「神父様、私は罪を犯しました」
ラトゥン・サンダーの声は、寂れた教会に響いた。
「私は暴食の悪魔を倒しました。その結果、呪いを受けたのです。悪魔を殺すと、その悪魔が呪いとなって殺した相手を乗っ取り、新たな悪魔となってしまう呪いです。神父様はご存じでしたか?」
静謐な空気。音が反響するその中で、ラトゥンは大げさな調子になる。
「答えてくださらないのですか? 聖教会の神父であるあなたが! 迷える子羊を教え説き、導くのは神のしもべであるあなたの役割ではないのですか!?」
「……」
返事はない。ラトゥンは続けた。
「私は知らなかった。私の友人も! 真実を知っていたはずの聖教会が、それを教えなかったために、死ななくてもいい人間が死んだ。それは怠慢ではありませんか?」
「……」
「まあ聞いてくださいよ、神父! あなた方の怠慢のせいで、私は悪魔となってしまった。……えぇ、人のせいにすることはよくないことでしょう。神の教えに反するかもしれない。ですが純然たる事実ですから」
ラトゥンは顔を上げた。
「私は、聖教会の神殿騎士団や元同僚であるハンターから、暴食として追われることになった……。私が一番困ったのは、姿は悪魔ですが、心は人間だったこと。ええ、私にも良心はありました。神の教えを尊重し、よき人であろうと努力した……」
「……」
「しかし人は、清く正しく、魂や心の清廉さを口にするものの、この悪魔の姿を見ただけで私を追った。実に嘆かわしいことです。中身を見ろとは何だったのか……」
だがそんな周りの態度もわからないでもない。人間のそれよりも逞しく、しかし肌の違いや、禍々しい凶相は、一目で悪魔であるとわかる。何より恐ろしい力を持っている悪魔を見て、恐怖しない人間のほうが珍しい。
「つまりですね、神父様。人間社会で生活するのは、不可能なレベルで悪魔の姿は目立ってしまうのです。彼らはよせばいいのに、武器を向けてくる……。先ほど言った通り、私は善人であろうとした人間でしたから、だからといって一般人を殺すようなことはしたくなかった……!」
だから、姿に関しては、人の姿が取れるまで逃げ続けるしかなかった。
「そう、私は、人に化けることができるようになりました。私の左腕、暴食が喰らい、取り込んだ力や能力の一部を、私のものにすることができるのです。そうしているうちに、こうして人の姿になる術も得ました」
「……」
「ここまでくるのに道のりは容易いものではありませんでした。神父、あなたのお仲間である神殿騎士が私を追っていましたから。そして私は、知ってしまった。聖教会の正体に」
「……」
「神のしもべ? とんでもない。教会は悪魔の巣窟だった! 神も天使もいない。悪魔が都合のいい言葉で、人を支配していたのです! 悪魔は人の心にいると言うが、それを説いている聖職者自身が悪魔なのだからどうしようもない」
「……」
「こんな話も聞いています。神殿騎士になるということは、悪魔との隷属契約を意味する。聖教会を信じ、正義の名のもとに、何も知らない人間を、悪魔の奴隷にしてしまう。……否定はされないのですか? 元神殿騎士のインチアーロ神父?」
「……」
「あなたはどちらですか? 悪魔の奴隷か、それとも悪魔そのものか」
ラトゥンは冷めた声で、それを睨んだ。漆黒剣は、神父の胸を貫いている。流れ出た血が、教会の床を赤く染めている。すでに死んだようにぐったりしているが……。
「こうまで言われて、だんまりを続けるつもりですか……。わかりました。話す気がないなら、ここまでです」
左腕が肥大化し、それが上下に裂けた。獣が口を開くように。
「あなたを喰らい、私の知りたいことを引き出すこととしましょう。神よ、私に生きる糧をくださり、感謝いたします」
ラトゥンは左腕を構え、神父へと伸ばした。だが寸でのところで、神父の体が動き、開いた両の口に喰われないように押さえる。
『ちくしょう、こいつ、本物のっ! 暴食っ!』
心臓を剣で貫かれながらも、神父――だったものは、正体を現した。暴食の腕を見るまで死んだふりをしていたのだ。
悪魔だ。しかしその姿は、どう見ても下位の悪魔、レッサーデーモンだった。
『しかし見たぞ! まさか独立傭兵の化けていたとは、暴食ゥ!』
神父だったそれが、汚く唾を飛ばして叫ぶ。
『教会本部に知らせなければッ!』
「それができるとでも?」
ラトゥンは歪な笑みを浮かべる。
「あなたは元神殿騎士。かつては高潔な騎士だったのだろうと思っていたのですが、下級悪魔の方だったとは……」
インチアーロが生まれ変わったのか、神父の皮を被った別の悪魔か。どちらでも構わないとラトゥンは思う。
「悪魔であるなら、遠慮はいらないな。お前も聖教会の一員ならば、暴食を狙っているのだから」
左腕に力を入れる。暴食が凶暴に荒れ狂い、神父だったレッサーデーモンを上回る力で押しつぶして喰らった。
「下級の悪魔ごときが、上級悪魔の暴食に太刀打ちできると思っていたのか?」
ラトゥンは、周囲に意識を飛ばす。改めて教会内に、他に生き物の反応はなし。これもこれまで暴食が平らげ、獲得した能力の一つ。ラトゥンが暴食であると見ていた者、聞いていた者はここにはいない。
姿を変えるのは面倒だ。もし人に、ラトゥンと暴食が同一だと結びつけられると、せっかくの独立傭兵の身分や姿を手放さなくてはいけなくなる。
「神殿騎士だったら、色々聞きたいことがあったんだが……」
ラトゥンは教会内を歩きながら呟く。
聖教会を裏の顔は、悪魔たちの組織。人間という信者を欺し、利用している。神殿騎士も悪魔と契約し、力を得た者たちだが、先日始末した騎士とのやりとりで、どうにも殺してしまうのは早計だったのではないか、と思ったのだ。
完全に悪魔の奴隷になる前とおぼしき騎士は、もしかしたら殺さずにも助けることができるのではないか。これは自分のお人好しな本性が出ているのかもしれない。
悪魔の一味として、武器を向けてくれば返り討ちにする。だが、真実を知らず、騙されているだけかもしれないと思うと、どうにも罪悪感が込み上げてくるのだ。
「甘い性分は捨てられないものだな」
ラトゥンは自嘲する。
人のいない教会を後にしようとして、強烈な存在を感じた。
敵か。
その気配を探る。教会の外、いや屋根の上にいる。先ほどまで感じなかったから、飛んできたとでも言うのか。
悪魔であるなら空を飛べる種もあるが、ひょっとして神父の仲間かもしれない。異変を察知して様子を見に来たか。
「さあ、どう動く?」
ラトゥンは天井を見上げる。果たして、暴食とバレたのか、ただの通りがかりの人間と判別されているのか。神父だった悪魔を始末した時点で、後者と思ってもらえる確率は低い。
次の瞬間、天井が吹き飛んだ。無数の破片が弾丸の如く降り注ぐのを、ラトゥンは長椅子の下に潜り込んで回避。さらに大きな破片が落ちてきて、いくつか長椅子が潰れてバラバラになる。
もうもうと立ち込める砂埃。嵐が過ぎ去り、静かになる教会内。そこに降り立ったのは、仮面をつけた女であった。