俺は良二のワゴン車を運転して旅館に向かっているが、ここの夜道は、勝手知ったる道でも油断ができない。
良二の車の後ろからマイクロバスが、後からついてくるような形になったが、マイクロバスは子供たちを乗せているので、夜だし、酔わないようにゆっくりと走りたい運転手の気持ちが良く分かる。
「夜だから、あまり分からないけど、恭ちゃんの家はやっぱり秘境よね。こんな峠道を夜に走るなんて、ウチの旦那が怖じ気づくぐらいだから、よっぽどだわ…。」
三鷹先輩の感想に、ここを通るたびに、初心者に向けて放つセリフを何時ものように繰り返す。
「慣れれば、大丈夫ですが、ここは昔から動物の飛び出しが怖い場所でしてね、若い時分のことですが、良二も俺の家に来たときに、イノシシやら鹿なんかを散々に見ていますから。それに、路肩にガードレールはありますが、落ちたら死ぬ状態ですし…。」
三鷹先輩は、街灯がついている場所から道路を見渡すと、驚いたような表情をしている。
「わたしも運転免許を持っているけど、この道を恭ちゃんや陽葵ちゃんは平気で走っているのよね?。ちょっと信じられないわ。今まで九州にいたけど、私や夫も都市部に住んでいたから、こんな道は初めてに近いわ…。」
それについて陽葵が三鷹先輩に、この道のことを説明をする。
「三鷹さん…いや、本橋さんの奥さん、最初のうちは私も怖くてダメだったけど、上の子供が産まれたあたりから旦那を脇につけて、手取り足取りレクチャーを受けて、この道を通っていたのよ。温泉街のあたりは旅館関係者のお子さんも多いから、親同士のコミュニケーション上では、この道は切っても切れないのよ。」
陽葵と三鷹先輩が、そんな話をしていたら、先の道路のほうに動物の目がライトに照らされて光って見えたので、ゆっくりと減速しながらハザードを点灯させて、後ろのマイクロバスに注意を促すと、三鷹先輩がオドオドしたような声で俺に何が起こったのか聞いてきた。
「恭っ、恭ちゃん、どうしたの?」
「鹿らしき動物が見えたので、減速して止まりますね。奴らは昼夜関係なく出てくる感じだから、油断ができなくてね…。」
車を少し駐めて、この車の目の前にひょっこりと現れたのは、2匹のカモシカだ…。
みんなはカモシカを見て唖然としていたし、大宮は少しだけ冷静になって、スマホでカモシカを撮ってみたが、暗いからあまり良く写っていない印象だ。
そして、カモシカを見た木下が、少しだけ大きな声を出す。
「ええ??!!、あれがカモシカ???!!。初めてカモシカを見たわ。それにしても三上さんの判断力は、学生時代と変わらないから凄いわ。普通の人なら、カモシカを轢いていたわ…。」
「カモシカ…。久しぶりよね。わたしも2年ぶりに見たわ…。」
陽葵がボソッとそんな事を言うと、三鷹先輩から一般常識的な突っこみが入る。
「陽葵ちゃん!!。それは、ここの生活に慣れすぎている証拠だわ。普通の人は野生のカモシカなんて、一生に一度、見られれば運が良いほうよ!!。」
それをジッと聞いていた良二がボソッと、周りをまとめるようにツッコミを入れた。
「しかし、恭介の奥さんも、似たもの夫婦と言うが、こういう部分で恭介化してきたよな。お前らは付き合いが長すぎて、ラブラブを超えて精神まで同化してきたか…」
「もぉ~~、本橋さん。同化なんてオーバーな表現よ。こっちは、旦那がSNSで、嫁成分が足りないとか、嫁成分を余すところなく吸収したいなんて、わけが分からないことをボソッとつぶやくし、いつのまにか旦那のほうが、わたしに熱愛しているから、とても、同化なんてできないわ…。」
陽葵がそんな暴露をした瞬間、後ろの座席にいた良二と三鷹先輩は、同時に吹き出したが、俺は運転をしているから、それに構っている余裕がない。
「おっ、奥さん、それは恭介が無茶苦茶に奥さんを愛している証拠ですから、何も考えないで下さい。恭介がそうなるのも分かりますし、奥さんがお綺麗なのも、その当時と変わらないから、恭介の野郎が相変わらずベタ惚れなんですよ。」
続いて大宮夫婦がクスッと笑っていたが、俺は完全に無視をすることにした。
旅館に着いて、車から降りると、しばらくして、子どもたちと逢隈さん(牧埜の奥さん)を乗せたマイクロバスも旅館に着いた。
恭治がマイクロバスから降りると、俺と陽葵にボソッと話しかけてくる。
「そういえば、仲村くんが、スマホでカモシカを綺麗に撮ったよ。お父さんが運転していた車のライトに照らされて、偶然にも上手く撮れているよ。」
どうやら、バスから降りると、子供同士でスマホを使ってカモシカの画像を交換し合っているようだが、俺らと同じく地元でカモシカと希に遭遇している恭治は、要らないと言って断っていたらしい…。
「やっぱり車内は大騒ぎだったかな?。カモシカなんて、都会の人じゃなかなか見られないからね…」
「うん、一緒に乗っていた牧埜さんの奥さんも一緒に驚いていたよ。俺たちはなんてことないけど…。」
良二たちは、旅館の女将に部屋を案内されていて、とりあえず荷物を部屋に置いてきているようだ。
俺は恭治とそんな話をしながら、とりあえず宴会場に向かうと、部屋に荷物を置いてきた良二たちが、別の廊下からきて、俺と恭治に話しかけてくる。
「おっ、この子が恭介の息子さんか。初めまして、本橋と言います。お父さんとは大学時代の友人でね。隣は、私の奥さんだけど、お父さんとは学生寮でお世話になっていた先輩だよ。」
恭治が慌てて挨拶をすると、三鷹先輩がジックリと恭治を見て感想を漏らした。
「もう、恭ちゃんの子供である雰囲気が、そこかしこから出ているわよ。それに、陽葵ちゃんの血も継いでいるから、学校内でモテそうな顔をしているわ…。」
そんな話をしながら旅館の廊下を歩いていると、宴会場がある部屋の目の前に着くと、良二や三鷹先輩、木下や大宮の姿を皆が見た瞬間に、大きな歓声があがる。
そこから先は、色々な人が、4人を囲んで、それぞれ挨拶や言葉を交わしながら時間が過ぎていったが、長距離を運転してきた良二を俺は気遣って皆に声をかけた。
「そういえば、4人も、大宮夫妻のお子さんも、ご飯抜きだったから、そろそろ席に着いて、もういちど仕切り直しをしよう。」
大宮と木下の子供を見た葵が、真っ先に言葉をあげた。
「葵ちゃん、そこのお友達と一緒にご飯を食べるのぉ~~。」
木下の子供をみた泰田さん(村上の奥さん)は、もう愛理ちゃんを見るとメロメロ状態だった。
「うわぁ~~~。こんな可愛い子が2人も~~。今日は幸せだわっ…」
木下は泰田さんに向かって、感謝の言葉を表して手を合わせると、すぐさま話しかけている。
「泰田さん…いや、村上さんの奥さん。子供の面倒を見て頂いて助かります。ご飯を食べられなさそうで、少しだけどうしようかと思っていて…。」
ビールを飲み過ぎて酔いが少し回っていた泰田さんは、木下さんの背中を軽くポンと叩く。
「木下さん、気にしないでね。葵ちゃんも可愛いけど、愛理ちゃんも可愛くてしかたないわ。わたしが子供たちを見ているから安心して食べてよ。三上さんとも積もる話が沢山あるだろうから。旦那も大宮さんと話しがしたくて、たまらないのよ。」
「でも、泰田さんたちも、三上さんたちと、お久しぶりなんじゃないですか?」
木下が疑問を呈すると、泰田さんはニッコリと笑って答える。
「木下さん、大丈夫よ。三上さん夫婦がね、陽葵ちゃんの実家に帰ると、実行委員チームが集まって、いつもの体育館で練習をしているぐらい、私たちはよく会っているのよ。だからこそ、プレ宿泊は、顔見知りだけで、不具合があれば忌憚なく話せる人たちを選んでやっていたのよ。でもね、今日は、嬉しいことばかりだわ!!」
そう言って、泰田さんは、愛理ちゃんのご飯を食べさせながら、隣で葵も、少しご飯を食べつつ、2人の小さな女の子が、たどたどしい言葉で何やら会話をしていた。
それを、泰田さんが、2人の間に入って聞いている役目になっていて、陽葵の隣に座った木下が、それを見てホッとした表情を浮かべている。
「愛理の面倒を泰田さんがみてくれて助かったわ。それに三上さんのお子さんは、年の差が随分と離れているのね。ちょうど女の子同士で仲良くしてくれて良かったわ…。」
そんな会話をしていたら、俺の真正面に良二と三鷹先輩がお膳を持ってきて座り始めた。
「恭介や、色々とツッコミどころが満載で大変だったわ。実行委員チームの面々が、ここにいるのは分かるけどさ、まさか、延岡さんが大学教授になっていて、しかも、恭介の家族と長くて深い付き合いがあるとは思わなかったぞ。それは俺も意外だったわ…。」
「延岡さんの家族は、親の世代から温泉好きでね、ここの温泉によく泊まっていたんだよ。それで延岡さんが結婚しても、それは変わることなく…という感じでさ。」
良二の夫婦も、大宮の夫婦も、今は出された食事に夢中だから、相当にお腹が空いているに違いない。
「それで、延岡さんは家族も一緒に仲が良いのか。マジに、俺が恭介と繋がっていたとしても、それはスペシャルゲストになるわ。意外性がありすぎて吃驚だからさ。…ん?、やっぱり、ここは刺身とか魚が美味いよな。温泉は山奥にあるけど、海もほどよく近いから、刺身が新鮮なんだよ。」
「みんな、よく食べてくれ。このあと、空きっ腹に温泉ってのも、あまり良くなくて、よく旅館の部屋に温泉まんじゅうとか甘い物が置いてあるのは、温泉に入った時にぶっ倒れない目的もあるから、甘く見てはいけないオチもある…。あとは水分補給ね…。」
そんな感じで久しぶりの再会は、和気藹々と過ぎていったが、程なくして、良二や三鷹先輩、それに木下や大宮も、少し飲み始めたので、俺は酔っ払う前に4人に念を押した。
「良二たちにお願いだが、棚倉先輩たちが来たときに、プレ宿泊の件は黙っておいてくれ。たぶん、棚倉先輩も新島先輩も、良二や大宮や木下、それに延岡さんを見てびっくりするだろうけど、俺が探し出したことにして、シレッと乗り切ろうと思っているから。」
それについて、ここにいる全員が賛同して、それを代表する形で、良二がそれに答える。
「恭介や。うちの嫁が、棚倉さんと接触したときに、ここの宿泊に関して、チラッと聞かされていたようだけど、棚倉さんの導きでお前に再会しようとは思わなかった。だから嫁も俺と結婚したことを話さなかったわけ。だけど、お前の奥さんがイキナリ今日、プレ宿泊会をやっていて、そこに村上や宗崎も来ているなんて言うモンだから、慌ててやってきたわけさ。」
「うーん、棚倉先輩は、三鷹先輩を切り札にしようとしてる気が満々だけどさ、このメンバーを考えると、竹田夫婦も来るだろうし、諸岡夫婦や江川夫婦も来るだろうから、腰を抜かすのは棚倉先輩のほうだからな…。」
俺の言葉に関して、当事者の三鷹先輩が悪戯っぽく笑いながら、棚倉先輩への対処に答えた。
「やっぱり、このへんは流石は恭ちゃんよね。棚倉さんへの対処はそれでOKだし、なんとなく彼が引き合わせるよりも恭ちゃんと、こんな感じで自然に会うほうがよっぽど嬉しいわ。それに寮生なんて、卒業して実家に帰ってしまえば、自ずと縁が切れてしまう事が多いのに、こうやって幾つかの人と密接に繋がっているのは凄いわよ。」
その三鷹先輩の言葉に宗崎が少しだけ突っ込んだ。
「こいつは、みんなを結婚に結びつけた大切な人だから、みんなが離さないのですよ。実際に三鷹さんも、木下さんも、学生時代から続く三上の縁といって過言じゃありませんから。」
宗崎の言葉に、皆はなぜか拍手をしているので、おれは咄嗟に明日の予定を切り出して誤魔化すことにした。
「あっ、その前に、忘れないうちに言いますけど、明日は朝の10時まで旅館でゆっくり過ごすなり、俺の家にきてゆっくり過ごすなりして下さい。その後はみんなで、昼食を食べて散会になるけど、時間のある人はその後、水族館や魚市場に行っても構いません。本番も自由行動は変わらない感じですから…。」
◇
そして宴会は、しばらくして終わりを告げて、結局、俺はお酒を一滴も飲まずに、温泉に入って家路に着くことになった。
長かった一日を終えて、恭治は疲れて部屋で寝てしまっているし、葵は寝かしつける間もなく、すぐに寝てしまった。
俺は陽葵と軽く夜食を食べながら、ゆっくりとしたひとときを過ごした。
「しかし、良二が三鷹先輩と結婚して、木下が大宮と結婚か…。人生なんて、何があるか分からないなぁ。」
「フフッ、あなたと大学から一緒になってから、こんなにワクワクすることはないわよ。辛い事も悲しい事もあったけどね、こうやって本橋さんや三鷹さん、それに木下さんや大宮さんが来てくれるなんて、あなただからこそ、できたのよ…」
そんな長い一日がようやく終わったのである…。