ランカナ・ハンターギルド。そのギルドマスターであるヘイケルは、自身の執務室で報告を受けた。
一度目は、神殿騎士団団長である、シデロス卿。二度目は、『事情を知らない』ハンター職員からのもの。
今し方あった後者の報告によれば、『暴食』はハンターによって倒され、その力はそのハンターに移った。
神殿騎士団によれば、要注意悪魔級は、倒すとその倒した者に取り憑いて新たな体とするのだという。一種の呪いだ。
だから限られた一部の者以外が倒してしまうと、その者が次の要注意悪魔となってしまう。
本当ならば、ハンターが倒してはいけない存在ではあった。だがそれを、ヘイケルは言わなかった。呪いのことを知っていたにも関わらず。
報告の終わった職員が退室し、執務室に一人になると、ヘイケルは葉巻に手を伸ばした。
「ふん……。まあ、犠牲は出たが、暴食の呪いを受けたのが、ラトでよかった」
ヘイケルは、紫煙を吐き出す。
あの田舎者は真面目過ぎていけない。ハンターをヒーローか何かと勘違いしている。
「ハンターってのは、もっと汚くて、シビアなもんなんだ。ヒーローごっこがしたけりゃ騎士にでもなってろってんだ」
昔はハンターだったヘイケルは、理想や夢を求めてハンターになる奴が嫌いだった。入りたてのルーキーであるなら、そのうち現実を知ってハンターらしくなる。そういう人材は、若気の至りと笑って流せるが、ラトは駄目だった。
上級ハンターになった後も、清廉潔白、規則正しく、一般人からも愛される人間であろうとした。そんな勘違い野郎であるラトの態度は、ヘイケルにとっては鼻について仕方がなかった。
だが今回の暴食狩りで、ラトがその呪いの餌食になったことは、ヘイケルにとっては不幸中の幸いだった。
「ざまあみろってもんだ! ハハハッ。……まあ、あいつに付き合って口封じされたアンバー・ラビットの奴らは気の毒ではあったが――いや、そうでもないか」
ラトほどではないが、そいつと連むような仲間だ。同郷らしいし、感化されているところもあったから、ちょうどよかったかもしれない。
「まあ、あとは神殿騎士団が何とかするだろうし、こっちは嫌いだったラトを消せた。まあまあよかったんじゃないかな、ははっ」
その瞬間、ガタンと音がした。部屋にあった何かが倒れたようなそれ。ビクリとして思わず席を立ったヘイケルだが、真っ黒い腕が伸びてきた。首を掴まれ、書棚に背中からぶつかった。
「うがっ!?」
『ヘイケル、貴様ァ……』
地獄の底から響くような声だった。人間ではないのは、その黒き姿からも一目瞭然だった。
「あ、悪魔――!」
首を押さえられ、さらに書棚に押しつけられていてヘイケルは動けなかった。せめて拘束を振りほどこうと、もがくが、ヘイケルの手は悪魔の腕に抵抗できない。
『知ってイタんだナ! こうなル事を、シっていタんダナ!?』
何を言っているのか? 悪魔に捕まっている状況に混乱しつつ、ヘイケルは頭を働かせる。どこから入ったか、は今はどうでもいい。この窮地を脱するにはどうすればいいか。人を呼べば――は、目の前のギラギラした目に凝視されていて無理。下手なことをすれば悪魔の手が容赦なく、ヘイケルの首の骨を砕くだろう。
「お、お前ぇ……」
かろうじて気道は確保されているが苦しいのは変わらない。しかし、脳に酸素が足りなくなるのも時間の問題だ。どうしてオレは悪魔に――走馬灯のようによぎったのは、理不尽な怒り。
『お前ハ、全てを知ッテいて、殺シタなァ!? ルイサとダンケルを――』
何を言っているのだ、こいつは――ヘイケルは困惑する。だがルイサとダンケルと聞いて、もしや、と気づく。
この悪魔は、ひょっとして――
「お、お前、は――ラト、か……ぁ?」
『何故ダ? どうしテ、こうナッタっ!』
やはり、こいつはラトだ。暴食の悪魔になったラトだ――ヘイケルは確信した。これを神殿騎士に通報できれば助かるか? しかしどうやって伝える?
しかしヘイケルもまた限界が近づいていた。このままでは本当に殺されてしまう!
「わ、わかった! い、言う、いう、いうか、ら――!」
目元が暗くなってくる寸前、僅かながら悪魔の力が緩み、息ができるようになった。
『話セ』
冷淡に、しかし燃えたぎる怒りを滲ませて悪魔は、熱い吐息を吐いた。どこからどう見ても、悪魔以外の何者でもない。本当にラトは『暴食』になってしまったのか……!
かつては名うてのハンターだったヘイケルだが、今はただ恐怖に身を震わせるしかなかった。
・ ・ ・
暴食となってしまったラトは、神殿騎士から逃れ、ランカナ・ハンターギルドへ戻った。もちろん今回の事態について、ギルドマスターに報告するためだ。
暴食狩りの裏で神殿騎士団が何かを企み、ハンターが……パーティーメンバーが殺されたことも含めて。
しかし、悪魔となってしまったことで、正面から行けば、おそらく問答無用で攻撃されるだろう。故に裏手に周り、ギルマスのヘイケルが一人のところで直接会って、この姿になったことと共に説明しようと考えた。
だがラトが聞いたのは、ヘイケルの独り言。先に受けた報告に気を良くし、それで気分が大きくなったのが、言わなくてもいいことをベラベラと喋っていた。
人は気分がよくなると、普段ならしない独り言をつい口にしてしまうものだ。要するに平常とは言い難い心理状態なのだが、それについてはどうでもいい。
問題は、ギルマスは、今回の件、つまり神殿騎士団のやっていることを知っていたことだ。そういえば、あの騎士団長も、ギルドマスターは知っている、と言っていたのを思い出す。どうやら正常でなかったのは、ラトも同じだったようだ。
それはともかく、ギルマスは、承知の上でハンターたちには知らせずに依頼に狩り出した。そしてラトが、暴食となったと聞いて喜び、アンバー・ラビットのメンバーが殺されたと聞いても、惜しむどころか笑っていた。
当然、ラトが穏やかに聞き流せるはずもなかった。すぐに腕が出て、ヘイケルを捕まえると、この暴食狩りの裏を吐かさせた。
どこまで知っていたのか? 所属するハンターを暴食の生贄にしたこと、そして仲間が何故殺されたのか。
ヘイケルは話した。聖教会からの要請を受けたこと。暴食を倒して、その力を呪いとしてハンターに継承させ、まだ完全ではない状態で騎士団が捕獲する――
神殿騎士団、いや聖教会は、その暴食の力を手に入れようとしている。何に使うかはヘイケルも知らないという。だから、教会には逆らえなかったんだ、許してくれ、と懇願した。
――こいつは、嘘をついている。
ラトは直感した。話は本当だ。教会のせいというのもそうだろう。しかしヘイケルは、慈悲にすがればラトは見逃してくれる、助かると思っている。そして、事が済んだら神殿騎士団に通報して……。
――何で、俺はそれがわかった?
まるでヘイケルの心の中を覗いたような、そんな感じだった。それは臭い。反吐が出そうになるくらい真っ暗な性根が、掴んでいる腕から伝わってくるようだった。
これも悪魔化したことでわかるようになった力の一つだろうか? 悪魔は、人の心を巧みに操るとされる。その中には、人間の魂、心を読み解く力があるとか。
『これで、全部か?』
コクコクと頷くヘイケル。
『俺ハ、元ノ人間に、戻れルのか?』
「それは……わからない。すまない、本当にわからないんだ!」
嘘ではない。
『信じよウ』
そこでホッとするヘイケル。何を勘違いしているのか?
『ダレも、助けるトハ、言ってイナイが?』
「ひっ!?」
ラトは左手で、ヘイケルの頭を掴んだ。
『俺ノ、左テが、おマエを喰いタガっている……。俺を暴食にした礼ダ』
「うあああああああっー!!」
因果応報。ラトを悪魔に変えるきっかけを作った男は、その悪魔によって報復されたのだ。
そして、ラトは姿を消した。