ランカナ・ハンターギルドのギルドマスター殺害と、暴食騒動から一カ月。
悪い夢だと、独立傭兵のラトゥン・サンダーは、以前のそれを思い出して憂鬱になった。ここはハンツ村の宿屋。その二階の一室、ベッドに横になっていた。
窓から朝日が差し込んでいる。長い夜が明けて、しかし村は、騒然としていた。大体見当はついている。
浮ついた空気を感じながら、ラトゥンは気にする様子もなく、ベッドで二度寝した。そんな彼が身支度を整え、下の食堂兼酒場に下りたのは、昼過ぎであった。
食堂で昼食を摂っていた者たちが、夜中に起きたであろう事件の話をしていた。
神殿騎士の一行が襲われた、と。
「二人も神殿騎士様を殺したなんて……。いったい相手は何者なんだ」
「ただの獣じゃないよな……」
「獣ごときに騎士を殺せるものかよ。悪魔だろ」
「噂の暴食って奴じゃないのか」
ざわついている食堂。魔獣や悪魔討伐では最高戦力である神殿騎士が殺害されたのだ。裏を返せば、そんな専門家を殺した存在が、村の近くにまだいるかもしれない。村人たちが不安になるのも仕方がなかった。
「なあ、あんた――」
ラトゥンは、唐突に声をかけられた。酒場のマスターだった。
「独立傭兵だろ? 村長からあんたに頼みたいことがあるらしい」
「仕事か」
わかってはいたが、ラトゥンは傭兵らしく振る舞う。ただ働きはしない、というスタンスをにじませれば、マスターは頷いた。
「そういうことになる。あんたも察しているだろうが、詳しい話は村長から聞いてくれ」
「……仕事ならな」
およそ神殿騎士殺しに関係して、村の周りにそれをやった魔獣なり悪魔なりがいないか見回ってほしい、というところだろう。あわよくば、その敵の排除を依頼されるかもしれない。
ハンターなどと違い、独立傭兵はギルドに属していない。独立傭兵専門のギルドもあるにはあるが、一部の都市だけといった具合で、どこにでもあるものではない。
だから酒場などで情報を集め、仕事を自分で探し、いざ仕事にありついても交渉も自分でやらねばならない。
ラトゥンもその例に漏れず、自ら仕事をくれそうな相手の元に出向く。今回は、あちらから声をかけてきたので、そこを訪れるだけでよかった。
くたびれた雰囲気の村にあって、それなりに大きな建物が、村長の家だ。扉をノックすれば、疲れた感じの婦人が出てきた。
「独立傭兵のラトゥン・サンダー。村長が俺に用があると来た」
「どうぞ……」
愛想の欠片もなく、婦人はラトゥンを家に招いた。傭兵と聞いて、手放しで歓迎する者など稀だ。
客間に通されれば、村長と名乗る初老の男がやってきた。
「依頼を聞こうか」
無駄話はするつもりはないラトゥンである。村長は少し緊張した面持ちで首肯した。年下、若造といってよいラトゥンに対して、丁重な態度になるのも、相手が『傭兵』であるからに他ならない。
何より武装しているし、下手なことを言って機嫌を損ねれば、平気で暴力に訴える者たち、それが傭兵という認識があるのだ。
村長の依頼は、ラトゥンの想像通り、村周辺に危険な魔獣なりがいないかの確認だった。
「そいつと遭遇した場合、倒したら追加報酬は出るのか?」
ラトゥンは尋ねる。基本的に、傭兵は金にならないこと、自分にとって有益でなければやらないのだ。
「……そうですね。相手次第ではありますが」
敵の正体がわからないので、歯切れが悪い村長である。
「ただ相手は神殿騎士様を二人も殺したほどですから……」
「それもそうだな。仕事としての最低ラインは、村周辺にその神殿騎士を殺した敵がいないかの確認ということでいいな?」
「よろしくお願いいたします」
報酬額について話し合い、折り合いをつけたら契約成立である。倒したら追加報酬というふうに追加報酬の話をしつつも、どうせ見回りだけで終わるとわかっているラトゥンなので、特に料金を引き上げたりはしなかった。安すぎる仕事はしないが、そうでないなら無理に吊り上げることもない。
「――しかし、何だって神殿騎士様が」
村長は呟いた。
「神の契約によって、天使の加護を授かった騎士様となれば、それを殺すなど考えられない」
一般人は、聖教会は神を信仰し、地上の人々に救済を与えるものと信じて疑わない。特に信心深い教会の騎士たちは、神より力を授かり、地上の悪を退治するとされる。
「それが本当に、天使の加護だったなら、な」
ラトゥンが言えば、村長は目を見開いた。
「どういうことです?」
「こんな噂を聞いたことがあるか? 聖教会は実は悪魔を信仰していて、神殿騎士たちは天使の加護を授かるのではなく、悪魔への隷属契約によって力を与えられる、というものだ」
「なんと!? そんな世迷い言が――」
「噂だよ。本当かどうかは知らない」
「不謹慎な噂ですな。それこそ悪魔が、聖教会への嫌がらせに流布している噂では」
村長は怒りを滲ませる。信仰を疑う不心得者やその手の噂に憤りを感じているようだった。
――世の中なんて、こんなものだ。
ラトゥンは口元を緩める。所詮、人は自分の信じたい、信じているものしか受け付けないのだ。たとえそれが間違っていても。
・ ・ ・
結局、わかっていたが、村の周りに脅威となる存在はいなかった。
それもそのはず。神殿騎士を殺したのは、ラトゥンだから、犯人探しをしたところで、見つかるはずがないのである。
「本当にいなかったのですか?」
「俺の仕事を疑うのか?」
「いいえ、そんな! 滅相もない」
約束の報奨を受け取り、ラトゥンは村にもう一泊し、明日、村を出ることにした。
酒場で安酒を呷り、マスターから話を聞く。
「魔女、ですか……?」
「そう、人の願いに対して、それを叶える道を教える魔女の話だ」
「噂は聞いたことがあります。噂というか、半ば伝説というかお伽話というか。……本当にいるかまでは」
「いたとして、どこにいるかは……わからないか」
「ええ、私には」
マスターは知らないと答えた。そうか、とラトゥンは酒で喉を焼く。
「何か、願い事があるんですか?」
話の種に聞いてくるマスター。ラトゥンは微笑した。
「俺の願い?」
暴食を捨て、元の人間に戻る方法が知りたい。呪いによって悪魔になったのだから、その呪いを取り除くことができれば、悪魔から人間に戻れるのではないか。ラトゥンは、ラトだった頃の自分が忘れられない。
たっぷり間をとり、ようやくラトゥンは言った。
「この世から、悪魔がいなくなること、かな……」
「そうですね。……そうなるといいんですがね」
マスターは肩をすくめ、作業に戻った。
ラトゥンはグラスを見つめる。魔女に願うまでもなく、聖教会とその悪魔は葬るつもりだ。
当面は王都を目指す道すがら、彼らの拠点になりそうなところを巡り、全て潰していく。町や村に聖教会があるならば、そこにいるだろう悪魔を狩る。
復讐の旅は、まだまだ続くのだ。