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~エピソード9~ ⑧ クリスマス前に起こったドタバタ劇 ~恭介と陽葵の小旅行1~

 まず、タクシーで陽葵の家に向かった俺は、タクシーを陽葵の家の駐車場に待たせて、陽葵と一緒に家に上がり込んだ。


 陽葵のお母さんと颯太くんが玄関で待っていて、母親はニコリと笑っている。

 そこに、忘年会の都合で、仕事を早々に切り上げた陽葵のお父さんも来て、陽葵よりも俺が先に声をかけられた。


「恭介君、うちの陽葵を頼んだよ。こんな事なんて今まで陽葵が体験したことがないだろうから、陽葵には良い社会勉強になるよ。恭介君は、良い先輩や友人に囲まれているから羨ましいよ。」


「そんなことはありませんよ。ただ、先輩が困っているのを放置できませんし、助けてあげないと本当に熱海で野垂れ死んでしまいますから。」


 俺の言葉に、陽葵の両親はクスッと笑っている。

 陽葵のお母さんは、陽葵が動きやすいように、俺と同じようにリュックに着替えなどを詰め込んでくれたお陰で支度が早かった。


「恭介さんの言うとおり、本当に一刻を争うわ。名古屋まで気をつけて行ってらっしゃいね。それと…陽葵…」


 お母さんが陽葵を呼びかけて、財布を取り出すと、陽葵にお金を渡している。


「恭介さんは絶対に受け取らないから、ご飯や観光に使ってね。折角、寮の仕事として名古屋まで、わざわざ行くのに勿体ないわよ…。もう1時を回っているけど、お昼も食べていないだろうし、新幹線でお弁当を食べるわよね?。」


 俺は苦笑いした。

 陽葵の親子の会話だから、余計な口出しなんてできないし、これでは、断る事もできない。


「お母さん、ありがとう。恭介さんに渡したら絶対に断られてしまうもの。まったく、恭介さんは自分に厳しすぎるのよ。」


 陽葵の言葉に、両親が声を出して笑っているから困った。

 その笑いがやむと、俺は早々に陽葵の家を出発することに決める。


「では、タクシーを待たせていますし、一刻の猶予もないので、急いで熱海まで向かいます。その後は陽葵から連絡を入れますから…。」


「恭介君。頼んだよ。絶対に安心しているけど、何かったらすぐに連絡してくれ。」


 俺は、少し寂しそうにしている颯太君に声をかけることにした。


「颯太君、ごめんね。寮の仕事で、今日はお泊まりでお姉ちゃんも連れて行ってしまうからさ。何か美味しいお土産でも買ってくるからね。それに、24日は俺も一緒に、ここに泊まるから、元気を出して。」


「うん!!。今日はお姉ちゃんがいないけど、大丈夫だよ。恭介兄ちゃんも、お姉ちゃんも、頑張って行って来てね。お土産を期待してるよ!!」


 そうして、陽葵の家族から、終始、和やかに見送られたのである…。


 荷物を持ってタクシーに乗り込んで、棚倉先輩を見送った比較的大きい駅に行くと、俺と陽葵は真っ先に窓口に向かう。


「熱海まで、大人2人。少し急いでいるので、接続が良い新幹線で。席にあまり拘りはないです。」

 俺が、駅員にそう告げると、軽快にマルスを叩く音が聞こえる。

 陽葵はそれを俺の顔を見ながらポカンとした様子で見ているが、構っている暇がない。


「そうですね、15時半ぐらいで熱海着の新幹線が空いています。それより早い新幹線は席がないですね…。」

「それでお願いします。領収書もお願いします。」


『15時半に俺たちが熱海に着いたとして、そこから、名古屋まで行くとしても、先輩の家に着くのが夜の9時なら時間が余る可能性が高いぞ。先輩は名古屋のあたりで、彼女さんと食事でもして時間を潰そうとしたか?』


 そうして陽葵が慌てて会計をすると、駅員から手際よく切符や乗車券を手渡される。

 指定席の番号を見ると陽葵と隣同士になっているから、内心はホッとしていた。


 やっぱり大好きな陽葵ちゃんと、新幹線の中でお弁当を食べるのは楽しみなのだ。


 切符を買って、東京まで行く電車を駅のホームで待ちながら、俺は棚倉先輩の携帯に連絡を入れると、すぐに電話に出た。


「三上、マジにすまぬ。陽葵ちゃんにも謝ってくれ。松尾さんの奥さんから電話があって、お前達が熱海に向かっているのは知っている。」


「それなら話が早いです。先輩、相当にやらかしましたね。とりあえず15時半頃には熱海に着けそうです。待ち合わせる時間を考えると、先輩と会えるのは16時頃でしょう。年末で冬休みに入って帰省する家族連れもいるでしょうから、突然の指定席はチョイとキツいですよ。普段の日なら30分ぐらい早かったでしょうが…。」


「ううっ、お前と陽葵ちゃんは救いの神だ。とにかく、俺は寂しく観光をしながら待っている。母親や彼女に、このことを伝えたら、かなり怒られてしまったよ。もう、三上と陽葵ちゃんに礼をしなければ。」


「礼はともかく、こっちは必ず財布とバッグを送り届けなければ、先輩が熱海で野垂れ死んでしまいますから、必死に届けますよ。」


「ううっ、ほんとうに済まぬ…。」


 俺が電話を切ると、こんどは陽葵が俺に声をかけた。


「恭介さん、棚倉さんとの連絡が終わったから、わたしが寮と家に電話をかけるわ。みんな、心配をしているわよね?。」


「陽葵、助かるよ。みんなはかなり心配しているよ。とりあえず4時頃には棚倉先輩と会えそうだと言っておいて。」


 陽葵は寮に電話を入れて、今度は自分の家に電話を入れている。

 それが終わると、ちょうど東京に行く電車がホームに入ってきたので、電車に乗り込むと、席が空いていたので座った。


「恭介さん、新幹線の切符を買うのが凄く慣れていそうだわ。わたしなんて、新幹線は高校の修学旅行以来だから、ちょっとワクワクが止まらないの。」


「俺の親類は各地に散らばってバラバラに離れているから、小さい頃は新幹線を使って親類の家に行くことも多かったんだ。それに、親父の仕事の都合で、仕事で使う機械の展示会を見るのに新幹線を使うこともあって、最近はあんな感じで切符を取る事が多くなってね…。」


「そういえば、恭介さんは、お盆のころに村上さんの家に行ったこともあったって、言っていたわよね?。」


「そうだね、村上も新幹線を使って帰らないと駄目だから、当然、そうなるよ。俺は実家から向かったから、良二や宗崎とは現地の新幹線の駅で待ち合わせをしたんだ。」


 そんな会話をした後に、俺は棚倉先輩が相当に時間を余らせていることに、少しだけ陽葵に疑問を呈する言葉を投げかけてみる。


「陽葵さぁ、棚倉先輩が寮を出発した時間って、少し早かったけどさ、あの時に、松尾さんの奥さんと、棚倉先輩との電話で、少し時間感覚に違和感があったんだよ。」


「どうしたの?。棚倉さんは、疲れすぎていて混乱でもしているのかしら?」


「うーん、熱海から名古屋までなら、大抵は2時間ぐらいで名古屋まで行けるんだ。」


 熱海から名古屋までの所要時間を俺から聞いた陽葵は、違和感に気づいてハッとした。


「そうよね、熱海で切符を買ったとしても、家族連れが、そんな遅い時間になって新幹線に乗り込むことは少なくなるから、指定席がすぐにでも取れそうだわ。思いっきり熱海で観光を楽しんで、夕方の4時から5時に熱海を出たとしても、夜の7時に名古屋に着いてしまうから、時間を余らせてしまうわ。」


「そうだね。棚倉先輩の家は、名古屋駅を降りて私鉄に乗って、地下鉄を使えば、そんなに時間が掛からないで家に着けることは、新島先輩から聞いたことがあってね…。」


「ご飯を食べるにしても、2時間以上の時間を余らせてしまうのは疑問だわ。だって、棚倉さんのお母さんは看護師さんだから、お母さんが帰ってくるのが、夜の9時を過ぎる可能性があるなんて、棚倉さんは言っていたわよね?」


「そうなんだよ。さっきの棚倉先輩との電話で、先輩は、お袋さんと彼女さんに怒られたって言っていたんだよ。彼女さんとは食事の約束でもしていたかもね。久しぶりに顔を合わせるから、俺たちが、そんな場所に顔を出すのも気が引けてさ…。」


 それを聞いた陽葵は激しくうなずいている。


「わたしもそう思うわ。その、余らせた時間は、棚倉さんの彼女さんと会おうとした時間だと思うわ。恭介さんは優しいわ。わたしもそう思うわ、だって、久しぶりの再会よ。わたしだったら、恭介さんを見た瞬間に、涙を流しながら、恭介さんに抱きついちゃうかも。」


「うーん。俺も陽葵が大好きすぎるから、思いっきり抱きしめちゃうかも。」

「もぉ~♡。そのシチュエーションは燃え上がってしまうわ♡。」


 こうなったら、俺と陽葵の暴走が止まらないので、俺は少しだけ軌道修正をすることにした。


「それはともかく、棚倉先輩と彼女さんの再会を俺たちが邪魔をするなんて、とても気が引けるよね。熱海で財布とバッグを渡しただけで、お泊まりを拒否できるなら、とんぼ返りするのもアリかと思うよ。みんなは白けると思うけど、俺は、そんな場所にいて邪魔をしたくないよ。」


 陽葵はその意見に激しく同意している。


「恭介さんの言う通りだと思うわ。わたしも、それは大賛成よ。」


 しかし、この後、かなり意外な展開が待っていたことは知る由もなかったのだが…。


 そんな話をしながら、東京駅に着くと、俺と陽葵は新幹線のホームに向かったが、その途中で商業施設が、たくさん並んでいるのを見た陽葵が、これは知らなかった、と、声をあげる。


 ホントは、その中のレストランなどで、陽葵と一緒にご飯が食べられたら良かったのだが、今は冬休みに入ったこともあって、レストランはどこも混んでるし、新幹線の乗り継ぎまで微妙な時間だったので、のんびりとしていたら新幹線に乗り遅れてしまう。


 そこで、お弁当などが沢山売っている店に入って、新幹線の中で食べるお弁当を選ぶことにした。


 新幹線の待ち合わせの間に食べるのは、折角、買ったお弁当を急いで食べるような格好になるから、まともに、ご飯が喉を通らないだろう。


「ふふっ、これだけ、沢山、種類があると迷ってしまうわ。なんだか興奮してお腹が空いていないのよ。今は棚倉さんに財布とバッグを渡すことに集中していて、精一杯になっている証拠よね。」


「そんなモンだよ。俺もなんとなく飢えに耐えられているから、感覚は同じだよ。待ち時間にお弁当を食べたとしたら、気が気でないような雰囲気が漂う待ち時間だし。」


 俺も陽葵も手ごろな弁当を選んで、とりあえず、松尾さんや延岡理事から頂いたお金で弁当代を精算すると、新幹線のホームにある椅子に座って、少しだけ時間を潰すことにした。


 椅子に座って、俺はリュックから飲み物とお菓子を取り出して陽葵に渡すと、陽葵は笑顔になっている。


「恭介さんは、そういうところで抜かりがないのよ。新幹線を待っている間の過ごし方が難しいのが分かったわ。この待ち時間だと、レストランで食事をしたら、絶対に乗り過ごしてしまうわよ。」


「今は、棚倉先輩が待っているし、時間に遅れる訳にはいかないから、余計にプレッシャーがかかるよ。新幹線だと熱海まで1時間もかからないで着くけど、車内で食べたほうがホッとするしね。」


 お菓子を食べて、飲み物を飲みながら時間を潰していると、俺たちが乗る新幹線が到着するアナウンスがあって、お菓子をリュックにしまって背負った。


 棚倉先輩のキャリバッグを持って、新幹線の到着を待って指定された席に座ると、陽葵がとても嬉しそうにしている。


「恭介さん、なんだか2人で旅行をしている気分だわ。ホントは寮の仕事で熱海に行くだけだけど、ワクワクするの。」


「そんなモンだよ。俺も熱海は初めてだから、どんな場所なのか興味があるしね。」


「それにしては、足湯があったりロープウェイがあったりするのを、よく知っているわよね?」


「各地に寮生が散らばっているから、そこの地元の人間から、勝手に情報が飛び込んでくるのさ。」


「そうよね!!。熱海から来ている寮生がいれば、そのことを話すわよね。わたしも白井さんが北陸出身だから、金沢の名所とか美味しいお店とかも色々と聞いていたから、それは分かるわ。」


「まぁ、そういうことだよ。棚倉先輩も、そういう出身の寮生を捕まえて色々と情報を仕入れる事もあるし、棚倉先輩の家から見れば、新幹線では途中の駅になるから、行きやすかったんだろう。」


 俺は陽葵を窓際に座らせると、荷物を棚に上げて、お弁当を広げた。

 2列の席だから、俺の隣に誰かが座ることもないし気楽で良い。


 俺はリュックから延長コードを取り出して、座席に備えてある電源プラグを見つけると、俺と陽葵の携帯を充電することにした。


 1時間以内とは言え、ここで携帯の充電をするのは、とても貴重である。


「恭介さん、準備が良すぎるわ。わたし…、そこまで頭が回らなかったわよ。途中で電池がなくなったら終わりだものね…。」


「俺が、親父と一緒に遠方の展示会に行ったときに、携帯の充電が切れかかって、慌てて東京駅で充電ケーブルを買って新幹線の中で充電した時の反省を踏まえているのさ。」


 しばらくすると、新幹線が動き出して、俺と陽葵は飲み物を飲みながら、ゆっくりとお弁当を食べて熱海に到着するまでの時間を過ごしたのである。

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