さて、時は現代に戻る。
プレ宿泊が終わった1週間後の土曜日のお昼過ぎ。
午後からは三鷹先輩が缶詰から解放されるから、とても面倒なことになるのは安易に予測できる。
今は、もの凄く仕事がなくて、ボーッとしているのも嫌なので、新島先輩と諸岡夫婦に読ませるために、少し長いDMをまとめていた。
『俺が学生時代のころ、仕送りが途絶えた親の気持ちが今になって分かった。ここまで苦しみながら親が大学に入れてくれたことを感謝しなきゃ。』
幸いにも今は、恭治は中学生だし、葵が幼稚園児で良かったと内心は思っていた。
これが高校を卒業して、どこかの学校に入るとなったら、親の負担は相当に辛いものになる。
俺はここまでのDMを書き終えると、新島先輩と諸岡夫婦に送る前に陽葵に読ませる。
陽葵は何やら携帯から電話がかかってきたしいが、その電話を終えると、葵がスマホの幼児向けゲームに夢中になっている間に、この文章をザッと読む。
そして、読み終わると、すぐさま感想を口にした。
「あなた、これを新島さんに読ませるのは、少しだけ恥ずかしいわ。でも…、わたしが酔っ払って、間違えて送った内容よりはズッとマシよね?。」
「まぁね、マシなのは当然だよ。新島先輩が、これを読んで冬になってウチに押しかけて欲しくない想いを込めている。新島先輩がいれば、自ずと棚倉先輩の暴走が止まる。それに、諸岡なんて1月から春頃までは、ここよりも雪が酷いから、ウチには絶対に来られないからなぁ。」
「フフッ、諸岡さんはそうよね。近頃は、温かい日が多くなったせいか、12月から雪が降るなんて希だけど、雪の日に初めてここに来た時は吃驚したのよ。だって、もの凄い雪なのに、普通にチェーンをつけて走っているんだもん。」
俺は、陽葵の感想を聞きながら、新島先輩と諸岡夫婦にDMを送信をした。
ほどなくして、諸岡の奥さん(白井さん)から返信のDMが届く。
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旦那は、あいにく仕事中だから、わたしがザッと読ませてもらったわ。
あの当時、初めて旦那と一緒に実家に行った間に、寮長と陽葵ちゃんは相変わらずドタバタだったのね。
わたしたち家族は、旦那の緊張をほぐすために、スキーに連れて行ったり、一緒に焼肉屋に行ったりして、旦那が馴染むまで、相当に苦労をしたのよ。
うちの旦那は、ズッと固いままだったけど、正月が明けてから、ようやく緊張の糸を解いたの。
もぉ、今だから言えるけど、あの当時はお互いに、ちょっと恥ずかしすぎて、体の交わりすら危うかったのよ。
こうなると、寮長たち夫婦が、とても羨ましいわ。
それにしても、あの当時を振り返れば、寮長が私たちでは扱いが難しかった棚倉さんや延岡さんたちのお相手をしてくれたのは、本当に助かったわ。
だって、陽葵ちゃんの暴漢事件絡みになると、途端に延岡理事や延岡さんが出てきたり、棚倉さんが、やたらと話したりするから、そうなると寮長しかマトモに話せないから困っていたのよ。
ここはやっぱり流石だと思ったし、旦那もそれは同じだったのよ。
あんな気難しい人の相手なんて、あの当時の学生身分では、寮長ぐらいしか、できなかったのよ。
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俺と陽葵はこれを読んで、少しだけ溜息をついていた。
「あの当時、白井さんや諸岡さんは、わたしたちを意識しすぎて真似をし過ぎたのよ。今は結婚して時間が経ったお陰で解決したけどね。あの当時の2人は、できる限り私たちに似せようとしているのが分かって、わたしたちも再三、思い留まるように説得したけど、ダメだったわよね。」
「アレには参ったよ。諸岡はあの性格だから、白井さんの家に慣れるまで時間が掛かったのは当然だろうね。諸岡はその時のことを口にしたことがない。あの当時、寮に戻ってからも、俺や松尾さんから、その事を聞かれると、普通でしたけど緊張しました…、としか言わなかったし。」
「そうだったのね。やっぱり、わたしと恭介さんでは環境も立場や性格も違うから、それは無理があるわよね?」
「その通りなんだよ。諸岡と白井さんは、これで懲りたかと思ったけど、俺が卒業するまでスタンスが変わらなかったから、あの当時は本当に困ったよなぁ。」
俺も陽葵も当時のことを思い出して、苦笑いを浮かべている。
「そうよね、わたしは3年生になってから、2人を放っておいたもの。恭介さんも同じスタイルだったのを思い出したわ。」
「うん、そうしないと、何でも俺たちの真似をしちゃうから、デートの行き先とか、長期の休みの予定を教えずにいたのを思い出したよ。」
「フフッ。そうだったわ。だって、それを絶対に真似しちゃうし、やっぱり無理があるから、あの2人は絶対に最後は食べ歩きのプランになってしまうのよ。」
「そうだよ。それぞれのスタイルがあるから、無理をすると大変なことになるからさ…」
そんな話を陽葵としていたら、今度は新島先輩からのDMが届いた。
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いやぁ、やっぱり延岡理事と延岡さんは、ある意味でウチの寮にとっては鬼門だったのは間違いないな。
だってさ、あの事件がアッサリと解決した後の緊急寮長会議で、延岡理事の話が長くて、俺たちは嫌気が差していたし、何かあると、あの理事と学生委員長がひょこっと出てくるからタチが悪かった。
まぁ、事件が解決した後に、理事に夕飯を奢ってもらったけど、それでチャラにはならないからさ。
お前の家が相当にド田舎にあることは分かるけど、まさか、荒巻さんまで出てきて、延岡さんや延岡理事を阻止しようとしていたなんて、思いも寄らなかったから吃驚したよ。
うちが住んでいる地域なら、飛騨高山なんてのもあるけど、お前の地域は、それに海がついたような感覚だもんな。
飛騨高山よりはマシだと思うけど、やっぱり田舎すぎるのは同じか。
ちなみに、お前と陽葵ちゃんの仲について、具体的に突っ込むのは避けるからな?。
当時は若いから、こうなるのは目に見えてわかるし、お前が恥も外聞もない状態で、こんな恋愛小説みたいな文章をシレッと書けるなんて今まで知らなかったけど、新手の俺への意地悪だと思って受け取るぞ。
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陽葵はそれを読んでクスッと笑っている。
「あなた。新島さんに意地悪のつもりで書いた訳じゃないのは、わたしも分かるわ。だけど、読むほうは、ちょっと試練があるわよね?。」
「それは、そうさ。こうやって、記憶に残すことで、大好きな陽葵ちゃんを、なぜ、俺が愛し続けているのか、その気持ちを整理している意味もあるのさ。」
「もぉ~~♡。わたしも人の事は絶対に言えないけど、そうやってお互いが自然にノロケてしまうから、周りが大変なのよ。若い頃から、私たちの自然なノロケで、みんながノックアウトしているから、今さら…って感じがあるけどね…。」
「まぁ、べつに減るもんじゃないから、無理に偽りの姿を装ってもしかたがないよ。それに、惚気てしまうのは、自然の摂理だから仕方ない。」
そんなことを陽葵としていたら、チャイムが鳴る。
そして、俺と陽葵が慌てて玄関に行くと、そこには良二がいた。
「恭介や、うちの嫁(三鷹先輩)を迎えに来たけど、旅館に行く前に、ここに寄ったよ。下手に旅館で待つよりも、ここで待ったほうが効率がよい気がしたからさ。」
「良二、今日、終わる予定だって聞いたけど、完全に終わったなんて連絡がないから、ここで待つのは得策かも知れない。今頃、木下とプロットの相談でもしているかも知れないし。」
「そうだよな。下手に俺が行くと、その話が切り上げられてしまう可能性があるから、お前の家に来たんだよ。そのほうが逆に嫁の作業を中断しなくて済む。」
陽葵はニコニコしながら、良二をリビングに迎え入れるために声をかける。
「本橋さん、そんなところで話をしていても仕方ないから、リビングで待ってましょ。そのうち連絡があると思うから、そうしたら行きましょうよ。」
「奥さん、ほんとうに助かります。ウチの嫁がしっかりと進捗を守らないばっかりに、恭介の家で、愛理ちゃんを見ることなった話を大宮から聞きましたし、色々と巻き込んでしまったのは、マジに悪かったです。」
「大丈夫よ。うちの葵は友達ができたと喜んでいるから、それに超したことはないけど、明日でお別れだから、2人ともちょっと複雑なのよ。だから、スマホゲームに夢中になって誤魔化しているかもしれないわね。」
「奥さん、女の子は複雑だねぇ。それに、やっぱり、少し周りが見えているのだろうね。そうそう、恭介の親父さんとお袋さんに手を合わせてからリビングに行くよ。」
その後は、良二と俺と陽葵、それにスマホゲームで夢中になっている葵を交えながら、三鷹先輩が終わるまで、雑談をすることにした。
「良二さぁ、夕飯時になると、木下と大宮が1日ごとに交代で俺の家にきて、飯を一緒に食べる羽目になって、ある程度の進捗は把握しているけど、まぁ今日は間違いないだろうと思っている。」
「俺もそうだと思っているけど、チョイと怒った木下さんが、鬼のように原稿を書かせた話を大宮から聞かされたから、随分と進めたらしいよな。それでもウチの嫁はサボるから、それで良いかもしれない。」
「まぁ、木下のことだから、少し余裕を見ながら描かせたと思うから、そこは黙って見ているしかないと思うけどね。」
俺はあえて、良二と三鷹先輩の間に子供をつくる時間を作るために、木下が鬼のようにスケジュール管理をする決意をした話を伏せた。
これを言ってしまうと、本人達にとってプレッシャーになってしまう事もありうるからだ。
「恭介や、うちの嫁は、水族館で夕方まで過ごした後に、あの食堂でたらふく飯を食べて、飲みまくって、温泉旅館でゆっくりと過ごしてから明日の朝に帰るつもりでいるぞ。」
そこで陽葵がボソッと俺たちが知らなかった情報を出してきた。
「今日は旅館からマイクロバスが出て、大宮さん夫婦や本橋さんの夫婦や、私たちも含めて、水族館に行った後に、あの食堂まで運んでくれるそうよ。旅館での夕食が抜きになるから、旅館の配慮でその食費を食堂に回して、過剰分を木下さんの出版社に請求する感じらしいわ。」
その件について、俺も良二も初耳だったので、ポカンと口を開けている。
「おっ、奥さん、それって、初耳だよ。そこで自分と同じようにポカンと口を開けている恭介にも、事前に話しておいてくれ。完全に旅館と食堂側で連携が取れすぎていて、俺たちが出る幕がなさそうだよ。」
「その通りよ、本橋さん。さっき旅館の女将さんから電話が掛かってきて聞いたのよ。私たちや本橋さんも、食費が出版社側から出るらしいわよ。たぶん、マイクロバスでウチに来ると思うから、そろそろ、息子たちを着替えさせようと思っていたの。」
「まぁ、連絡はともかく、そうか。あの旅館の女将さんと、あの食堂の店主って、たしか高校が同じで、先輩・後輩だった気がしたなぁ。」
「ふふっ、あなた、その通りよ。それで凄い連携が取れたの。」
それなら、早く恭治に支度をさせたほうが良いよ。
女将さんは連絡をしてくるだろうし、俺たちもマイクロバスに乗り込む手はずだろうけど、待たせたら面倒くさいからさ。
陽葵はうなずくと、恭治を呼びに行って急いで支度をさせる。
葵のほうは、手間が掛かるからすでに着替えているので安心して見ていられるが、油断はできない。
「しかし、お前の下の子供は、もう3歳にしてスマホで遊んでいるんだな。今の子供は脳みそが発達しすぎて吃驚しているよ。」
「そうなんだよね。だからこそ、そういう遊びをしている時間の隙間に、親は用事を済ませる事が多いのだけどさ。」
その後は、色々と陽葵や良二を交えて雑談をしていたところ、良二の携帯に電話がかかってきたので、十中八九、三鷹先輩からの電話であろう。
良二が面倒くさそうに電話に出ると、玄関から外に出て話している。
たぶん、話が長くなるのを阻止するためのノウハウもあるのだろうから、それを、俺たちに聞かれたくなかったに違いない。
彼らは夫婦なので、俺が若いときに使っていたような、三鷹先輩に対して簡単に黙らせる戦法を使ったら、夫婦仲が冷え込むことは確実だし、先輩のことだから、1時間以上の長電話なんてザラにあるような気がする。
「本橋さんは、三鷹さんの長電話を避けるのに、四苦八苦している感じよ。とても困った顔をしながら、電話をしていたわ。わたしも若いときに経験があるけど、三鷹さんと電話で話をしたら止まらないから、この状態で長電話をされたら、とても厳しいわよね?」
「そうだね。良二は、早く水族館に行きたいから、あとで話を聞くから、とか、美緒さんと話をしていたら、飯が食える時間がなくなるから、その時にゆっくり聞くなんて言っていたかな。良二は色々と苦心しているようだ。」
陽葵はそこで悪戯っぽく笑う。
「そうよね。学生時代にあなたが、三鷹さんに接したように、冷たい言葉でシレッと終わらせることは、夫婦なら無理よね?」
「良二の立場なら、そんな俺の戦法が使えないから、苦労していると思うよ。ただ、三鷹先輩もノロケに弱いから、ウチの嫁が美人で仕方ないとか、喋る姿が愛らしいとか言ってしまえば、色々な意味で黙ると思う。」
俺がそんなことを陽葵と話をしていたら、良二が電話を終えたらしく、リビングのソファーに座っていた俺の頭にチョップを食らわせた。
「恭介や!。俺はお前みたいに、奥さんを恥ずかしがらせるような、ノロケる高等技術をもっていないわ!。それを俺がウチの嫁でやったら、嫁は色々な意味で再起不能になって、原稿が描けなくなるぞ!。」
陽葵は良二を見ながら、俺への抗議を黙って聞いた後に、可愛い陽葵ちゃんの天然が発動し始めた。
「本橋さん。うちの夫は自然と本音を吐くから、わたしはその言葉で、結局は悶えてしまうのよ♡。ダメよ。本橋さんの奥さんは、あんな感じだけど、とても純情だから、ストレートな言葉に弱いわ。うちの旦那のように自然体でノロケれば、絶対に奥さんのお喋りが止まるわ♡」
良二は、なんとも言えぬ表情を浮かべて、陽葵にダメ元で必死に抗議をする。
「おっ、奥さん!!。俺たちは、奥さんとコイツのノロケに、やられ続けているのですよ?。そんな年季の入った筋金入りのノロケと、俺のような付け焼き刃みたいな言葉じゃ、月とすっぽんですわ!!」
よく見ると、良二の額から、脂汗が流れているのが分かるし、ガラにもない言葉を放つのは、無理がありすぎると思ったのだろう。
まして、陽葵が天然をむき出しにして、良二に対して本気になってアドバイスをしてるから、俺は助け船を出す。
「それは一旦、置いといて、そろそろ、先輩たちはこっちに来るのか?」
俺が暗に良二に助け船を出すと、良二はホッとした表情を浮かべている。
一方で陽葵は少し残念そうにしているが、こうなったら簡単には諦めないだろう。
「恭介、その通りだ。木下さんとプロットの打ち合わせが終わって、今から旅館のマイクロバスでこっちに向うらしいよ。ただ、ウチの嫁は余計な言葉が多いから、要件が分かるまでに時間がかかっちまって…。」
ここで、陽葵がニヤッと笑って再び良二に話を蒸し返す。
そのニヤッとした陽葵の顔を見た良二が、少し怯えながら額から脂汗が流れたのが分かった。
「本橋さん、そういう時は、美緒の綺麗な姿が早く見たいから、綺麗でいれば、それでいいのさ♡。何てセリフが妥当よ。絶対に本橋さんの奥さんは黙るわよ。大丈夫、その後のことは、わたしに任せて♡。」
「奥さん!!。俺がそんなことを言うのは不可能ですよ!!。そんなことを言ったら、嫁は恥ずかしがって、ズッと黙ってビールを飲んだままになりますよ?。それは、それで怖いですわ!!」
俺と陽葵は、良二の必死な弁解を聞いて、苦笑いを浮かべるだけになった。
たしかに、お喋りが止まってしまう三鷹先輩は、ある意味で不気味でもあるのだ。
「まぁ、良二。そのまま陽葵に任せるってことは、夫婦仲がより良くなる結果になるから、結果的には良二と三鷹先輩にメリットがあるってことだ。」
「恭介!!。そういう問題じゃねぇ!!。お前らは、マジに怖すぎるんだ。学生時代よりも愛を重ねすぎてノロケがパワーアップしてるから、お前らは、歩くおノロケ兵器になっている。それに加えて、奥さんの愛の女神っぷりが健在だから、余計に怖い。」
陽葵はそれを聞いて、昔のように、よく分からない神様のポーズをとっているから、可愛くて仕方ない。
良二は若い時からの惰性もあるのか、なぜか陽葵を拝んでいるから、始末におけない。
俺は溜息をつきながら、マイクロバスが来るのを待つことにした。