前が、エキナを縛っていた悪魔か』


 ラトゥンもまた悪魔『暴食』の姿にある。


『だったらどうしたぁぁっ!』


 巨躯を躍動させ、瞬時に青黒い体の悪魔は飛び込んできた。


『本来の力を取り戻す前に、お前の暴食の力、オレ様がもらい受けるぅぅっ!!』


 振り上げられた腕は、一撃で岩をも軽く粉砕する! 当たれば悪魔と言えども無傷では済まない! 人間と悪魔の間にある力の差は圧倒的!


『そうだな。俺はまだ悪魔としては半人前かもしれない』


 だが――


『お前が、暴食よりも格下だってことはわかる』

『なっ!?』

『人間を舐めるなよ』


 暴食化したラトゥンの暗黒剣が、青黒悪魔の腕を切断。目にも留まらぬスピードとはいえ、まんまと飛び込んできた悪魔を暴食の左腕が掴んだ。


『しまっ――!』

『喰われろ。暴食に』

『うおおおおおぉぉぉぉぉっ――』


 ガクガツバリバリと、青黒悪魔が、暴食の左腕に喰われた。人と比べて大きなその体も、一呑みする勢いであっという間に喰われ、取り込まれた。


『ふぅ……』


 ラトゥンは暴食の姿から、人に化けた。元のラトゥン・サンダーの姿に。

 青黒悪魔は、人払いをしていたらしいが、念の為、ラトゥンは周囲の気配をサーチする。教会の周りに人が集まり出しているが、中にはいない。

 だがあまり長居するものでもないだろう。


「それに、事情も知りたいしな」


 ラトゥンは。傍らで意識を失って倒れている処刑人――エキナ・ミゼリコーディを見つめた。

 一体、彼女の身に何があったのか。

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