棚倉先輩たちが寝てしまった後…。
俺と陽葵は、寝過ごさないように、他愛もない雑談を繰り返しながら起きていた。
すでに辺りは暗くなってしまっているのに、陽葵はその景色に飽きないらしくて、ズッと窓の外の景色を楽しそうに見ている。
「陽葵、外の夜景が楽しくて見ているのか?」
俺が窓から外の景色を見ている陽葵に問いかけると、かなり恥ずかしい答えが返ってくる。
「窓に映っている恭介さんが可愛くて、ズッと見ていられるの♡」
幸い、棚倉先輩も加奈子さんも寝ているから、この会話は聞かれていないようだ。
たぶん、2人に聞かれていたら、加奈子さんは再び棚倉先輩をやり込めていただろう。
俺は少しの間、陽葵の強烈な言葉に思考が固まったが、ここままだと、色々とマズいので陽葵を正常軌道に戻す言葉をかけてみた。
「陽葵さぁ、俺の顔は毎日のように見られるから、外の景色を眺めていると良いよ…」
しかし、俺の言葉は虚しくも陽葵の心には響かなかった。
「そんなことないわ。外の夜景と恭介さんが一緒に見えるから、一石二鳥なの♡」
… … …。
俺は陽葵をとりあえず放置することにした。
そして、しばらくしてから、トイレに行くために席を立つと、陽葵も一緒についてくる。
「わたしもトイレに行っておこうと思って。だって、1人だと心細いの。」
なんだかそういう陽葵も可愛くなってしまうのは気のせいだろうか。
「どのみち豊橋付近だから、名古屋まで、もう少しだからね。トイレに行っておいたほうが得策だし、先輩達が起きていないようなら、そろそろ起こさないとね…。」
そして、トイレから出てきて、通路を歩いているところで、棚倉先輩と加奈子さんとすれ違う。
「三上よ、豊橋を過ぎたし、起きていないと寝過ごしそうだからな。」
二人とも少しばかり眠そうだ。
「先輩も加奈子さんもお疲れのようで。三河安城を抜けた辺りから、少し荷物を降ろしておかないとダメですよね。」
「ああ、そんなところだ。安心して加奈子と一緒に眠ってしまった。気付いたら豊橋を通過していたし、お前たちがトイレで席を立っていたから、俺たちもついでに行こうと思ってね。」
そんな会話をしていると、陽葵は、加奈子さんに軽く耳打ちされたのだが、何やら顔を紅くしているから様子がおかしい。
俺と陽葵は席に戻ると、陽葵が頬を赤らめつつ俺に小声で加奈子さんと話したことを打ち明ける。
「加奈子さんね、恭介さんとわたしの、あの時の会話を、うたた寝をしながら聞いてしまっていたの。わたし…、ちょっと恥ずかしいわ。」
「…そうか…。」
俺は、平静を装って棚に置いてあったバッグを降ろすと、携帯の充電器などを片付けて、早々に新幹線から降りる準備を始めた。
「あれ、恭介さん、まだ2駅あるわよね?。」
「まぁね、なにかやってないと、恥ずかしくて気が紛れなくてさ。」
それを聞いた陽葵がクスッと笑った。
「恭介さんって、そういうところが可愛いのよ♡」
もう、こうなったら、陽葵のノロケは止まらない…。
『まだ、加奈子さんや棚倉先輩が帰ってこなくて良かったよ…』
もしも、こんな会話を聞かれてしまったら、さっきの件に加えて俺の心の中はズタボロである。
そのうちに棚倉先輩と加奈子さんが戻ってきたが、先輩はとても落ち着きがない。
そして俺と陽葵をじっと見て、助けを求めた。
「陽葵ちゃん、加奈子の目の前で三上に惚気なくていいからな。俺は加奈子に責められっぱなしなんだ…。こうなると三上が羨ましすぎる。お前は顔に合わず大胆すぎる言葉を吐く場合があるから、ほんとうに油断ができない。」
「先輩、あれは事故のようなものです。加奈子さんは夢うつつの状態で聞いている訳ですから、ワンチャンで、加奈子さんが聞き間違いってこともあり得ますが…。」
俺はとぼけようとしたのだが、事態は陽葵の言葉によって余計に悪化をしてしまう。
「恭介さん、それはないわ。加奈子さんが夢うつつのなかで、私たちの仲の良さに羨ましがっていたのよ。だって、わたし、恭介さんが大好きすぎてカッコよく見えてしまうの♡。新幹線の窓から見える恭介さんの顔に惚れてしまっているのよ♡。」
陽葵の口から自然と漏れた言葉は、加奈子さんと棚倉先輩の心に色々な意味で突き刺さったのは、その表情からよく理解できたが、俺はとりあえず、これ以上の事態悪化を防ぐために、陽葵にブレーキをかける。
「ひっ、陽葵。今は新幹線の中だし、周りも聞いているから、せめて、その話は二人っきりになった後にしてくれぇ~~~」
俺は陽葵にそう懇願すると、陽葵はようやく事態の深刻さに気づいて顔を真っ赤にした。
「きょっ、きょ、恭介さん…、どうしよう。また、やってしまったわ…。」
時は既に遅かった。
「結城さん。三上さんは陽葵ちゃんにストップをかけたけどね…。その後の台詞が良いわ。その話は後で二人っきりでしようだから、その台詞が女心をキュンとさせるのよ。結城さんは、三上さんを見習うべきだわ。」
こうなったら棚倉先輩には、恥ずかしがって下を向くばかりだったのだ…。
しばらくこんな状態が続いて、棚倉先輩の気力が戻った頃になって、新幹線は名古屋に着いた。
新幹線のホームを降りて、改札を出ると棚倉先輩は俺たちに呼びかける。
「三上も陽葵ちゃんも、俺と加奈子のあとにシッカリとついてこい。ここの駅は広いし、地下鉄もあるから迷うからな。今は携帯があるとは言え、ハマると厄介だ…。」
「先輩、分かりました。ところで、この荷物で食事だと厄介なので、その口調だと、一度、先輩の家に行って荷物を置きに行くような雰囲気ですか?」
俺が棚倉先輩に質問をすると、しきりにうなずいている。
「三上は理解が早くて助かる。お前たちの荷物も、俺の家に一度、置いてくれ。俺の母親の帰りが深夜になるようなら、加奈子の家に泊まることになるだろうがな…。」
加奈子さんも一緒に棚倉先輩の家についてくるようだ。
「三上さんと霧島さんは、荷物を置いたら、うちの両親が車で結城さんの家に来るそうだから、一緒に車に乗ってね。」
俺と陽葵が返事をすると、棚倉先輩が俺と陽葵が迷子にならないように見ながら、少し複雑な駅の構内を歩き始めた。
一旦、駅を出てから地下鉄に乗るのに階段で地下に降りるようだ。
地下鉄で棚倉先輩の指示通りに切符を買うと、陽葵が切符代を素早くメモしている。
『こういう所が陽葵らしくて本当に助かるんだよ』
そう思いながら、地下鉄の改札からホームに入ると、すぐに電車がきた。
「先輩、名古屋の地下鉄なんて初めて乗りましたけど、間隔が短い方ですよね?」
「うむ、この路線は間隔が最初から短いのだよ…」
電車に乗り込むと、陽葵や棚倉先輩、それに加奈子さんと、雑談をしながら過ごしていたから、時間があっという間に過ぎる。
棚倉先輩の家の近くの駅で降りると、あたりはマンションやアパートなどが建ち並ぶ住宅街という雰囲気だ。
「ここからしばらく歩くとすぐに着くからな…」
案内されたのは、そこそこ広そうなマンションだ。
棚倉先輩は玄関に立って素早く鍵を取り出して開けると、重そうな荷物を家に入れながら、俺に声をかける。
「さてと、誰もいないが、とりあえず、玄関に入って、リビングに荷物を置いてくれ。母親には話をしてあるから大丈夫だ。」
俺は棚倉先輩に案内されるままに、リビングの隅に陽葵と一緒に、荷物を置くと、すぐに家を出た。
エレベーターでマンションの1階まで降りて、こんどは加奈子さんのご両親が乗る車を待つ。
「大丈夫よ、うちはワゴン車だから、三上さんや陽葵ちゃんまで乗れるわ。食事をしてから、わたしたちが少し夜の名古屋を案内するプランよ。」
その棚倉先輩と加奈子さんたちの心遣いが有り難かった。
それを忘れなかったからこそ、随分と経った後に棚倉先輩たち夫婦が子供を連れて、俺の家に来たときは盛大にもてなしたのは言うまでもない。
「加奈子さん、ほんとうにありがとうございます。なんだか家族水入らずの会食にお邪魔しちゃって私と陽葵のご飯代は、こっちで払いますから、ご心配なく…」
俺の言葉に陽葵もうなずいていたが、加奈子さんと棚倉先輩が同時に首をふる。
「だめよ、三上さん。特に三上さんは苦学生と聞いているから、無理はさせられないわ。ウチの両親は2人にお礼がしたくて、今日はご飯を食べさせるつもりでいるのよ。」
そこに棚倉先輩も加奈子さんの後を押す。
「三上も陽葵ちゃんも、俺から頼む。これは俺と加奈子の家族でお礼をしたいから、ここは無理をしないで俺たちに甘えて欲しい。」
「先輩も加奈子さんも、ありがとうございます。お言葉に甘えます。」
「ほんとうにありがとうございます。ここまで来て、ご飯まで頂いてしまうから、申し訳ないわ。」
俺と陽葵が2人にお礼を言った後、俺は先輩と加奈子さんと雑談をする前に、少しばかり自分たちの使命を果たすことにした。
「先輩、寮に連絡を取りますね。いちおう、先輩の家に着いて今日は先輩の家に泊まるって、ご飯をご馳走になるというコトを話しますからね。」
それと同時に陽葵も携帯を取り出して、声をかける。
「私は家に連絡を取りますね。内容は恭介さんに合わせますから大丈夫ですよ。」
「うむ、2人ともそれでいいからな。確かに寮の面々も心配しているだろうし、陽葵ちゃんのご両親も心配しているだろう…」
俺と陽葵はそれぞれ、電話をかける。
俺が寮に電話をかけると、松尾さんが出た。
棚倉先輩の家に着いて、泊まる旨を伝えて、今から食事に出かけることを伝えると、松尾さんはホッとしたような感じだった。
電話をかけ終わって、俺と陽葵、それに棚倉先輩や加奈子さんがマンションの玄関で、加奈子さんのご両親の車を待ち続けているが、クリスマス間近だから、外は寒いし、俺も陽葵もダウンジャケットを着込んで防寒対策はしているが、やっぱり外は寒い。
棚倉先輩が夜になって冷え込んできたので、少しだけ本音を吐いた。
「やっぱり今日は味噌煮込みうどんだな…。これだけ寒いと、三上と陽葵ちゃんにもぴったりだろう。」
「結城さん、うちの両親もそのつもりでいたわ。それにあそこなら、手羽先もあるから、初めて名古屋に来る人にはピッタリだわ。」
加奈子さんが棚倉先輩の話に答えると、先輩は深くうなずいた。
「加奈子のご両親には感謝しっぱなしだ。うちの母親はあの状態だし、父親なんて、いつ帰ってくるかわからないからな…」
そんなことを2人が話しているうちに、加奈子さんのご両親が乗った車が着いて、俺たちは早速乗り込んだ。
「三上さんも、霧島さんも、ありがとうございました。2人揃って熱海から帰られなくなるところだったから、私たちもヒヤッとしたのよ。まったく、加奈子、少し余分にお金を持っていきなさい。こんなにシッカリしている結城くんだって、忘れる場合がわるわよ…。それに、三上さんと霧島さんが大変だったと思うわ。」
そんな加奈子さんのお母さんの言葉を聞いて、俺は慌てて言葉を返す。
「いや、そんなことはありませんから。こちらはお世話になっている先輩達を助けるために、熱海まで急いで来たので…。」
慌ててそう返すと、加奈子さんのご両親は、どこかニコリと笑ったような気がした。
「三上さんや霧島さんのお話は、結城くんから良く聞かされるのよ。霧島さんは結城さんの言うとおり、目を見張るほどに可愛い子だけど、三上さんは見た目は普通の子なのに、凄そうなのは何となく分かるわ…」
「いやいや、先輩が何を言ったのか分かりませんが、私は大した取り柄もない人間ですから、過剰評価をされても恥ずかしいばかりですよ…」
俺の謙遜に陽葵が俺に最大級のダメージを加えたのは言うまでもない。
「まったく、恭介さんは、絶対に相手が褒めても最大級に謙遜をするのよね。駄目よ、恭介さんが凄いのことなんて、みんなが分かっているのに。少しぐらいは、あっさりと認めて、格好いいところを見せてね♡」
加奈子さんの両親は陽葵の言葉にお腹を抱えて笑ったのであった…。