-良二たちと電撃的な再会をした翌朝-
俺たち家族は、普段通りに起きて、陽葵と一緒に朝食を食べていると、陽葵がとても不安げな顔をしている。
「あなた、恭治や葵は、昨日、メチャメチャに疲れてしまったようだから、まだ起きてこないわ…。あそこの食堂の予約時間を考えると、タイムリミットの11時までに起きてこなかったらどうしよう…。」
「葵はともかく、恭治が起きてこなかったら置いていこう。他の人もいるから、恭治の都合だけに合わせている余裕がない。…いや、最悪は泰田さんが恭治の部屋に乗り込んで叩き起こせば大丈夫かも。」
「フフッ、そうよね。泰田さんが寝ている子を起こすのがとても得意だわ。もしもダメだったら頼みましょう☆」
俺は、朝食が終わった後に、柴犬のきなこの散歩に出掛ける。
この犬は、先代のりんごよりも、ズッと長い距離を散歩する犬なので、長距離コースが確定だ。
「陽葵、きなこの散歩に行ってくるけど、延岡さんや他のメンバーを拾ってしまったら、手間を掛けるからすまない。」
「あなた、それは分かっているわ。りんごよりもズッと遠くに行くから、あの旅館の目の前を通るのは、お約束だもの。もう、延岡さんは何時ものように期待して待っているわよね…。」
延岡さんがあの旅館に泊まると、翌朝はきなこが散歩しているのを知っているから、一緒についてきて、俺の家で陽葵と一緒にお茶を飲みながら話すのがお約束になっている。
それで、茶飲み話が終わると、陽葵が車で延岡さんを旅館まで送るのもお約束だ。
「あの旅館に関しては、延岡さんは自分の家と同じようなモンだから、それに同調するメンバーもいるだろう。全員が来ることは、まず、あり得ないと思うが、良二や宗崎、村上は一緒にくるから、セットで奥さんも付いてくるだろう…。ただ、三鷹先輩が峠の道を歩いてこられるかが心配だな…。」
俺は、きなこの糞を回収する犬用のエチケット袋を少し大きめのポーチに入れると、散歩に出掛けた。
きなこは足腰が強いから、急な坂も喜んで登るし、階段などもヒョイッと登ってしまうぐらい、体育会系の犬という雰囲気だ。
歩き始めると、1時間以上、長いと2時間は散歩から帰ってこられない。
この犬は頭が良いので、平日は1時間程度で済ませるが、車の交通量が普段とは違う土日になると、それを察して、2時間以上、歩くこともザラだから油断ができない。
早歩きで40分ぐらい歩くと、みんなが泊まっている旅館が見えたが、俺は、温泉街にある東屋にあるベンチに腰掛けると、そばにある自販機で飲み物を買って少しだけ休憩をした。
きなこは、東屋のそばにある水飲み場の水道で水を出してやって、犬も水分補給をさせる。
しばらく犬と一緒に休んでいると、延岡さんと、良二夫婦、村上夫婦と宗崎夫婦が、こちらに歩いてくるのが分かった。
『やっぱり、予想通り、延岡さんに焚きつけられたか…』
俺はそれを見て立ち上がると、きなこが延岡さんを見かけて駆けるように近寄ろうとするから、自動的に俺が走ることになる…。
「みなさん、おはようございます。延岡さんは慣れているけど、他のメンバーがギブアップしないことを祈っています…」
それのその挨拶に、皆は少しだけ笑ったが、三鷹先輩が不安げな表情を浮かべている。
「恭ちゃん、その柴犬は可愛すぎるけど、延岡さんが言ったとおり、散歩が地獄なのよね?。急な上り下りの坂があって足腰がやられるから、散歩が終わったら旅館に戻って温泉に浸かるのが、延岡さんのライフスタイルだと言っていたのよ。ダイエットにはちょうど良いわ…」
「三鷹先輩、ダイエットどころか、普通の人は死にますよ?。俺たちも歳だから、筋肉痛が3日後にやってきても知りませんからね?。漫画ばかり描いていて動いてないでしょうから、先輩はダメならすぐに声をかけてくださいね。そうすれば、陽葵が真っ先に迎えに来ますから。」
俺がそう言ったが、三鷹先輩の決意は固かった。
「大丈夫よ、成功しても駄目でも、いずれにしても漫画のネタになるし、恭ちゃんや陽葵ちゃんが、その歳でも体幹が維持できている秘密を知りたいのよ。」
ちなみに隣にいた旦那の良二はとても不安そうだ。
「恭介や、お前の家に2泊したときに、あのコースを思い出したけど、当時と全く変わっていないだろ?。温泉街は少しリニューアルしているけど、基本的な道は変わらないから、あれを想像しただけで、俺は地獄なんだけど、嫁は説得しても言って聞かないからついてきた…。」
続いて、松裡さん(宗崎の奥さん)がボソッと俺に言った。
「学校の先生をやめたけど、やっぱり運動は必要だから、わたしも今日は頑張るつもりよ。もちろん、三鷹さんと同じで、怖いもの見たさもあるわ…。」
それに泰田さん(村上の奥さん)も続く。
「いや、旦那から色々と聞かされていたけど、もう宗崎さんの奥さんと同じで、怖い物見たさしかないわ…」
宗崎と村上は俺に助けを求めるような目をしているが、自分の女房の手前、何とも言えずに、黙っているのが精一杯だ。
そんな話をしていたら、牧埜夫婦がジャージ姿でこちらにやってきたので、もう、学校の先生が体育の授業をやるようなモードに近い感じが漂っている。
「まっ、牧埜…それに逢隈さんも…。だっ、大丈夫っすか??」
俺はこの展開に、牧埜夫婦に思わず大丈夫か聞き返したが、牧埜は俺をジッと見て、観念したように言い放った。
「紗良が言って聞かないから、俺も観念して歩くことにしたよ。アウトドアだのバーベキューをしているけど、動かないと肥満になるし、体幹も鍛えられないから、小学生の体育の授業で右往左往するだろうと、脅されまして…。」
これをみて、俺は皆を少しだけ待たせて、ポケットからスマホを出すと、メッセージアプリを開いて陽葵に今の現状を簡潔に伝えた。
-----
現在のきなこ散歩の件
1.延岡さんはお約束
2.良二夫婦
3.宗崎夫婦
4.村上夫婦
5.牧埜夫婦
脱落者が出たら救援を頼みます。
-----
『これは、旅館に自分たちの子供がいる家庭は、遠慮をしたってことだろ?。もしも子供がいなければ全員参加ということもあり得たわけだ…』
ほどなくして、陽葵から簡単な返信がきた。
-----
予想通りのメンバーだわ。
仲村さん夫婦や天田さん夫婦はお子さんがいるから遠慮したのよね。
木下さんも手間がかかる子供がいるから余計だわ…。
たぶん、三鷹さんや逢隈さんがダメかもしれないから覚悟しておく。
-----
こうして、早朝のきなこの散歩は大所帯で幕を開けたのである…。
まず、最初にみんなにお願いしをして出発することにした。
「みんな、無理は禁物なので、もしも足を痛めたり腰を痛めたりした場合は、すぐに私に声をかけるか、陽葵のスマホに連絡をしてくれ。あとは、延岡さんは既に飲み物を手にしているけど、皆さんもそれに習って、そこの自販機で飲み物を買うことをお勧めします。途中で汗だくになる可能性が強いです。」
それについて三鷹先輩からツッコミが入る。
「きょっ、恭ちゃんは、何も手にしてないけど、きなこちゃんも含めて大丈夫ってこと?」
「俺は、さっきここの自販機で水分補給をしたから大丈夫だし、きなこも、そこの水道で水を飲んでいるからね。」
そして、その三鷹先輩のツッコミに、良二が三鷹先輩にダメ押しをするような言葉をつなげた。
「美緒さん、頼むから恭介の真似だけはしないでくれ。コイツはこう見えても、体が頑丈すぎるので、他の人間とは違うから、基本的な注意事項を皆に言うぐらいキツいってことだよ。俺も先代の犬と同じコースで散歩をしたけど、宗崎や村上も散歩が終わった後は死んだのからな…。でも、コイツは平気な顔をして親父の仕事の手伝いをしているから溜まったもんじゃねぇ。」
そこに村上が追い打ちをかけた。
「三上はたぶん、ここまで来るまでに40~50分は歩いているよ。最低でも、あと1時間程度は歩くだろうから、覚悟した方が良いぞ。コイツは、すでにそれだけ歩いていても、犬と同じで平気でいるからな…。」
延岡さんが村上の言葉を聞いて激しくうなずいて、経験談を語り始める。
「三上さんの家からいちど、ぐるっと回って2時間コースを歩いた事があったけど、マジにあの時は足がパンパンだったわよ…」
そんな話をしているうちに、皆が飲み物を買い終えて、ようやく、きなこの散歩を再開した。
きなこは意外とハイペースなので、女性陣にとってこのペースは少しキツい。
この道は急な上り坂があったり、下り坂があったりするので、歩くのがきついが、まだ皆の足取りは軽い。
「うわぁ…昨日は夜中で分からなかったけど、こんなに凄い山道だったのね?。これではカモシカなんかが出てくるわけだわ…」
三鷹先輩は辺りを見ながら、スマホで写真を撮っているので、何か漫画や絵を描くときの参考にしたいのだろう。
「三上くん、こんな坂道なのに歩くスピードがメッチャ速いですよ!。それに犬も全然、疲れていないから凄い!!」
牧埜が少しだけ音を上げ始めているが、俺は構わずに言葉を返した。
「牧埜も陽葵の車に同乗するのは困るから、男性陣はせめて最後まで歩いて欲しいな。無理に俺のペースを合わせなくても良いから、自分のペースで歩いてくれ。ある程度の分岐点で皆を待っているから大丈夫だからね。」
延岡さんは慣れているので、俺の隣で一緒に歩いている感じだ。
最初のうちはギブアップすることも多かったが、どうやら家でウォーキングをしたり、運動器具を使って日頃の鍛錬を欠かさなかった結果、俺の散歩についていける体力を身につけたとか…。
「三上さん、ここは子供の時から、父や伯父様に連れられて随分と通っているけど、カモシカは見たことがないわ。やっぱり本橋さんたちはラッキーだったのね…。」
「延岡さん、そうだと思いますよ。私たちのような地元の人間でも、カモシカは数年に一度ぐらいの感覚で見られる程度ですからね。私も陽葵も2年ぶりぐらいです。」
もう、30~40分ぐらいは歩いただろうか…。
その時点で、牧埜夫婦や三鷹先輩、それに泰田さん、松裡さんが少しずつ遅れ始めている。
『まずいな、このまま、きなこのペースに合わせたら、大人といえどもはぐれるよな…。問題は、きなこが、あの道を歩いてくれるかどうか…だ。』
隣にいた、延岡さんに俺は相談を持ちかける。
「延岡さん、後ろからシッカリとついてきている宗崎や村上はともかく、このままだと、遅れた人たちの迷子が怖いので、延岡さんがようやく自力で歩き始めた頃に一緒に歩いたあのコースを行きたいと思います。もしも、きなこがそのコースを嫌がったら、残りのメンバーをそのコースに案内して欲しいのです。」
「分かったわ、確かに本橋さん夫婦や、牧埜さん夫婦が怪しいわよね…。あのままだと、ここで迷子…いや、遭難してしまうわ…」
延岡さんは少し笑っているが、後ろを歩いている宗崎や村上は、もう疲れて言葉が少なげである、
そして、やっとの思いで宗崎が俺にツッコミを入れた。
「三上さぁ、あの時は俺も若いから、お前のペースに合わせて歩けたけど、お前はこの年になっても、平気で、若い頃と変わらずに歩いているからスゲーよ。うちの嫁は、本橋や牧埜さん夫婦に任せたけど、近道を行くのは仕方ないと思うぞ…。」
俺は、その近道がある交差点にぶつかったところで、遅れてやってきたメンバーを待った。
『きなこが、ここで一緒に待ってくれているから、今日は特別な日と思っているな…。これは一緒に歩けるかも。』
ここの交差点に集まったところで、少しだけ皆を休ませたが、三鷹先輩が完全に疲れ切っていて、呼吸も荒くなっている。
「はぁ…はぁ…。恭ちゃんはマジにスゲぇわ…。これで、疲れてもいないし、息もあがっていないから、凄すぎるわ…。」
今の状況を考えると、延岡さんや宗崎と村上を除いたら、普通のコースを歩けるような余地はないだろから、俺は、みんなに妥協案を出す。
「本来なら、ここから40分ぐらい歩かないと駄目なのですが、それを15~20分程度に短縮する道があります。ただし、急な下り坂なので、足腰に注意して下さい。かつて、陽葵と陽葵の弟が散歩に行ったときに、この道を通った事があるので、大丈夫だとは思いますが、とにかく急な下り坂に注意して下さい。」
皆はそれにうなずいているが、もう、言葉を発する気力がないのが明らかに分かった。
俺は、出発するときに逢隈さんと、三鷹先輩に気を遣った。
この時の、きなこは、いつもとは違った。
何時もなら、こんな坂はサラッと駆け下ってしまうのだが、延岡さんを先頭にして、きなこは、一番最後尾を歩いている、逢隈さんや三鷹先輩を気遣って、最後尾をゆっくりと歩いているのだ。
逢隈さんが息を切らしながら、俺ときなこに話しかけてくる。
「はぁ…。はぁ…。三上さんは本当に凄いわ。… …きなこちゃんも、みんなのことを心配しているのね。賢い犬だわ…。」
延岡さんを先頭にして、急な坂を駆け下って、しばらく平坦な道を歩くと、俺の工場が見えてきたところで、村上が少しだけ声をあげた。
「やった、ようやく三上の家に着いた。あの時と同じぐらい感動しているよ。思い出したよ、この感動だよ…。」
そうして、俺の家はしばらく大所帯になったが、話し声が聞こえたのは、延岡さんと俺たち夫婦のみだった。
みんな疲れ切って、グッタリとしていたのである…。