寮長会議が終わって、皆が話をしている間に、松尾さんや寮母さん、荒巻さんと高木さん、延岡理事が集まって、何やら話をしている。
皆が雑談をしている間に、泰田さんの携帯が鳴って、自分の母親から電話がかかってきたらしく、少し面倒くさそうに会話をしていたが、隣で聞いていた陽葵と守さんが、苦笑いをしているのが横目でチラッと見える。
泰田さんの話によると、陽葵のお母さんが食材を買い忘れたから、陽葵の父親と颯太くんを連れて、スーパーまで買い物をした後にバスを待っていたところ、泰田さんの母親が陽葵の家族を見つけて、そのまま家まで送り届けたので、今はリビングで世間話をしているらしい。
荒巻さんたちが、それらの話を踏まえながら、陽葵と守さん、泰田さんを、延岡理事の車で陽葵の家まで送ることが決まったのだが、陽葵はそれを聞いて、少し涙目になっていたので、俺は誰も見ていないところでソッと陽葵に声をかけた。
「陽葵。とても辛ければ、俺も一緒に行って、みんなのお相手するけど、本当に大丈夫か?」
「恭介さんは駄目よ。とても疲れているのに、これ以上、延岡理事やコーチ(泰田さんのお母さん)の相手なんてしたら、恭介さんが倒れてしまうわ…。大丈夫よ、私だけで頑張ってみるわよ。泰田さんや守さんもいるから、何とかなるはずよ…。」
泰田さんが、俺たちの会話に気づいて、小声で耳打ちをする。
「霧島さんたちも疲れているから、理事も含めて、簡単に話を終わらせるように上手くやってみるわ。棚倉さんや三上さんには及ばないけど、疲れているのを強調すれば大丈夫なはずよ…」
「泰田さん、どうか、守さんと一緒に陽葵たちを頼みます…。」
俺がそう二人に頼み込むと、守さんがうなずいて、俺の背中をポンと叩いて俺を安心させようとしている。
「大丈夫よ。霧島さんの家族は相当に疲れているはずだから、うちらの母親も含めて長居をさせないわよ…」
俺は後ろ髪が引かれる想いで、陽葵たちを見送った。
一方で高木さんの車には、良二や宗崎、仲村さんが乗り込んで、女子寮の幹部達は、寮母さんの車で女子寮まで戻っていく。
棚倉先輩も、院試やゼミなどの兼ね合いで、やるべき事が山積みになっているから、早々に部屋に戻ってしまった。
みんなが食堂から去って、後片付けを一通り終えた後、松尾さんと俺、村上や諸岡、それに竹田や大宮が受付室に残って、本音を吐き始めた。
「三上君、学生課や私たちを含めて、延岡理事を止められなかったのは詫びるしかない。泰田さんと、霧島さんとの会話が少し聞こえていたから余計だよ。あのままでは、霧島さんの家族も体が休まらないからね…。」
「松尾さん、そこまで頭を下げなくても…。延岡理事は私たちの両親に、迅速な対応を心がけると言った手前、後に引けなかったと思いますよ。」
俺がそう言うと、松尾さんは察することがあったようで、ストンと落ちるものがあったようだ。
「三上くん、そういう事か。だからこそ、霧島さんのご両親は何も言わなかったのだな…。」
松尾さんの言葉にうなずくと、少しだけ俺は不安を口にした。
「陽葵の母親は、陽葵と性格が瓜二つなので、あまり買い忘れをするような性格ではありません。やっぱりご両親も、相当に疲れていますよ。それに、お2人ともお酒があまり強くないのに、夜遅くまで理事たちと飲み明かしましたから…」
それを聞いた松尾さんは、しっかりとうなずいている。
「三上くんも疲れただろう。ここにいる皆も将来的に出くわすかも知れないが、親戚付き合いって色々と大変だからね。特に親が絡んでくる案件は、気を遣うことが多いのだよ。三上君は若いときから、心労を重ねているのが分かるよ…」
俺がそれに答えようとしたとき、『ぐー』という音が、お腹から鳴った…。
「みんな、ごめん。会議でも陽葵の家でも、気を遣う事が多くて、ご飯をあまり食べられていない。食べようとしても喉が通らなくてね…。」
その本音を聞いた松尾さんがお腹を抱えて笑った。
「はっはっ!!!!。三上君、その気持ちはよく分かるよ。全てが終わって、体の力が抜けて、ようやくお腹が空いたのか?。それは分かるなぁ…。」
「松尾さん、そんなところです。もう、なんだか全身から力が抜けてしまいましたよ。」
俺はさらに言葉を続けて、みんなをラーメン屋に誘うことにした。
「みんな、車は流石に使えないけど、棚倉先輩が言っていた、大学とは逆方向にあるラーメン屋に食べにいかないか?。」
その誘いに村上が真っ先に答える。
「いいよ、俺もちょうど、夜食が欲しかったところだ。棚倉さんが教えてくれたラーメン屋の場所は、俺も知っているよ。三上が相当に疲れているから、スタミナラーメンなんか、お勧めじゃないかな?」
そこにいた面々は、村上と同様に二つ返事でOKだ。
黙って聞いていた松尾さんは、微笑みを絶やさないでいる。
「三上君、私は流石に家族がいるから駄目だけど、みんなで行ってきな。おつりは要らないから、私のポケットマネーだから、存分に食べてきなさい。…今回の罪滅ぼしでもあるけどね…。」
松尾さんが、みんなの分のラーメン代を出してくれたのは、ホントに涙が出そうだ。
「ありがとうございます!!。」
そこにいた全員が、松尾さんに頭を下げたのだった…。
余談だが、このエピソードは、俺と陽葵の結婚式にて、松尾さんのスピーチで語られたのは、想いもよらなかった。
松尾さんは、俺の人となりや仲間同士の団結力の良さをアピールするために語ったが、その当事者としては、各々の感じかたが異なる出来事である。
このことに関して、陽葵は、すでに忘れかけていたので、突っ込まれずに助かったし、颯太くんは、その当時の大人の事情などを知る由もなかった。
しかし、陽葵の両親やウチの両親は、この話を聞いて、色々と思い当たることが多くて、申し訳なさそうな顔を俺に向けたのをよく覚えている。
◇
…話はさておき…。
俺と村上、諸岡に大宮と竹田を引き連れて、歩いてラーメン屋に向かっていた。
ちなみに、ラーメン屋の場所は、寮からスーパー銭湯に行く際の通り道だったから、場所を知っていて迷うこともない。
諸岡が辺りを見渡しながら、感心したように俺に話しかけてくる。
「三上寮長、大学とは逆方向の道なんて、僕は一度も歩いたことがないから、未知の世界ですよ。棚倉さんたちは、よく見つけましたよね?」
「うーん、棚倉先輩が知っている食い物屋の情報源って、三鷹先輩の他には、ゼミの仲間同士の情報だったりするからね。この周辺をよく知る人がいたと思うよ。前は新島先輩がいたけど、今は休学しているから余計に…。」
その言葉に反応をしたのは意外にも竹田だった。
「三上、俺たちが1年の頃に、棚倉さんと新島さんと一緒に真面目に働いたバイト連中たちを連れて美味しいカレー屋に連れて行ったことがあっただろ?。あの時は、新島さんが店を知っていて、こっちの方面だったよな?」
「竹田、そうだった。あのカレー屋もこの方向だったよ…。」
このラーメン屋は深夜まで開いているので、棚倉先輩曰く、飲んだ後のサラリーマンがシメにラーメンを食べるのに来る事があるから、絡まれるのだけは注意しろと言われたことを思い出して、とりあえず皆には注意を呼びかける。
「棚倉先輩が言っていたけど、深夜まで空いている店だから、酔っ払いの客に要注意かな。席さえ気をつければ絡まれる事はないだろうから…。」
そんな注意を呼びかけたところで、タイミング良くラーメン屋に着いて、先輩達の言うとおり、酔った客に近づかないように席に着くと、各々がラーメンを注文する。
『ここは家系のラーメンか…』
俺はスタミナラーメンのニンニク入りと、半チャーハン餃子セットを頼んだ。
このさい、大好きな陽葵ちゃんと一緒に寝ながら抱き合ってスリスリしたり、チューをしてラブラブな夜を過ごすわけじゃないし、さらに激しいスキンシップなどは1週間ぐらいお預けである。
ただ、実際問題として、そんなものを食べたところで、可憐で可愛すぎる妻としては関係なかったりするのだが…。
諸岡は白井さんを気にするあまりに、スタミナラーメンでニンニクを抜きにしていたが、何だかんだ言って、他のメンバーもスタミナラーメンにニンニクの有無や半チャーハン餃子セットを付けるか、付けないかのような感じで、ほとんど同じような感じだ。
「三上寮長、評判のスタミナラーメンを食べないことには、始まりませんからね。」
みんな、諸岡の意見に同意をしている。
「少し贅沢な悩みになってしまうけど、俺の実家は新鮮な海産物がけっこう入ってくる地域だから、陽葵の家族へ接待のために、刺身や魚料理が相次いでしまうと、逆にこういうのが恋しくなるんだよね…」
俺の愚痴に同意したのは大宮だった。
「三上、なんとなく分かるよ。でも、今のお前は疲れているから、生ものを食べるよりは、こういう食事のほうが安心感があるよな…」
「大宮、そんなところだよ。それに、昨日の夜から延岡理事や延岡さんに振り回されて、俺はもう疲れたよ。それじゃなくても、昨夜は夕飯抜きだったし、ずっと運転しっぱなしだから、さすがに身が持たなくてね…」
そんな話をしていたら、俺の携帯に陽葵からのメールが届いた。
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もしも寝ているところを電話で起こしたら嫌だからメールをするね。
あの後、延岡理事と延岡さんは、泰田さんのお母さんを交えて、軽く話をした後に直ぐに帰ったわ。
今頃はお風呂に入っているか、寝ているだろうから、無理に返事はしなくていいわ。
明日も会えるから、その時にゆっくり話しましょ。
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『うーん、いま返事をすると、電話がかかってきそうだから止めておくか…。』
俺が食事中に携帯を見ていたのを横目でみた村上が、ボソッとつぶやくように問いかけてきた。
「やっぱり奥さんも心配になっているから、携帯でメールでも寄越してきたのか?」
「そんなところだよ。どうやら、理事たちや泰田さんのお母さん達も早々に引き上げたらしい。」
それを聞いたみんながホッとした表情を浮かべているし、村上も安堵を浮かべながら口を開く。
「それを聞いてホッとしたよ。あの理事の調子だと、宴会状態で懇々とやられたら、奥さんだって倒れてしまうからな…。」
その後は、雑談になったが、ほとんど俺の家のネタが中心だった。
村上も行ったことがあるから、周りが田んぼと山ばかりで、温泉があることや、刺身が新鮮すぎてやたらと美味い話などで盛り上がって時間があっという間に過ぎていく。
そうして俺たちは食事を終えた後に、一緒に風呂に入って、それぞれの部屋に入って明日に備えた。
俺は、部屋に戻って寝る前に、陽葵の携帯送るメールの内容を色々と考えていたが、このさい、陽葵を騙すことはせずに、正直に書くことに決めて、慣れない手つきでメールを打ち始める。
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陽葵、お疲れさまです。
延岡理事たちが長居せずに帰ったようだからホッとしました。
松尾さんに食欲がないことを心配されちゃって…。
会議の後、松尾さんがケットマネーを出してくれて、村上や諸岡、大宮と竹田を連れて、寮から歩いて行ける場所にあるラーメン屋で、打ち上げを兼ねて夜食を食べていました。
陽葵の家の夕食の時は、疲れもあったけど、色々と考えることが多くて、食事に手がつかず…。
みんなが帰った後に、ようやくお腹が空いてしまった。
ニンニクの効いたスタミナラーメンだったので、明日の朝、匂ったらゴメン。
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そんなメールを送ると、陽葵から電話がかかってきた…。
「恭介さん、元気が戻って良かったわよ。家族もそうだけど、泰田さんや守さんまで、恭介さんの食欲がないから、とても心配していたの。ニンニクはわたしも平気だし、そのラーメンを食べてみたいわ…。」
陽葵はとても安心したような声だった。
「心配してくれてありがとう。寮から近いから、あとで連れて行くよ。やっぱりね、延岡さんたちと旅館でバッタリと会ったのは、精神的に辛かったし、今日の寮長会議は余計だったと感じていたからね。」
「それで食欲がなくなるのはよく分かるわ。わたしだって、延岡理事たちが家に来ると聞いて、恭介さんの家での宴会を想像しちゃったから、あれは青くなったわ…。」
「ところで、素直に引き下がったのは、泰田さんや守さんのお陰だった?」
「それが違うの。道案内を兼ねて荒巻さんが同行してくれたのよ。だから、上手く理事を丸め込んでくれたの。」
俺はそれを聞いた瞬間に、かなりホッとしていた。
「それは良かったよ…。たしかに延岡理事を止められるのは、荒巻さんか高木さんだよな…」
「ほんと、今日は家族全員がホッとしたのよ。理事さんだから、私たちは突っ返す訳にもいかなしい、長居されたら、恭介さんの家と同じ対応を取るしかないわねよ…。」
「あの状態に陥ったら、泰田さんのお母さんも加わって、混沌としていたのは間違いないからね。」
「うん、そうならずに良かったわ…」
「それを聞いて安心したよ。明日も早いから、そろそろ寝ようか。もう、俺はクタクタだよ…。」
「そうよね、じゃぁ、お休みね…大好き♡」
「陽葵、俺も大好きだよ♡」
俺は陽葵との電話を切ると、歯磨きをしたり明日の用意などを確認して、ベッドに潜り込んで早々に寝たのである。