目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
~エピソード9~ ⑦ クリスマス前に起こったドタバタ劇 ~棚倉先輩の大失敗2~

 受付室にひょこっと顔を出したのは、荒巻さんと延岡さんだったので、少しだけホッとした自分がいたが、すぐさま延岡さんが、俺と陽葵の顔を見て話しかけてくる。


 延岡さんは、俺たちと話すために、お茶菓子を買ったことが明らかに分かるショートケーキと、軽食用に小洒落たワッフルを人数分、受付室のテーブルに置いたから、俺も陽葵も、かなりの長話が始まる事を覚悟した。


「三上さんも、霧島さんもお疲れさまよ。松尾さんから棚倉さんの件を聞いたわ。今日は、伯父さんが学生寮の様子を見に行くと言ったから、私も同行して様子を見に来ただけよ。小笠原さんも事情を知っているから、この場でざっくりと話すと、警察の捜査の進展はないから相変わらずよ。こっちも進展はナシよ。」


「うーん、延岡さん。そうすると、正月休み中は、あの旅館に泊まって、ご家族でゆっくりするってことですか?」


「三上さんは読みが早くて助かるわ。その件もあって、少しだけ三上さんのお宅にお邪魔しようと思ったけど、松尾さんと伯父さんの話が長くて、荒巻さんと受付室に来たってところよ。」


「延岡さん、正月休み中は雪が降る可能性がある場所だし、朝夕の路面凍結がここより酷いのが明らかなので、スタットレスが必須ですよ。その様子だと、冬はあまり来たことが無いような予感がしますが?。」


「三上さん、その通りよ。それは良いことを聞いたわ…。女将さんから、私たちは冬道の山道に慣れていないから、冬のシーズンに毎年のようにスキーに行っているような人じゃないと、駄目かも…。なんて言われていたの。女将さんが言っていたけど、下手をしたら三上さんの家に車を置かせてもらって、三上さんたちに旅館まで運転して頂こうと考えたのよ。」


「それは構いませんけどね…。親父もお袋も知らない仲じゃないから、あっさり承諾するでしょうし。」


 もう、俺は、初めて陽葵の家族が俺の実家に来たときの悪夢を描いていた。

『もう、あれの再来じゃないか…。こうなったら、お袋を通じて女将さんに頼むか…。いや、同級生の印西さんの携帯に連絡を入れて、俺が直接、その意図を伝えてしまったほうが早い。』


 その会話が終わると、延岡さんは再び松尾さんの家に戻ったが、荒巻さんは受付室に残っている。

 俺は長い溜息をついていたから、陽葵がかなり心配しているのが分かった。


「恭介さん、その気持ちが凄く分かるわ。あの時の再来よね。恭介さんは冬休み中も人権がなくて、ご飯がろくに食べられずに、殺されてしまうわ…。」


「陽葵さぁ、もう、お袋から、あの旅館の女将さんに頼み込んで、あの家族をウチからマイクロバスで運ぶように頼んでみるよ。お袋が渋るなら、俺はあの同級生の経由で頼んでみる。常連客だから、旅館は否応なしにやるはずだよ。それと、俺の家になるべく来ないように、夕飯を正月限定の特別メニューにして、何か旅館で正月用のイベントがあれば、あの家族に対して積極的に声をかけてくれと。」


 その会話を小笠原先輩と荒巻さんが目を丸くしながら聞いていたが、荒巻さんが口を開いた。


「三上くん。延岡理事や延岡さんから、あの時のことを聞いていたけどね…。2人が知らない裏で、三上くんは、ご飯抜きで延岡理事や延岡さんの送り迎えに徹していたのだね?。理事だから、三上くんの親御さんも、霧島さんの親御さんも、気を遣うのは当然だけど…。この場だから誰も居ないところで言うけど、ちょっと、理事たちは失礼だね。」


 陽葵はそのことを思い出して、少しだけ腹を立てている。


「もぉ、恭介さんは可哀想だったのよ。ご飯がろくに食べられず、その後、恭介さんのために用意した豪華なご飯が、延岡理事たちが来ることで、接待用の食事に全て消えたのよ。その夜は、結局、恭介さんはコンビニのお弁当でお腹を満たしたの。」


 その話に小笠原先輩が俺の顔をマジマジと見て、情報を整理して、基本的なツッコミから入った。


「その話の感じだと、延岡理事や延岡さんの家族が常連で利用している温泉旅館と、三上の家がメッチャ近いから、三上の実家に延岡理事たちが来てしまったことがあって、その接待の足に三上がコキ使われてしまったから、飯も食えないほど酷い想いをしたってことか?。」


「先輩、そういうことです。それなので、旅館の人を今度は使ってくれの状態です。それで、俺の家と陽葵の家が仲睦まじくする場を少しでも多く設けたいから、少しだけ遠慮をしてくれと…。」


 それについて、荒巻さんが呆れ顔になって、本音を吐いた。


「まったく、あの理事は少し強引なんだよ。三上くんのご両親が、あの性格で良かったけどね。それは被害者が三上くんになるのも当然だよ。車を上手に運転できるし、山道も生まれ育った場所の関係から、雪道も慣れているだろう。ただなぁ…。三上くんが不憫でならない。」


「実は、松尾さんはその事情をよく知っているので、それとなく延岡理事に諭すように話すのではないでしょうか?。私の家に来たときの経緯は、バイト連中を集めた食事会の時に、松尾さんと奥さん、それに陽葵と私の4人で、あの時の話を根掘り葉掘り話す機会がありまして…。」


 そんな話をしながら、ケーキやワッフルを食べてお腹を満たしていると、しばらくして松尾さんの奥さんが受付室に入ってきた。


「三上くん、本当にごめんね。親戚づきあいをしているご家族同士の、和気藹々としている場に、大学の勝手な事情を持ち出してご家族を引っかき回したら駄目よ。いま、夫が、上手く話をしながら、やんわりと理事さんを気づかせてる状況よ。無論、三上くんが全くご飯を食べられなかった件も含めてね…。」


「松尾さんの奥さん、すみません。今はそれよりも、とにかく棚倉先輩のほうが心配でして…。」


「そうよね。家に帰るまで心配だわ。院試の勉強で、相当に追い詰められていたのが、分かるぐらい凄かったわよね。そうそう、ゴメンね、話を戻すとね、三上さんの家に行くときは、今度は旅館を通じて事前に連絡をして行くそうよ。休み中一度のみとは言っていたけど…。」


「うーん、それなら大丈夫ですけどね。とても怖いのは、うちの親が調子に乗って、正月のイベント毎に延岡理事たちも巻き込んで一緒にやってしまうと、私が疲れてしまう図式になります。例えば、初参りに一緒に行くとか、大晦日の年越し蕎麦を一緒に食べようとか…。」


 それを聞いた荒巻さんが、ワッフルを食べながら苦笑いをしている。


「三上くんのお母さんなら、それはありそうだよ。三上くんは親の説得もあるから辛いところだよね。だからこそ、松尾さんもそれが分かっているから、延岡理事にやんわりと言っていると思うよ。」


 ただ、陽葵は俺が多忙になることを阻止するべく、静かに闘志を燃やしていた。


「大丈夫よ。恭介さんのご飯が食べられないような事態になったら、その都度、恭介さんのお母さんに声をかけるから大丈夫よ。わたしや颯太が言えば、素直に聞いてくれるわ。」


 こういう時の陽葵はホントに怖い。


 そんな話をしているうちに、もうお昼を過ぎて午後の1時になっていたが、ショートケーキを食べながら荒巻さんたちと話をしていたから、お腹があまり空いていないので、時間感覚が鈍ってしまった。


 そろそろ、コンビニでも行って、ガッツリと昼食を食べたい気分だが、席を外せるような状況ではない。


『もう12時半をまわったか。45分になったらバイトの招集時間だよな…。1時から開始するのに15分前に集めるのはお約束だから…。』


 少し小腹が空いたのを我慢しながら、荒巻さんたちと雑談をしていると、今度は北里が、見慣れないキャリーバッグを持って受付室に入ってきた。


「北里、どうしたんだ?。」


 俺がそう声をかけると、北里はマジマジと俺の顔を見て、口を開いたが、もう、嫌な予感しかしない。


「棚倉さんの部屋って5階で小笠原さんの隣でしょ?。いま、小笠原さんが、ここにいるから分からないと思うけど、5階にいる俺の同期が、三上も小笠原さんも部屋にいなかったから、俺に声をかけてきてさ…。」


 その北里の話の切り出しかたと、手に持っているキャリーバッグを見て、かなり深刻な事態だと察した。


「北里。まさか、棚倉先輩が何かやらかしたか?」


「三上、そうなんだよ。棚倉さんの部屋の目の前に、この小さめのキャリーバッグがあって、その上に財布が置いてあってさ。棚倉さんは今日、帰ったんだよな?。完全に置き忘れじゃないか?」


 北里が、手に持っていた財布を受付室にあるテーブルにソッと置くと、たしかに棚倉先輩の財布だったから、その場にいた全員が頭を抱えたが、まずは、俺が冷静になって北里にお願いをした。


「悪いけど、北里。俺や陽葵、それに小笠原先輩になるのか分からないけど、棚倉先輩の荷物と財布を届ける可能性が強いから、あと15分後にあるバイトの指揮を、松尾さんの奥さんと一緒に頼む。今はお客さんが来ている都合で、ここが使えない。バイトを集める場所を食堂にしてくれ。」


 そこに荒巻さんがいるのが幸いして、北里は納得したようにうなずいている。


「三上、分かった。棚倉さんは財布を忘れているから、下手をすると、家に帰れなくて困るよな?。完全に致命的な事態だと誰もが思うよね?。」


「当然だよ。たぶん、そのうち、棚倉先輩は寮に電話をかけてくるか、反応がなければ、棚倉先輩の携帯に電話を入れてみるよ。」


「棚倉さんとマトモに話ができるのは、今は新島さんがいないから、三上ぐらいだもんな。マジに大変な事になったよ…。そうそう、バイトの指揮は任せておけ。大宮や竹田がいないときに、何度か指揮をとっているから、大丈夫。今のうちに慣れておきたいからさ。」


 北里がそう言うと、早速、受付室を飛び出して、食堂に駆け込んでいったのをジッと聞いていた松尾さんの奥さんが、俺に小さく拍手をしている。


 俺が北里に、そのように指示を出した背景には、北里に車の件を話していない事もあった。

 まぁ、車の件がなくても、今の状況では北里にバイトを任せざるを得ない。


 すぐさま、陽葵がバイトの招集を食堂にすることを寮内放送で呼びかけているから、これもナイスな判断である。


 松尾さんの奥さんが、俺に声をかけた。


「私はしばらくしたら、北里くんの面倒を見るわ。三上くんの判断はとても良かったわ。北里くんには、車のことを話していないものね。」


「その通りなんですよ。ちょっと迷いましたが、ここは情報管理は徹底しないと、面倒になりそうで…。」


「三上くん、その通りよ。しかし、困ったわね。問題は誰がどのようにして、財布とバッグを届けるかだわ。」


 この場で、ごく自然な形で緊急会議が行われた。

 この場にいる人たちは、ケーキやワッフルはつまんでいるが、依然として飯抜きの状態だ。


 延岡理事や延岡さんが加わると余計に面倒になることが確実だから、まずは、ここで、どうするか方向性を決めてしまおうとしているのは暗黙の了解になっている。


 荒巻さんが腕を組んで考えていた。


「棚倉くんは名古屋方面だよな?。三上くんが車で行くのは無理があるぞ?」


 俺はそれについて、皆に少しだけ安心をさせる情報を流した。


「棚倉先輩は、私が駅まで送ってく時に、今日は親の仕事の都合で、帰りが夜の8時とか9時以降になりそうで、とても遅いこともあって、途中の熱海で降りて、少し観光をして頭を冷やしてから家に帰ることを、私と陽葵に話していたのです。だから、熱海までの切符しか買っていなくて、その観光が終わった時点で、財布を忘れたことに気づくと思います。」


 それを聞いて、周りは少しだけ安堵の表情を浮かべている。

 陽葵は、俺と一緒に話を聞いていたから、静かにうなずいたのみだったが…。


「いやぁ、三上くんが、棚倉くんの話を聞いてくれて助かったよ。それはある意味で運が良かった。棚倉君も、リフレッシュしたくて熱海に行ったのは良いことだ。熱海までなら、三上くんの実家に行く距離とさほど変わらないだろう。そこで車で往復してしまえば良いわけだ。帰りは遅くなるだろうけど…。」


「荒巻さん、ぶっちゃけて言いますけど、この時期にガソリン代と高速道路代金、もしくは新幹線代を私が出すのはチョッと辛いです。帰郷を控えているので、その…」


 荒巻さんは微笑みを浮かべながら、俺の心配に答えた。


「三上君、そこは心配しなくて大丈夫。こういう事態になる事が男女の寮を含めて何度かあるからね。大抵は寮の予備費でまかなっているから、大丈夫だよ。その予備費は、例えば帰郷したくても困っている寮生の足しにしたり、財布を盗まれて生活に困っている救済などに充てることもあるから。かなり特別な事情がないとダメだけど、今回はその事例に当てはまる。」


 そこに松尾さんの奥さんが言葉を続ける。


「ふふっ、そういえば、棚倉くんが2年生の時に、誰かが財布を寮に置き忘れて、棚倉くんが新幹線で追いかけた事があったわ。大抵の寮生は、新幹線の切符を前もって買ってしまうから、財布を置き忘れたことを気づかない場合が多いのよ。その時も予備費が使われことを思い出したの。」


「そうでしたね。今年は三上くんと霧島さんの対策で、予算がありますから、今年の予備費は相当に余ってますし、文化祭の売上も凄かった影響もあって、その補填費用もゼロでしたから。」


 荒巻さんがそう言うと、小笠原先輩が少しだけ心配そうな顔をした。


「予算はともかく、三上と陽葵ちゃんを車で行かせる事に不安を覚えます。棚倉のことだから、こういう場合、強引に俺の家に泊まっていけなんて、言いかねない性格ですし、そうなったら三上も陽葵ちゃんも逆らえませんよ。名古屋方面まで車を運転するとなると、三上が長距離運転に慣れているとは言え、1人では厳しいのでは?」


 小笠原先輩の意見は、ごもっともなので、この場にいる全員が頭を抱えている。


「小笠原先輩、困ったことに、俺と先輩と陽葵が一緒に同行したら、小笠原先輩と棚倉先輩は、その場で言い合いが始まりそうだから無理ですよね?。小笠原先輩は車を運転できますけど、今は寮生が少ないから1人でも多く寮に残っていないとマズいし。今は諸岡もいませんから、先輩と北里は、寮幹部と同じ扱いで、中心的な存在ですよ。」


「三上の言うとおりだな。寮の内部事情は置いといて、俺が仮に、お前と運転交代をしながら名古屋方面まで行ったとしても、俺は棚倉を見た途端に、無理をしやがってと反射的に怒鳴ってしまうのがお約束だ。お前は棚倉と俺の性格も分かっているから怖い。」


 そんな話をしていたら、寮の電話が鳴って、慌てて松尾さんの奥さんが電話に出る。


 俺たちは、棚倉先輩と松尾さんの奥さんの電話のやりとりを、静かに聞いて、電話が終わるのを待ってから判断をすることにしたのだ。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?