棚倉先輩と加奈子さんが大慌てをしている頃…。
俺と陽葵は名古屋の駅でお土産を買いまくっていた。
寮でお世話になっている人や、まだ寮に残っている仲間へのお土産、それに延岡さんや延岡理事、陽葵の両親や颯太くん、俺の家族へのお土産などを買ったから、もう満載状態だ。
「陽葵。お土産をいっぱい買いすぎたから、そろそろ新幹線に乗り込むか?」
俺は重くなっている大きなバッグを抱えると、新幹線の改札入口へと向かった。
そして、改札口のほうを見ると、服装が違うが、見覚えのある女性が和やかな表情をして立っている。
その女性は俺と陽葵を見かけるとすぐに声をかけてくる。
「三上さん、霧島さん。そのまま東京へ帰るのは待ってね。加奈子ちゃんと彼氏さんは、電話でも分かるぐらいに涙目になっているのよ。」
それを聞いて俺も陽葵も苦笑いが止まらない。
「あっ…」
俺は、ホテルウーマンさんの名前が出てこなくて、そこで言葉が止まってしまった。
「ふふっ、名札を見ただけでは頭に入らないよね?。田口千鶴と申します。加奈子ちゃんや新島くんと同級生なのよ。千鶴と呼んでね。」
「ああ…。千鶴さん、失礼しました。お仕事を終えた直後に、加奈子さんの電話で捕まった感じですか?」
「そうなのよ。三上さんの携帯がつながらないと加奈子ちゃんが言っていたけどね、駅のお土産店の中では電波の届かない場所もありそうだから、仕方ないわよ。」
「あっ、そうでしたか。そこで、やっぱり加奈子さんは、千鶴さんに俺たちの足取り聞いてきた訳ですね?」
「その通りよ。それで、仕事を終えたばかりの私が、新幹線の改札で待っていたのよ。」
「千鶴さん、嫌な予感しかしないので、とりあえず窓口で、4時半~5時発ぐらいの指定席に変更してきます。先に言いますけど、私は帰郷の都合もあるから、今日は絶対に泊まれません。」
俺が絶対に泊まれないという言葉を聞いて、千鶴さんは何やら悪戯っぽく笑っている。
「ふふっ、三上さんは噂通りに、頭の回転が速い人だわ。霧島さん…もう、可愛いすぎるから陽葵ちゃんと呼んで良い?。少し一緒に話をしていましょ。2人がくるのも時間がかかるし、指定席の変更も少し時間がかかるわ。」
陽葵はそれを聞いて、少しだけ作り笑いをしながら、千鶴さんの話に付き合うことにしたが、恭介と一緒にいたかったが、ホテルでお世話になった人なので嫌とは言えない。
同じ女性であっても、陽葵は少しグイグイと押してくるようなタイプの人は少し苦手としている。
大好きでたまらない恭介が、窓口に駆け込むのを見ながら、残念そうにしている自分の姿を悟られないように、陽葵は隣にいる千鶴さんに話しかけた。
「千鶴さん、大丈夫ですよ。たぶん、この調子だと少し待ちますよね?。それで、千鶴さんのお仕事がオフなのに、私たちに付き合って頂くのは少し心苦しいような気がして…。」
千鶴さんは、さらに悪戯っぽく笑っている。
「加奈子ちゃんは、午前中に予定を入れると、必ず遅刻魔になるから、叱るのには、ちょうど良かったのよ。これでね、友人として怒らなかったら、棚倉さんというシッカリとした男性を得ているのに、2人ともお寝坊さんなんて勿体なさ過ぎるのよ。」
陽葵は彼女が加奈子さんに対して友人として叱るという意味で、それを少し羨ましく思った。
『ホントに怒れる友人って、貴重なのよ。相当に仲が良いのね…』
「たしか、加奈子さんは女子大生でしたよね?。よく講義やゼミに遅刻しなかったと不思議に思うわ。」
陽葵が少し眉を潜めて千鶴さんに聞くと、彼女は苦虫をかみつぶしたような表情で陽葵の質問に答える。
「そういうときは遅刻しないけど、プライベートになると途端に気が抜けるのよ…。全く参っちゃうのよね…」
陽葵が千鶴さんに何かを言おうとしたら、ちょうど、千鶴さんの携帯が鳴る。
どうやら電話の相手は、加奈子さんのようだ。
「加奈子ちゃん!!。そうやって棚倉さんと一緒にお寝坊をいつもするから、最後にはこうなるのよ!!。三上さんや霧島さんは、もう、帰ってしまったかもしれないわ!!。あと30分経っても来ないようなら、私は帰るわよ!!」
千鶴さんは、俺と陽葵が来たことを隠して、まずは寝坊をしたコトについて、怒って反省を促しているのがすぐに分かった。
その声は、窓口で新幹線の指定席の変更をしていた俺にも聞こえたから、相当に怒りを込めて電話をしていたのが分かる。
俺は新幹線の指定席を取り直すと、急いで陽葵と千鶴さんのもとに駆け寄って、少し怒りが収まらない様子の千鶴さんに要件だけを伝える。
「千鶴さん、とりあえず5時頃の指定席を取りました。これがタイムリミットです。ついでに寮のほうにも電話を入れてしまうので、棚倉先輩のダダコネをさせないようにします。」
それを聞いた途端に、千鶴さんは微笑みっぱなしだ。
「三上さん、OKだわ。加奈子ちゃんや彼氏さんは、もう涙声で大慌てよ。今になって起きたようだから、激しく怒ったわ。これじゃぁ、三上さんや陽葵ちゃんと一緒に観光なんて無理だもん。」
「千鶴さん、状況がよく分かったので、とりあえず寮に電話をさせて下さい。」
俺が携帯をポケットから取り出して、寮に電話を入れると陽葵も家に電話をかけはじめる。
寮の電話に出たのは荒巻さんだった。
「三上くんどうした?。棚倉くんに捕まって、なかなか帰られないのか?」
「荒巻さん、お疲れさまです。そんなところですけど、私も明日は実家に帰る予定もあるので、5時発の新幹線に乗って帰ります。陽葵を家に送ってから寮に向かいますから、実質は夜の8時頃に寮に戻る感じだと思います。」
「了解。こっちは夕方から延岡理事がくるそうで、今から頭を痛めているよ…。」
「うーん、延岡さんや延岡理事は、私たちのことを気にかけなくても良いのですよ。私は今から、ご家族が私の実家に押しかけることに、内心は大反対していますからね。」
思わず俺が本音をこぼしたことで、荒巻さんから大きな溜息が聞こえるのが電話口で分かる。
「三上くん、君の気持ちはよく分かるよ。だって、前回は延岡理事のせいで夕飯抜きだったんだよね?。あまりにも可哀想で何とも言えないよ。たぶん、松尾さんは、念を押すだろうけど、三上くんにまた悲劇が起こらないように祈ってる。」
そこで、俺は陽葵は既に家族に電話を入れていることを話して電話を終えた。
陽葵も既に家への電話を追えているようだ。
それをみて千鶴さんが俺に意見を求めてくる。
「三上さん、今は新島くんがいないから、棚倉さんを説得できるのは基本的に貴方しかいないわ。次の加奈子ちゃんの電話で、2人が改札にいることを伝えるけど、その時に絶対に彼と話すことになるから、私としては厄介だわ。」
「千鶴さん、そこは任せて下さい。最低ラインで5時頃の新幹線に乗れるように話を着地させますから。私も本音は新島先輩がいて欲しいですよ。今は結核でダメでしょうからね。先輩を説得できる候補としては新参者なので、新島先輩には及びませんよ。」
「ほんとうに、新島くんは、なんで、結核なんて、もの凄い病気になってしまったのかしら?。これじゃぁ、ここに呼ぶこともできないし…。」
まぁ、俺の隣にいる、可愛くて気立てが良くて、今にでも抱きしめたいぐらい愛おしい人も棚倉先輩を説得できるポテンシャルはあるが、そこは、あえて千鶴さんには伏せておく。
余談だが、新島先輩が復学後に、棚倉先輩の無茶振りに対して、新島先輩の説得が無駄に終わって、俺の説得もダメになったとしても、最期の砦として陽葵が立ちはだかって、先輩が説得に応じたことが何回かあった。
そういう意味で陽葵は、棚倉先輩に対して、ある種の最終兵器でもあるのだ。
俺の隣にいた陽葵は、俺を心配そうにみると、これとは違う質問を俺にぶつける。
「恭介さん、棚倉さんの説得は状況が悪ければ私も加わるわ。でも、加奈子さんもあんな状況だから、今は恭介さんぐらいしか、言う事を聞かないと思うわ。そうそう、それよりもね、恭介さんが寮に電話を掛けていた時に、もの凄く真剣な顔をしていたけど、何かあったの?」
その陽葵の質問に、少しだけ間を開けて陽葵に向かって静かに答えた。
「… … …。今日の夕方から延岡さんたちが来るらしい… … …。」
一気に陽葵の顔が曇るのが分かった。
「恭介さんが殺されてしまうわ。そんなの、恭介さんの家に延岡さんたちが来た時に留めてほしいの。わたし、家に戻ったら、恭介さんと一緒に寮についていくわ。とんでもなく振り回されるもの。わたしは延岡さんや理事の会話の楯になるわ!」
こうなったら陽葵も言って聞くような人じゃないから、俺は素直に受け入れる事にする。
「陽葵。ありがとう。陽葵の家まで送っていて、家でお茶を飲んで両親と話したら、その旨を伝えて寮に向かおう。颯太くんがチョッと可哀想だけどね…」
「このさい、颯太なんて大丈夫だわ。恭介さんは2人に振り回されて殺されてしまうもの。」
もう陽葵は自分の家に電話を入れているから、俺を守る覚悟が何時もとは違う…。
それを脇から聞いてた千鶴さんが俺にボソッと問いかける。
「陽葵ちゃんって、棚倉さんの説得も得意そうだよね?。言葉の違いはあるけど、あの気迫は、加奈子ちゃんにもあるのよ。その気迫で彼氏さんを圧倒するの。それにしても、三上さんは寮長さんだから、なかなか面倒な仕事が沢山あるのね?」
「そんなところですよ。本来なら新島先輩がやるべき仕事が、結核になったお陰で全部、こっちに回ってきていますからね…」
そんなことを話していたら、今度は千鶴さんの電話が鳴る。
俺と陽葵はそれを千鶴さんの脇で冷静に聞いていようとしたが…、今度は小笠原先輩から電話がかかってきてしまう。
「三上、お取り込み中のところ済まない。今日はお前が8時頃に戻ると聞いたが、厄介な理事さんと学生委員長が来るから、松尾さんたちが修羅場だよ。三上さぁ、陽葵ちゃんも一緒にくるか?。食事の都合もあるから、松尾さんが心配になっていてね。ただ、今のシーズンは忘年会だろ?。席が空いてないと大騒ぎになっている。」
「先輩、ほんとうにお疲れさまです。棚倉先輩が帰ろうとしても離さないから困りました。今から陽葵を連れてすぐにでも新幹線に乗りたいのです。当然、陽葵は一緒に寮に来ますよ。俺が延岡さんや延岡理事に絡まれたときの楯になると言って聞きませんから。」
「それは助かった。マジに話が長いから、横にいる学生課の人も頭を抱えて今から顔が青くなっているし、松尾さんも奥さんも、職員さんの様子を見てなだめるのに精一杯なんだよ。」
「いっそのこと、松尾さんに、例の焼肉屋はどうだと聞いてみて下さい。調理師さんのお知り合いだから何とかなるかも知れません。」
「それは良い事を聞いた。松尾さんに声をかけてみるよ。とりあえず、陽葵ちゃんも参加だね。分かった。」
小笠原先輩と俺が電話で話をしている途中で、陽葵はなぜか千鶴さんの携帯で何かを話しているようだ。
「棚倉さん。恭介さんは寮から電話がかかってきて、どうやら延岡理事たちが来るので、すぐにでも来て欲しいと懇願されているようだから、今日の宿泊は絶対に無理ですよ。」
陽葵は俺の顔を見て、静かに首を横に振った。
棚倉先輩の電話は自分でやる気迫が凄いので、俺はそれを見守ることしかできないし、千鶴さんもそれを聞いてポカンと口をあけている状態だ。
陽葵は棚倉先輩への説得を続ける。
「それに、私たちは例の事件で安全管理を厳しく言われているので、恭介さんやわたしも、常に寮や私の家に連絡を絶やしていないのです。これ以上の宿泊は、恭介さんの明日からの帰郷にも差し支えますし、私の両親からも呼ばれているから、とても大変なことになります。」
俺は陽葵が心配になって、真横に近づくと、棚倉先輩の電話の声が微かに聞こえた。
「陽葵ちゃん、そうは言うけど、家族や加奈子も含めて申し訳ないと言って聞かない。私たちも大きなミスをしてしまったので、お詫びもしたい…」
「棚倉さん、私や恭介さんも怒っていませんわ。むしろ、わたしの脇にいる千鶴さんに、観光をするプランを考えて頂いて、お土産までチョイスしてくれたので、大いに助かっています。棚倉さんや加奈子さんが、千鶴さんを紹介して頂いて、私たちはそれで充分すぎるほどですから、安心してください…。」
『陽葵の話しかた、どちらかというと新島先輩に似ているから、これは先輩の心に響くかも。あっ、そうだ、千鶴さんへのお礼に、俺が食べようとしていた、熱海のチーズケーキを渡すか…。』
俺は陽葵の耳元から微かに聞こえる棚倉先輩の電話を聞きながら、大きなバッグから小さいチーズケーキのパックを取りだした。
「加奈子さん、こんな修羅場の電話中で申し訳ないですが、観光のプランを考えてくれた、お礼を含めて気持ちだけ、受け取って下さい。」
「もぉ、三上さんはそんなことなんていいのよ!。観光のプランなんて、仕事の一つなんだから。逆に気を遣わせてしまったわ…。」
そう言いながらも、千鶴さんは少し笑顔でそれを受け取ってくれたから助かった。
そうしているうちに棚倉先輩の声が微かに聞こえる。
「うむ、それなら、そこで千鶴と一緒に待っていてくれ。俺の母親や加奈子や両親も含めて、少し時間までせめてゆっくりと話す場所を確保したい。それと、とりあえず三上と代わってくれないか?。アイツにもお礼を言いたい。」
陽葵は俺の目をジッと見たが、少し不満そうな顔をしている。
たぶん、自分の電話で終わらせるコトができなかったのが、少し悔しかったのかも知れないが、陽葵は、俺の代わりにその役目を果たせたと思う。
これが普通の人なら、棚倉先輩の理詰めでやり込められているが、俺や陽葵は先輩と信頼関係があるせいか、会話が比較的に穏やかだったと見える。
『さて、ここで失敗したら水の泡になるしな…』
俺は気を引き締めて、陽葵から千鶴さんの電話を受け取った。