きなこの散歩が終わった20分後…。
息を整えた皆は、水分補給をしながら、俺と少し雑談をしていた。
良二は、更地になって跡形もなくなった実家を見て嘆いていたが、その原因となった大きな地震があったときに俺が取引先の会社にいて、津波に巻き込まれそうになったところを間一髪で助かった話に、三鷹先輩と一緒に驚いて聞いていた。
そんな話をしている間に、村上の奥さん(泰田さん)は疲れた体を押し切って、葵と恭治の顔がみたいばかりに、恭治を無理矢理に起こした挙げ句、葵は抱っこしながら優しく起こされたので、癇癪をおこさずに目がぱっちりだったので、俺たちは胸をなで下ろす。
旅館の女将さんが気を利かせてくれて、俺の家にマイクロバスが到着すると、散歩をしたメンバーが旅館へと戻っていったが、そのマイクロバスに、大宮の家族や仲村さんの家族、それに天田さんの家族が家に来たから変なことになった…。
代表して木下(大宮の奥さん)が、現状を説明する。
「朝食を食べていた私たちも、きなこちゃんの散歩に行こうとしたけど、女将さんから、すでに出発したと聞いて、三上さんの家にきたのよ。天田さん仲村さんのお子さんは、恭治くんと一緒にゲームをやりたいという理由だけど、大人たちは健康の為に歩きたいと…。」
それを聞いた俺は天井を見上げたが、きなこは、休日の平常コースよりも短いので不満げだし、見知らぬ人が家に来ているから、少し家の中をウロウロしている。
「恐らく、天田さんの奥さん(山埼さん)は、自転車をやっているから、足腰は大丈夫だと思いますが、先ほどの牧埜さん夫婦の事を考えると、ここから、旅館まで歩きましょうか?。それで着いた頃を見計らって、陽葵が、車で愛理ちゃんを旅館まで送りましょう。チャイルドシートは恭治が使ったものを捨てていないから、2つ乗せられますし…。」
「あなた、それは良い案だわ。きなこも平日の散歩コースと距離的には変わらないから、少し不満げよね。あのコースをもう一度歩くとなると、絶対にあなたが倒れてしまうし、旅館までなら歩いて40~50分ぐらいだけど…。みなさん、あの坂道を歩くのは、とてもきついけど大丈夫?」
大宮夫妻や天田さん夫妻、仲村さん夫妻がうなずいているが、一抹の不安を俺は覚えていた。
『子連れ組は食事の後で水族館と言っていたが、果たして、親の気力が持つかどうか…』
子供たちは恭治の部屋に行ってゲームをやり始めているから、時間になれば俺のワゴン車で子供たちを食堂まで連れて行けば良いが、問題は牧埜も良二も含めて、運転できる体力が回復しているかどうかが心配だ。
宗崎や村上は比較的、体力があるほうだから問題はないだろう…。
俺は皆の体力回復の時間を考えると、時間があまりない事に少しだけ焦って、皆に飲み物を持たせると早々に出発した。
きなこと一緒に歩いていて、俺の隣に一緒についてきているのは、やっぱり自転車をやっているだけあって、天田さんの奥さん(山埼さん)がダントツだった。
「三上さん、学生時代の自転車の同好会では、こんな坂で練習をさせられた事があって、若い頃から足腰は鍛えられているほうよ。今は結婚して、子供もいるから自転車はご無沙汰だけど、やっぱりこの坂は自転車じゃなくても、歩いていても足腰にくるわよね…」
「山埼さんの場合、私よりもズッと鍛えているから、最初に散歩をした時の延岡さんや陽葵よりも、ずっと歩けていますよ。」
「三上さんも凄いですよ。その歳で若いときのペースのままで歩けるのは、やっぱり毎日のように、ここで歩いている証拠だし、大学の時にバレーボールが強かったのも、ここを幼少の頃から歩いていたことが大きいですよ。」
「まぁ、小学生のころから、犬を飼っていて、この道を歩いていますからね…」
天田さんの奥さん(山埼さん)は、それを聞いて目を見張っていたが、後ろを振り向いて自分の旦那や、大宮夫婦、それに、仲村さん夫婦を見ると、随分と離されているので、俺はとても心配になっている。
「目の前に、少し道路が広くなっている場所がありますから、そこで休みますか。陽葵も最初のうちは、このあたりで少し息を整える事が多かったので…。」
少し待っていると、大宮夫婦と仲村さん夫婦が、少し息を切らしながら追いついた。
「三上さんも、天田さんの奥さんも、きなこちゃんも速すぎる!!。三上さんは子供の時から、この道を歩いていたなら、足腰が強くて当然だわ…。」
仲村さんの奥さん(守さん)も、山埼さんとおなじような事を言うから、よっぽど上り坂がきつかったのだろう。
『ここまで30分か。普通ならあと10分程度で旅館に着くけど…。これじゃぁ倍の20分はかかるな…』
普段から歩いていない大宮や木下などは、もう足がガクガクになっているから、心配になって俺は声をかける。
「大宮、木下。お前らは大丈夫か?。このままだと生きて旅館に戻れるか不安だから、陽葵を呼んで先に車で旅館に帰るか?。」
「三上くん、これは夫婦共々、便利な社会で、2人とも編集部で座りっぱなしの生活が祟っているのよ。私たちも延岡さんを見習って、足腰を鍛えないと、霧島さん(陽葵)のスタイルには追いつかないわ…。」
木下(大宮の奥さん)が、疲れながらも笑顔を見せたが、俺は、暗に続行を宣言した大宮夫婦が心配で仕方ない。
大宮も、自分の妻の言葉に追従して、俺を納得させようとしている。
「三上、俺たち夫婦は、日頃から運動をしていない罰を受けているのに等しい。だって村上や宗崎だって、普通に歩いていただろ?。あいつらは工場勤務で広い敷地を動き回って現場指揮をしているとはいえども、普段からバレーボールをしている事も大きいと思うから、俺も旅館まで頑張りたい。」
その言葉に、仲村さんも加わる。
「いやぁ…すごいね、三上さんは。これで2回目でしょ?。息も切らさないで、こんな急な坂道が続いているのにヒョイッと歩いちゃうんだからさ…。」
俺は、みんなの息が整うのを見計らうと、少しみんなに頑張るように焚きつけた。
「今日の昼食は、海沿いの隠れ家的な食堂で、獲れたての魚をさばいた舟盛りがでてくるような店に行きますからね。今から疲れていては、そんな豪華なご飯にもありつけませんよ…。」
皆から笑い声があがると、少し元気を出して歩き始めている。
もう10分ぐらいは経っただろうか。
もう少しで旅館に着くが、ここから先は、緩やかに上り坂が続くから、皆は辛いだろう。
でも、旅館に着く前に見晴らしが良い光景が見える場所があるのが、皆を勇気づけるかも知れないことを思い出した。
天気が良い日は海まで見えることもあって、俺はそれを目指してみんなと歩き続けていた。
「実質はあと10分で旅館に着きますけど、あそこの少し道路が広くなっている場所で、少しだけ景色を見て休憩しましょうね。」
最後尾を歩いていた大宮夫婦がそれを聞いて、元気を出している。
そして、俺と山埼さんが先に見晴らしのよい場所に着くと、すぐさま喜びの声をあげた。
「うわぁ!!。これはすごい!。田んぼも見えるけど、そのズッと先に海も見えるわ。今日は見晴らしが良くてラッキーだわ。」
続いて、必死に歩いていた天田さんが自分の女房にやっと追いついて、息を整えながらペットボトルのスポーツドリンクを飲み干している。
「はぁ…はぁ…。確かに、景色が綺麗だけど、それだけ、ここの山が高い証拠ですよね…。これはすごい!。」
天田さんはスマホを取り出して写真を撮ると、隣で見ていた奥さんも、慌ててスマホを取り出して写真を撮っていた。
続いて、仲村さん夫婦も着いて、同じようにスマホで景色を撮り始めた。
そこから遅れること数分…。
ようやく大宮夫婦が、ここに到着して、二人とも膝に手をつくようにして疲れ果てていた。
しばらく息を整えると、木下がこの景色が綺麗な事に気づいた。
「あなた、もの凄く景色が綺麗よ。これは頑張ったご褒美だわ。凄いわ、絶対に都会ではこんな景色は拝めないもの…」
大宮も木下も、スマホで写真を撮っていたが、大宮が俺に少しだけ質問をしてきた。
「三上は、毎日のように奥さんと、犬を散歩させて、この景色を見ているのだろ?。あのあと、旅館で温泉から出たところで、旅館のラウンジでみんなで集まって、延岡さんから、そんな話を聞かされたよ。延岡さんは今日のお昼ご飯の店が初めてだから、相当に期待しているみたいだしね…」
「大宮、そうなんだよ。うちの取引先の接待なんかに使っているから、親父の代からお世話になっている店だけどさ、高台にあって見晴らしも良くて、獲れたての魚も満喫できるからさ。地元の人しか知らないような、隠れ家的な店だよ。」
それを聞いた、皆は少しだ気やる気を出したようだ。
一斉に歩き始めると、15分程度で、皆は旅館の目の前に着いた…。
旅館の入口に着いた途端、思いっきり今の感想をぶつけたのは仲村さんの奥さん(守さん)だった。
「いやぁ~~。マジに歩いたわ!。学校の体育の授業とか、社会科見学の引率なんかよりもズッと過酷よ…。すごいわ。ここの道ならカモシカが出るのは間違いないし、イノシシや鹿がいるのも納得だわ…」
守さんがそんなことを言っていたら、3匹ぐらいの狸が道路から旅館の敷地に歩いて行く姿を見かけて、スマホを偶然に片手に持っていた仲村さんが急いで写真におさめている。
「すごい…、野生の狸なんて初めて見たわ…」
疲れた表情を浮かべた木下がポカンと口を開けながら見ていた。
旅館の入口でしばらくメンバーがボーッとしていると、陽葵の車が来て、俺たちの目の前に停まると、陽葵が葵と愛理ちゃんを連れてきて、葵と愛理ちゃんは一緒に手を繋いで木下のもとに近寄ってきた。
「おかあさん、愛理ちゃんは、あおいちゃんと、おともだちになったの!。ごはんをたべたら、いっしょにすいぞくかんにいく!!」
大宮夫婦はもとより、俺たちもそれを聞いて笑顔になっていた。
きなこをめぐる朝のドタバタ散歩劇はこうして幕を閉じたが、その後、みんなは温泉に浸かって、暫くのあいだ、足腰の疲れを癒やしていたとのこと…。
この後は、皆が旅館をチェックアウトした後に、各々が俺の家に集まって集合することになった。
どのみち、子連れの面々は、ウチの家で恭治とそれぞれの子供がゲームに夢中になっているから、俺の家に寄りざるを得ない。
陽葵は葵をチャイルドシートに乗せて、俺は助手席で、きなこを抱っこしながら家に戻っていったのである。
無論、きなこも、何となく満足そうな顔をしているような気がした…。
ちなみに、きなこと一緒に散歩をした面々は、これを機に健康意識に目覚めたあまり、延岡さんと同じように、それぞれの家族が、俺の家か、あの旅館に年に数回は通うようになってしまったのである。
俺としては、旧友と交流できるのは良いのだが、一方で休日が慌ただしくなったのは言うまでもない…。