俺は陽葵から千鶴さんの電話を受け取ると、少しだけ携帯から耳を離した状態で受け答えた。
先輩の声は電話でもよく通るし、見知らぬ女性の電話だから、あまり汚したくなかったのだ。
「先輩、俺も陽葵も怒っていませんから安心して下さい。陽葵が詳しい話をした通りです。それよりも私たちが帰った後に、千鶴さんに何か奢ってやって下さいよ。それと、さっきまで、小笠原先輩と話をしていて、延岡さんたちが寮に来るから、松尾さんや荒巻さんが頭を抱えていると騒ぎになっていて、助けてくれと懇願されていたのです。」
「三上、その事情はやむを得ない。延岡理事が来たら厄介なのは俺も分かるからな。そんなところで、加奈子の家族を含めて一同でヘマをしたので済まなかった。お前達は千鶴に世話になったようだから、あとで加奈子がお詫びも兼ねてお礼をすると言っていた。加奈子も俺も、このグループで寄り合いをして、俺たちが遅刻をすると、よく千鶴から怒られるのだが、今日は極めつけだった。今回は全て俺たちが悪い。」
俺が少し電話を耳から外していることで、棚倉先輩の声が少し漏れているので、陽葵も加奈子さんも俺に少し近寄って耳を澄まして話の内容を聞いている感じだ。
「先輩、それはもう分かったので、やってしまったことは仕方がありませんが、俺と陽葵は、こんな事情なので5時頃の新幹線で帰るのがタイムリミットです。これから会うなら、早急に準備をしないと、こんなところで電話で話していては、時間が無駄になってしまいます。」
俺の言葉に陽葵と千鶴さんが思わずクスッと笑っているが、今はそれに構っている余裕がない。
「三上、ほんとうにすまぬ。今から親たちも連れて、そちらに行くので、取りあえず千鶴と電話をかわってくれないか?。お前に場所を教えたところで、千鶴じゃないと案内が難しいだろう。」
「わかりました。」
そのあと、千鶴さんに電話が変わると、どうやら棚倉先輩や加奈子さんも交えながら、落ち合う場所を色々と探っているようだ。
その間に陽葵に、さきほどの棚倉先輩の電話に関して話しかけられた。
「やっぱり恭介さんのほうが話がうまいわ。あの言葉だけで棚倉さんを納得させられるのが凄いと思うの。それにね…、あの棚倉さんに、これ以上、無駄な電話はやめてほしいなんて、ハッキリとは言えないわよ。」
「陽葵がおおかた言ってしまってるから、説明が楽だったよ。先輩とは色々と寮でやってきた関係だから言える話だからね。普通の人がアレを言ったら棚倉先輩と理不尽な言い争いが起きる可能性もあるから怖いよ。」
そんな話をしていたら、加奈子さんは電話を終えたようで、俺と陽葵の話に加わる。
「棚倉さんにとって三上さんのポジションって、新島くんと同じような扱いよね。普通の人があんな言いかたを棚倉さんにしたら、かなり面倒になるわ。わたしだって遅刻した時は強く言えるけど、加奈子ちゃんに言うのが精一杯だから、あそこまで踏み込んで言えるのは流石だわ。」
「ほんと、恭介さんは凄いわよ。」
陽葵が千鶴さんの話に同意しているが、すぐさま千鶴さんが陽葵に突っ込む。
「陽葵ちゃん!!。彼にあれを堂々と言えるのは、もう、かなりの凄腕だわ。三上さんと同格よ。加奈子ちゃんと同じで、ここに棚倉さんキラーが2人もいるのが奇跡なのよ。わたしなんかは加奈子ちゃんや新島くん、棚倉さんとは小学校の時から知っているけど、こんなにズバッとは言えないよ?」
『先輩はマジに、とっつきにくいから尚更だろうなぁ。俺の場合は1年のときから棚倉先輩から可愛がられていたから、素直に話を聞いてくれたし、陽葵は俺の彼女だから、その辺が効いているだろうから。』
俺は流石に、これ以上の会話はやっても仕方ないので、話題を切り替えることにした。
「千鶴さん、ところで、先輩たちと何処で待ち合わせなのでしょうか?。なんだか豪華すぎる店で待ち合わせなんて、私は御免被りたいですよ?。」
「うーん、具体的に言うと、この駅の近くで、私たちも絶対に行けないような、ひつまぶしのお高いお店よ。」
俺と陽葵は顔を見合わせた。
「陽葵、できる限り食べよう。1つ4000~5000円以上するような代物だから、滅多に食えない思うから。たぶん、慌てて席をとっているだろうから、そこで俺たちの新幹線の時間まで潰すつもりと見た。」
「三上さんは理解が早くて助かるわ。たぶん三上さんと霧島さんは行かないと思ったけど、今から行く店のパンフレットも入れておいたから、なおさらよね。」
それを聞いた陽葵がポカンと口を開けている。
「ちょ、ちょっとまって…。ゆっくりとご飯を食べたとしても、味噌カツのお店でお腹が満たされてしまっているわ。」
「大丈夫よ、陽葵ちゃん。いざとなったら、ウナギだけでも食べてよ。あとは三上さんに任せておけば大丈夫よ。さてと、まずは、ここから出て少し歩くわ。三上さんが持っている荷物が辛そうだから、コインロッカーに荷物を入れちゃおう。どのみち、ここへ来るからね。」
俺は加奈子さんに言われるままに、偶然にも1つ空いていたコインロッカーを見つけて、持っていた荷物をロッカーに入れた。
『車じゃないと、こういう部分が辛いんだよなぁ。車に荷物を置けないから、手に荷物を持つと少し辛い。』
そして、俺たちは千鶴さんの後を黙ってついて行く感じなのだが、この人はどこか陽気な人らしく、基本的には接客業だからお喋りが好きなようだ。
まぁ、三鷹先輩のような弾丸トークじゃないから、相当にマシなのだが…。
「三上さんのことは、棚倉さんや新島くんから嫌ってほどに聞かされたわ。しかし、実際に会ってみると、一見、普通の子って感じだけど、棚倉さんや新島くんがベタ褒めなのは、実際に話すと分かるわよね。」
「千鶴さん、俺の事を勝手に話される身にもなって下さいよ。棚倉先輩は俺の事を話し過ぎなんですよ。あまりに話しすぎて、俺は一度、飲み会の席で、先輩に恥をかかせた事もあったのですよ。」
それを聞いた陽葵がポカンと口を開けるし、千鶴さんはニコッと笑うと、俺に言葉を返す。
「新島くんから聞いたのよ。酔うと話が止まらない彼の性質を逆利用して、大の虫嫌いを大っぴらに話すとは恐れ入ったわ。」
陽葵がそれを聞いてポカンと口を開けている。
「ねぇ、恭介さん、棚倉さんって、そんなに虫がダメなの?。」
「もう完全にダメなんだ。ゴキブリなんてもっての外だよ。」
「恭介さんのほうが凄いわ。いくらなんでも、ティッシュやクッキングペーパーを持って手づかみなんて無理よ!!。私の家で初めて見た時に、お母さんも含めてびっくりしたからね。」
そこにすかさず、千鶴さんの突っ込みが入る。
「三上さんは、手袋をしながらも、焼け焦げたネズミを捕まえられるぐらい根性があるのよね。加奈子さんの彼氏さんは、それを見て怯えて飛んで逃げてしまったのよ。」
「はい、そういうことです。それを先輩がいる学部内のコンパで披露したら、知っている人がお腹を抱えて笑う事態になりましてね…」
そんな会話をしているうちに、どうやら店の前に着いたらしい。
どう考えても、俺のような貧乏学生が入るような店ではない。
しばらくの間、俺は教育学部の体育祭実行委員会のコンパで起こった例のクイズの案件を話しながら、棚倉先輩たちが、ここに来るまでの時間を潰していたのだ。
まぁ、陽葵も千鶴さんも抱腹絶倒だったのだが…。
「たっ、棚倉さんを、そこまでノックアウトできるのは恭介さんだけよ。わたしは絶対に無理だわ。」
「うーん、それについては、レベル的には新島くん以上よ。酔った加奈子ちゃんの彼氏さんを、逆利用してクイズにする発想なんて、絶対に浮かばないわ。」
2人はそんな感想を俺にぶつけながら、しばらくの間、時を忘れるぐらいに話し込んでいたのである。
◇
「三上さん、本当にごめんなさい。そっちのけで、酔って話に夢中になってしまったばかりに、存在自体を忘れてしまって、明け方まで飲んでしまった上に、結城も加奈子ちゃんも寝坊をするなんて…。」
棚倉先輩たちが来た後に、店の個室に案内されると、まずは棚倉先輩のお母さんから謝られた。
「いや、皆さんもお気を悪くしないで下さい。ホントは親子水入らずの所に私たちが入るのは忍びなかったですし、棚倉先輩は久しぶりの帰郷でしょうから、仕方がないことです。私たちは怒っていないので、大丈夫ですから。水に流しましょう。」
ここで、むしろ、陽葵と二人っきりで観光を楽しめたので、それで良かったなんて言いにくい。
「恭介さんの言うとおり、わたしも怒ってはいないので、お気になさらずに。大丈夫ですよ。」
陽葵も俺の言葉に続くと、今度は加奈子さんの両親や、先輩や加奈子さんからも謝罪があったが、それも同じような言葉を繰り返して丸く収めることにした。
その後は和やかに会話が進んでいくが、少しだけ気に掛かったことがあった。
それは、特上のひつまぶしが来て、俺たちが、見た目でいかにも高級だと分かって、千鶴さんに食べ方を教わりながら食べ始めたときだった。
千鶴さんは加奈子さんに少し悪戯っぽく問いかける。
「そういえば加奈子ちゃん。美里ちゃんは最近、来ないけどどうしたの?。新島くんに前から興味があるのは知っていたけど、結核になって、萎えちゃったのかな?」
千鶴さんの問いを聞いた棚倉先輩と加奈子さんは同時にニヤリと笑っていたので、千鶴さんは更に2人を問い詰める。
「2人とも、そっ、そんな、変な笑いをしないでよ?。どうしたの?。何か天変地異でも起こったの?」
加奈子さんは、微笑みを浮かべながら意外な言葉を口にする。
「美里ちゃんは、新島くんと正式に交際することになったわ。新島くんが入院していたときに隔離病棟までガラス越しにお見舞いに行ったのは美里ちゃんだけよ。そこから、美里ちゃんは新島くんの面倒をズッと見てるの。」
『そうか、それで、少し前の新島先輩の電話に繋がる訳か…』
それを聞いた千鶴さんは、驚きと同時に喜びを露わにした。
「それは、良かったわ。美里ちゃんは、小さい頃からの想いが叶ったのね。凄いわ…。わたしも、まともな彼氏を見つけて、結婚を急がないとね。加奈子ちゃんと美里ちゃんに追い抜かれちゃうわ…。」
「千鶴よ、だから、新島の病状は全て清田(美里)から聞くのだよ。アイツは、とても真面目だから、新島の彼女となってホッとしたのだ。」
『そうか、だから俺が陽葵と付き合った事を新島先輩が知った時に、逆に教えて欲しいと言ったわけだ』
さらに棚倉先輩は言葉を続ける。
「三上などは、新島が前のチャラい彼女と付き合っていて、本当に無理をしていないかと心配をしていたぐらいだ。コイツはそういう読みは鋭くて困るからな…。」
俺たちはそういう話をしたり、棚倉先輩の母親や加奈子さんのご両親に、俺の実家の話を陽葵を交えながら話したりしていた。
そんな事を話していたら、あっという間に時間が流れて、新幹線に乗る時間が近づいてしまった。
俺たちは食事を終えると、棚倉先輩の親子や加奈子さんの親子、それに千鶴さんも伴って、名古屋の駅の新幹線乗り場の入り口の前まで送られた。
そして、コインロッカーから荷物を出して、新幹線の改札に入ると皆は手を振って俺たちを見送ったのであった…。