翌朝、俺は寮の食堂に、昨日、夕飯を共にした北里と、棚倉先輩の隣の部屋にいる小笠原先輩が、一緒に飯を食べていた。
小笠原先輩と北里は寮のバイトでよく知っている仲だから、この光景は普通に見られるのだが…。
さっそく、小笠原先輩から声をかけられる。
「よっ、三上。おはよう。今日は棚倉が家に帰るらしいけど、昨日なんか、アイツ、院試の勉強で寝てないから、顔が死んでいたぞ。あまりも酷かったから、もう、寝ろと言ったけど、あの野郎は、簡単に言って聞くようなヤツじゃないからな。」
小笠原先輩は寮のバイトが終わった後に、俺が1年の頃は部屋にお邪魔して、一緒にゲームなどをして遊んでもらっていた仲だ。
先輩はバイクを持っていて、バイクに不具合があったりすると、俺が呼び出されて整備の手伝いをさせられる事もあるが、その時はお礼に飯を奢ってもらったり、勉強を教えて貰った事もある。
特に俺が苦手としたドイツ語や英語などの語学方面は、新島先輩と共に相当にお世話になっていた。
棚倉先輩と同期なので、すでに就職活動も終えて、卒論も無事に提出して通る見込みらしい。
就職は、小笠原先輩の親戚のツテで決まったようで、新入社員の交流会や忘年会などにも参加するために、28日まで寮に残っている事も把握している。
「小笠原先輩、それに北里も、おはようございます。それが心配なので、陽葵と一緒に、あの大きな駅まで送る予定です。松尾さんにも、そうするように声をかけられていましたから。」
それを聞いた小笠原先輩がホッとした表情を浮かべている。
「三上、助かるよ。アイツはマジに新島か三上の言うことしか聞かないからな。もう、隣の部屋で付き合いが4年もあるから、お前のように棚倉の考えていることが手に取るように理解できてるけど、癖が強い奴なのは相変わらずだ。俺は卒業したら働くから、アイツとはこれで別れちゃうけど、三上と別れるほうが辛いよ。」
「先輩、朝っぱらから飯を食いながら、シンミリとしたことを言わないで下さいよ。俺だって新島先輩と一緒に外国語を助けてもらったり、バイトを一緒にやったり、一緒に遊んでもらった恩があるから、感謝しっぱなしですし、お別れとなれば、とても名残惜しいです。」
「そうだな、三上、そんな話は今からやめよう。そうそう、棚倉は、そんな状況になると、マジにドジを踏むことが多くて困る。この前なんか、院試の勉強で相当に追い込まれていたみたいでさ、徹夜で寝ぼけているから、アイツ、風呂に入ろうとして、部屋で服を脱いで、そのまま浴場に向かおうとしているのを偶然に見かけて、急いで声をかけて止めたんだ。」
「先輩、マジっすか!!。棚倉先輩は実家に帰させたほうが良いかもしれませんよ。それで、松尾さんが心配になって、俺に棚倉先輩を駅まで送るように声をかけた訳ですか?。」
「そうなんだよ。かなり心配になって、俺が松尾さんに棚倉のことで声をかけたのが真相だ。今は新島もいないし、お前も色々と面倒な寮の仕事を棚倉に押しつけられて、悲鳴をあげているのは分かるからさ…。」
「棚倉先輩に仕事を頼まれるというか、俺がその仕事をやるように仕向けてしまうから、タチが悪くて困るのですよ。今は新島先輩がいないし、人手がないから諸岡と分散して、村上にも手伝ってもらいながら、なんとか動かしてますけどね…。」
俺は小笠原先輩との会話を終えると、トレイを持って朝食を取りに行って、小笠原先輩の隣に座って飯を食い始めたところで、先輩から再び声をかけられる。
「そういえば三上、お前は24日に帰るらしいが、陽葵ちゃんは、どうするんだ?」
陽葵は寮内で、あの可愛げで可憐な容姿から、ファンが多くて、受付室にいるだけで、寮生から握手を求められたり、声をかけられることも多々ある。
全寮生は、陽葵が俺の彼女だってことは当然の如く分かっているので、下心などは抜きにして、寮内で芸能人と同じような扱いになっている。
小笠原先輩も、陽葵に関しては、そんな感覚なのだろう。
「あの状況ですから、俺の実家まで連れて行きますよ。もう、完全に両親公認ですし、正月中は陽葵の両親や弟も、俺の実家に来るから、もう、何が何だか分かりません。」
それを聞いた小笠原先輩や北里が、朝食を食べるのも止めてしまって、ポカンと口を開けていたが、北里がなんとか俺にツッコミを入れてきた。
「…みっ、三上…。それって、彼女さんと完全に結婚したのと同じじゃねぇか?」
「そうなんだよ。だから、俺があの事件で怪我をして入院をした時に、偶然に同じ日にお見舞いに来た両親同士で交流が始まってさ、そこから完全に家族ぐるみなんだよ。」
しばらく2人は固まっていたが、小笠原先輩がボソッと口を開いた。
「スゲーな、三上は。だから、お前の同期の友人や村上は、陽葵ちゃんを、奥さんと呼んでいるのか…。」
その後は、しばらくは棚倉先輩が最近、寝不足のあまりに奇行が多い件について、小笠原先輩のボヤキをズッと聞いていた。
この前の、風呂に入る時に、全裸で風呂場に行こうとした件で他の寮生もそれを見ていて、フォローに追われた件や、隣の小笠原先輩の部屋を自分の部屋だと勘違いしてしまったり、洗濯機を使用した際に、他の寮生の洗濯物と間違って持っていてしまった事などを聞かされた。
こうなると、棚倉先輩は、実家でゆっくりと休息を取らせたほうが良いことは明らかだ。
朝食を終えて、小笠原先輩が立ち上がったところで、俺に声をかけた。
「三上さぁ、棚倉がメッチャ心配だから、頼んだぞ。その間の受付は俺がするからさ。マジに心配すぎて、嫌な予感しかしないから困った。」
「先輩、分かりました。俺と陽葵が車で駅まで送り届ければ、交通事故の心配は防げそうですからね。」
「頼んだよ。お前に陽葵ちゃんがいれば、大抵は大丈夫だろうから。もしも、何かあれば、俺の携帯を鳴らしてくれ。」
俺は朝食を食べ終えると、早速、陽葵を迎えに行くことにした。
小笠原先輩や北里とゆっくりと話しながら朝食を食べたところで、棚倉先輩が出発するのは10時頃だろうから、時間に余裕はある。
時間まで少しばかり寮の受付をやっても、罰は当たらないだろう。
外は寒くなってフロントガラスには霜が降りているので、俺の車のエンジンをかけるのに、受付室を通って、松尾さんの家と受付室が繋がっている長い廊下を抜けて、駐車場に出ようとしたときに、松尾さんとすれ違った。
「三上君、おはよう。霧島さんを迎えに行って、戻ってきたら棚倉君の見送りを頼むよ。相当に疲れているみたいだから心配だよ。あっ、そうそう、実は、諸岡君は、白井さんのご両親が泊まっているホテルに一緒の宿泊していてね、それに、今日も白井さんのご家族と一緒に付き合うそうだ。」
「松尾さん、おはようございます。棚倉先輩のことは任せて下さい。あと諸岡の件は、白井さんのご両親から、ご飯の心配をされましたか?。陽葵の家族の反応を見ていると、何となく察するところがあって。私はこの寮の朝食でお腹が満たされますから、一向に構わないですけどね。」
「各家庭で事情が違から、親御さんが気にかける部分が全く違うのだよ。三上君は色々と修羅場を乗り越えているから、衣食住は何とも思わないだろうけどね。ちなみに、白井さんのご両親は、明後日には白井さんと諸岡君を連れて帰るそうだ。」
「そうすると、私が寮から出るのと同じ日じゃないですか。諸岡はこのまま、白井さんのご家族と一緒の状態が続くでしょう。正月明けまで、簡単に寮に戻れるとは思えません。暫くの間は小笠原先輩が、内定した会社の懇親会と忘年会がある都合で28日までいるから、無事だと思いますけど…。」
「諸岡クンに関しては、そうだと思うよ。やっぱり三上君は分かっている。小笠原君がいるから、その間は大丈夫な筈だ。その後は、北里君が、3日まで寮内をとりまとめる形になる。」
「大宮も竹田もいませんから、バイト勢の中で、北里がやるなら、安心して見ていられるでしょう。大宮や竹田がいないときの実質のリーダー格ですからね。」
「白井さんのご家族が来なければ、諸岡君が休み中のまとめ役を担おうと頑張っていたのが目に見えて分かったけど、1年の彼に、それを押しつけるのは荷が重すぎるのは明らかだよ。本音ではね、逆に、白井さんの家族が、諸岡君を見てくれて助かったと思っている。」
そんな会話をしたあと、俺は車のエンジンをかけて、暫くの間、受付室に戻って置いてあるストーブで体を温めることにした。
そして、車のエンジンが暖まって霜が解けたところで、まずは、もう大好きでたまらない、とても可愛すぎる陽葵ちゃんを迎えに行く。
陽葵は既に玄関で待っていて、俺の車が陽葵の家の駐車場に駐まると、すぐに乗り込んできた。
「恭介さん♡、おはよう~~♡」
陽葵から俺の頬に素早くキスをされて、朝から俺は幸せいっぱいだし、そんな陽葵が、とても可愛くてしかたがない。
俺は車の中で、棚倉先輩が院試の勉強で徹夜続きが続いていて、もう疲れて色々とドジをしている話をすると、陽葵は一つも笑わずに深刻な顔をしている。
「やっぱり棚倉さんは無理をし過ぎよ。無理をさせないように恭介さんも、棚倉さんを説得すると思うけど、わたしも加わるわ。このままでは、家に帰るときに交通事故で亡くなってしまう可能性だってあるから、新幹線の中ではゆっくりと寝て欲しいわ。」
「ありがとう。俺もせめて新幹線の中では寝て下さいと言うけどさ。長時間、乗っているから寝る時間はあるわけだから。」
俺が心配そうにそう言うと、陽葵がしっかりとうなずいている。
そんな話を陽葵としながら運転していると、寮に着いた。
すると、松尾さんが受付をしていて、俺と陽葵を見かけてニコッと笑ったのが見える。
「おおっ、三上君も霧島さんもお帰り。三上君たちが棚倉君を送っている間は、小笠原君が受付をすると言っていたから大丈夫だよ。彼が棚倉君を心配しているのが、よく分かるよ。」
「小笠原先輩と北里と一緒に朝食を食べましたけど、棚倉先輩が疲れて色々とドジを踏んでいる話を先輩から聞かされたから、とても心配ですよ…。」
「そうなんだよ。私も小笠原君から色々と、棚倉君が疲れ切っている話を聞いて、心配になっているよ。…さてと、私は所用があるから家に戻るからね。」
松尾さんは椅子から立つと、少しだけ何か用事があるように、急いで家に戻ってしまったから、相当に忙しかったのだろう。
その間に、陽葵は、松尾さんとの会話を聞いていて、大好きすぎる恭介の事について、色々と考えを巡らせていた。
恭介は、寮生と一緒に朝食や夕食を共にしたり、一緒に風呂に入ったりしている時に、そういう寮内の様子や、寮生の細かい様子などを集めていることもある。
寮のバイトなどでも多くの寮生から声をかけられるし、恭介が寮にいることが、とても大切だと、恭介と一緒に寮の仕事をしているうちに感じ取っていたのだ。
これを機に、陽葵は恭介が陽葵の家に泊まるのを、金曜日の夜から朝夕のご飯が出ない土日や祭日だけに極力することにした。
俺としては、陽葵の家に迷惑をかけられないから、賛成だったが、陽葵の親のほうが難色を示していたのが少しだけ厄介だった。
陽葵が両親と話をつけて納得させたのは、流石は陽葵だと思ったのだが…。
余談は置いて、話を戻して…。
俺と陽葵がしばらく受付をしていると、小笠原先輩が受付室にやってきた。
「あっ、陽葵ちゃんお久しぶり。受付をやりに来たよ。棚倉が心配で仕方ないからさ。」
陽葵は、小笠原先輩の顔を知っていたようで、笑顔で挨拶をしながら言葉を返した。
「小笠原さん、お久しぶりですね。今まで、恭介さんが随分とお世話になっている先輩で、棚倉さんの隣の部屋とは知らずに、ごめんなさいね。私たちが、棚倉さんを送った後の受付を頼みます。」
『まずいのは、小笠原先輩に車の件を話していないから、バレるとマズい。バレても先輩は黙っていると思うけどさ…。』
そんな事を考えていると、松尾さんが、お菓子を持ってフラッと受付室にやってきた。
「小笠原君も、口が寂しくなったら食べてくれ。三上君の車の件は、私から小笠原君に話してあるから大丈夫だからね。棚倉君の隣の部屋だし、君もよく小笠原君には世話になっているから、秘密厳守は大丈夫だよ。」
俺はそれを聞いてホッとしていたところに、小笠原先輩が本音をこぼす。
「三上が俺に言えなかったのは分かるよ。色々と微妙だから、周りに知られちゃって大騒ぎになるリスクがあるし。それに、他の寮生に見つかれば、お前を重宝がって足代わりに使う奴も出てくる。」
「先輩、そんなところですよ。それに、変なヤツに追われているから、それが分かると余計に面倒だし…。」
そんな話をしていたら、棚倉先輩がバッグや登山に行くかと思うぐらいのリュックを背負って、受付室にやってきた。
「あれ、先輩、かなり時間が早い気がしますが、大丈夫ですか?。」
「三上も陽葵ちゃんもすまない。小笠原も受付を任せてしまって、すまぬ。近頃、自分のドジが酷いから、それが心配で、早めに実家に行く事にしたのだよ。」
「先輩、その自覚があるなら、新幹線の中では寝ていて下さいよ。あれは疲れすぎているから、勉学以外に向ける集中力が散漫になっている証拠ですからね。他の寮生から見ると、奇行に思えてしまうから、色々とこちらも心配になります。」
もう、棚倉先輩は観念していたから、俺の言葉に素直に従うように静かにうなずいる。
その場にいた陽葵や小笠原先輩、それに、松尾さんも含めて、とてもホッとした表情を浮かべているのが明らかに分かった。
「そういう三上の心配がありがたい。さてと、松尾さんが、小笠原に三上の車の件を話してあるのは知っているから、このまま受付室を抜けて行こう。」
先輩は腰に巻いたポーチに入った新幹線の切符と、封筒に入ったお金を確認すると、すぐに出発することにした。
「三上君、霧島さんも、棚倉君を頼んだよ。」
松尾さんや小笠原先輩が、とても心配そうに棚倉先輩を見ているのが分かった。
俺と陽葵が椅子から立ち上がって、棚倉先輩と一緒に駐車場に向かおうとしたところで、小笠原先輩が棚倉先輩に声をかけた。
「棚倉、俺はかなり心配だけど、三上と陽葵ちゃんがいるから安心しているよ。気をつけて帰れよ。お前は無茶をするな。」
「小笠原、本当にすまぬ。お前は俺のドジを庇ってくれているから、お詫びのしようもない。」
「そんなことはどうでも良い。もう、4年間も隣の部屋にいるから慣れているしな。お前は新幹線に乗って寝過ごすなよ。終点の福岡まで行ったら洒落にならないからな…。」
「小笠原の心遣いを今はありがたく受け止めるよ。気をつける。皆に感謝しているよ。」
棚倉先輩は、素直に小笠原先輩の言葉に反応しているから、よっぽど、気持ちが萎えているのだろう。
俺は逆にそれを心配していたのだが…。
そして、俺と陽葵、棚倉先輩は俺の車が停まっている駐車場まで向かったのである。